神々と人々の絆(8)

「白楽天」と神国

 既に「神々と人々の絆(3)、神道流行神」で、「流行神として多くの神社に分霊されている神には七つの主な系統があり、それらは八幡神、伊勢神、天神、稲荷神、熊野神、諏訪神、祇園神である」と述べました。この流行神ほどは流行らなかった神様の一つが住吉明神(大神)。三人の男の神様と一人の女の神様が合体したのが住吉明神です。ロボットの合体の遥か以前に神話の世界では既に神々の合体が普通にあったのです。

 近くの佃の住吉神社の祭礼の話からスタートしたことを思い起こせば、「神国」日本を芸能として表現したのが謡曲の「白楽天」です。脇能に神が登場するのは能では当たり前のことですが、日本にスパイとしてやってきた白楽天を住吉の神が退散させるという物語は幽玄な能には相応しくないような内容です。でも、それも芸能のもつ意義の一つであることを見事に示しています。そこには神々と人々の混沌とした結びつきが垣間見えます。神と人を分けても、一緒にしても、神と人の断ち切ることのできない関係が語り継がれてきたのです。

 まずは、能「白楽天」の物語をまとめてみましょう。能は伝統芸能として幽玄な世界観、人間観を劇と音楽によって表現する総合芸術と位置付けられています。私は学生の頃の能の体験から、多くの曲は最後に大立ち回りがある曲芸的な要素が強い娯楽だと感じていて、幽玄の美など能の一部に過ぎないという印象をもっていました。そのためか、能が国威発揚の手段になったり、神国日本を謳い上げたりすることはないと断ずることは誤りで、実際は神、人、国の世俗の有り様が描かれ、日本神国観が主張されているということにも違和感はありませんでした。さて、肝心の「白楽天」はどんな筋立てなのでしょうか。

 日本がどの程度の知識や教養水準にあるかを知ろうとやって来た唐の詩人白楽天を、漁翁に身をやつした住吉明神が問答の末に追い返すというのがストーリーです。この能のシテは漁翁、実は住吉明神で、ワキは中国から来た大詩人白楽天、舞台は九州の筑紫の国。さて、始めにワキが、「半開口(はんかいこう)」と呼ばれる大変特殊な音楽によって登場。「音取置鼓(ねとりおきつづみ)」という笛と小鼓が交互に演奏する厳かな音楽で、白楽天の登場に風格を与えます。総じて、この能は、全曲にわたり音楽的な魅力が満載なのです。


尾形光琳「白楽天図屏風」(根津美術館蔵)は、謡曲「白楽天」を画題にしたもので、日本にやってきた唐の詩人白楽天が、漁師(実は和歌の神様である住吉明神の化身)と船の上で問答をし、和歌の偉大さを思い知らされて中国に帰っていく場面が描かれています。この構図や波をダイナミックに描いた表現は、葛飾北斎の有名な《神奈川沖浪裏》に似ています。

 

 ワキは、唐の高官白楽天であると名乗り、東の方に日本という国があるが、どの程度の知恵、教養をもつ国であるかを皇帝の命令により調べに行くと述べ、「舟こぎ出でて日の本の、そなたの国を尋ねん」と謡い、以下、海を渡る様子を謡い、日本に到着します。笛が吹いて、「真ノ一声(しんのいっせい)」という音楽となり、暫くはそれが続き、やがてツレを先立てて前シテの登場となります。

 シテ(老人)とツレ(男)は、共に釣り人の姿。このようにツレを伴って登場するのは、神を主人公とした脇能の定番です。シテとツレは、橋掛りで向き合って謡った後、舞台へ入って来て、さらに謡います。西側には山一つなく一面の海である筑紫の情景で、唐土は一夜泊まりといわれ、さほど遠くない、などと謡われます。シテは漁翁の姿ですが、実は神の化身なので、そのような厳かな雰囲気が描かれています。

 ワキが「小さな舟が見える」と言葉をかけます。シテは即座に「御身は唐の白楽天にてましますな」と、相手の正体を見抜くので、ワキは大いに不思議がります。シテとツレは、「白楽天が日本をスパイしに来るという噂は、日本中に知れていた」と述べ、地謡が「今や今やと松浦舟」と謡い出します。

