神々と人々の絆(2)

三神一体論

 ヒンドゥー教は、バラモン教から聖典カースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら出来上がった多神教。紀元前2,000年頃にアーリア人がイランからインド北西部に侵入し、紀元前1,500年頃にはヴェーダ聖典がつくられ、それに基づくバラモン教が成立します。紀元前5世紀頃に政治的な変化や仏教の隆盛があり、バラモン教は変貌を迫られます。その結果、バラモン教は民間の宗教と同化してヒンドゥー教へと変って行きます。ヒンドゥー教は紀元前5-4世紀に勢力をもち始め、紀元後4-5世紀に当時優勢だった仏教を凌ぐようになり、その後インドの民族宗教になっていきます。近世以降、ヒンドゥー教では「三神一体論(トリムルティ)」とよばれる教義が唱えられてきました。この教義では、本来は一体である最高神が、三つの役割「創造、維持、破壊」に応じて、三大神「ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ」として現れると説かれます。でも、現在ではブラフマー神を信仰する人は減り、ヴィシュヌ神シヴァ神が二大神として並び称され、それぞれ多くの信者を集めています。

 創造神ブラフマーは、紀元前15-10世紀に宇宙の根本原理であるブラフマンを神格化した神として登場します。バラモン教では神々の上に立つ最高神とされ、「自らを創造したもの」、「生類の王」と呼ばれます。宇宙に何もない時代、ブラフマーは姿を現す前に水を創り、水の中に種子として「黄金の卵」を置きました。卵の中に一年間留まって成長したブラフマーは、卵を半分に割り、両半分から万物を創造しました。

 ヒンドゥー教の時代(紀元後5-10世紀以降)になると、ヴィシュヌやシヴァが一般大衆の支持を得て力を持って来るのに対し、観念的で独自の神話を持たないブラフマーは人気が得られませんでした。三神一体論(トリムルティ)では、ブラフマー最高神の三つの神格の一つに相対化され、世界の創造と、次の破壊の後の再創造がその役割です。さらに、ヴィシュヌ派やシヴァ派の創生神話では、ブラフマーはこれら二神いずれかに従属して世界を作ったに過ぎないとされます。

 ブラフマーは、インド北部のアブー山に住んでいます。四つのヴェーダを象徴する四つの顔と四本の腕を持ち、水鳥ハンサに乗った赤い肌の男性の姿で表されます。手にはそれぞれ、数珠、聖典ヴェーダ、小壷、笏を持っています。ブラフマーの妻は、サラスヴァティー弁才天)。

 維持神ヴィシュヌは、バラモン教聖典リグ・ヴェーダ』にも既に登場する、起源の古い神格です。世界を三歩で踏破する自由闊歩の神とされ、世界の果てまで届く太陽光線を神格化したものと考えられています。ヒンドゥー教の時代になると、動物や英雄たちをヴィシュヌの化身「アヴァターラ」として取り込んで行くことによって、民衆の支持を集めます。三神一体論(トリムルティ)では、ヴィシュヌは最高神の三つの神格の一つにまで高められ、世界の維持・繁栄を司るのです。ヴィシュヌ派の創世神話によると、宇宙ができる前にヴィシュヌは大蛇シェーシャ(竜王アナンタ)の上に横になっています。ヴィシュヌのへそから蓮の花が伸びて行き、そこに創造神ブラフマーが生まれ、さらに、ブラフマーの額から破壊神シヴァが生まれます。ヴィシュヌは、メール山の中心にあるヴァイクンタに住んでいます。四本の腕を持ち、右には円盤と棍棒を、左には法螺貝と蓮華を持っています。乗り物はガルダと呼ばれる鳥の王で、鷲のような姿、もしくは鷲と人を合わせた様な姿をしています。ヴィシュヌの妻は、ラクシュミー(吉祥天)。

 ヴィシュヌは、「アヴァターラ」と呼ばれる十の姿に変身して地上に現れます。これは、偉大な仕事をした動物や人物たちを「ヴィシュヌの生まれ変わり」として信仰に取り込むための手段であったと考えられます。ヴィシュヌの化身で特に有名なのは、ラーマとクリシュナです。ラーマは、叙事詩ラーマーヤナ』の英雄で、魔王ラーヴァナから人類を救います。クリシュナは、叙事詩マハーバーラタ』の英雄で、特にその挿話『バガヴァッド・ギーター』で活躍します。

 破壊神シヴァは、バラモン教聖典リグ・ヴェーダ』では、暴風雨神ルドラの別名として現われます。暴風雨には、風水害をもたらすという破壊的な側面と、土地に水をもたらして植物を育てるという生産的な側面があります。このような災禍と恩恵を共にもたらす性格は、後