 シテは、私は釣りに忙しいので、あなたにかまっている暇はない、という内容の地謡につれて、実際に釣り糸を垂れます。ワキは、「なおなお尋ぬべき事あり。舟を近づけ候へ」と言い、改めて、シテとワキの対話の場面となります。ワキが「中国では唐詩を作る」と言うと、シテは「日本では和歌を詠む」と答え、ワキ白楽天は眼前の景色を即興的に見事な詩に作り、「心得たるか漁翁」と聞かせます。その詩は「青苔(せいたい)衣を帯びて巌の肩にかかり、白雲(はくうん)帯に似て山の腰をめぐる」というもの。すると、シテは、「青い苔が巌の肩にかかっているのが衣に似ているとは面白い詩だ」と解釈して、今度は同じ景色を「苔衣(こけごろも) 着たる巌はさもなくて 衣(きぬ)着ぬ山の帯をするかな」と、和歌を返します。こちらも住吉明神(=和歌の神様)の化身で、上手なのは当然のことです。

 ワキは賎しい姿の老人が妙なる歌を詠んだので仰天しますが、シテはさらに、「日本では、人間だけでなく、生きている者は誰でも和歌を詠む」と語り、地謡が「花に鳴く鴬、水に住める蛙まで、唐土は知らず日本には、皆歌を詠み候ぞ」と謡い出します。この後、シテは舞台中央に座り、地謡がシテの言葉を代弁する形で進行します。ここに日本人の自然観、世界観を見出す人もいますが、これを知って驚くのは中国人より西洋人でしょう。このように謡われたら、デカルトもカントもビックリ仰天です。

 さらに、色々の舞楽を見せよう、と言って、シテは静かに立ち上がり、太鼓が、「来序」という音楽を打ち出すのに乗って、ツレとともに退場します(中入り)。入れ替わり、間狂言(あいきょうげん)が登場しますが、現在の演出では、住吉明神末社の者が一人で登場して物語ります。後シテは住吉明神の本体を現します。舞台に入り、「神ノ序ノ舞」という神々しい舞を舞い、この能の音楽的、舞踊的クライマックスとなります。これは、老体の神の舞う舞で、閑かな中に強くサラリとした要素のある独特なもの。この舞の間は、謡は一切無く、笛を中心に四人の囃子方の演奏により舞います。
 舞が終わると、シテは、住吉の神であると宣言し、「日本を従えることは出来ないから、早く帰りなさい」とワキに向かい、地謡の文句により各地の神々が結集したことが謡われ、シテの舞い遊ぶ衣の袖から神風が起こり、白楽天の乗った船は唐土まで吹き戻されたと表現されます。そして、「げに有難や神と君が代の、動かぬ国ぞ久しき」と全曲が締めくくられます。上演に約2時間ですから、普通の能の二倍かかります。

 

 白楽天は人間の詩人ですが、それに対して戦う住吉明神は神々の合体。神風で外敵を追い返したように、神が勝つのは確かにめでたいことです。でも、人対人、神対神であればどちらが勝ったかということに意味があるかも知れませんが、人と神が戦って神が勝つのはむしろ当たり前のこと。日本は神が守ってくれるということは、日本人としてはもちろん嬉しいし、めでたいことではあるのですが、人と神が歌を詠み競べて勝ったという話を素直に見れば、それはそうだろう、でも、その勝負は果たしてフェアなのかという考えが頭をよぎります。

 蒙古襲来などたびたび脅かされた九州の海岸線。外敵に対する穏やかならざる状況がこのような能を生んだ背景にあったのでしょう。国を外敵の侵攻から守るということであれば、神、神風によって守られていることはありがたいことです。でも、この能ではそれを詩歌の遣り取りに変えてきています。ですから、神も武の八幡神ではなく、文の住吉神だったのです。歴史的、政治的な状況が能の背景にあります。文永の役弘安の役といった元寇の時代、また世阿弥の生きていた時代の応永の外寇が人々の記憶に残っています。それが「白楽天」を生み出した遠因になっています。詩歌で白楽天に勝つということが、文芸的に昇華された神国日本の姿だったのでしょう。

 

*「筑前一之宮住吉神社」は日本で最も古い住吉三神を祀る神社で、博多湾に面し、航海・海上の守護神です。一方、「住吉大社」の祭神は底筒男命中筒男命表筒男命の三神と神功皇后。王朝時代には和歌・文学の神として仰がれていました。深川にある地名「住吉」は住吉神社とは関係なく、縁起の良い「吉」の字を使っただけです。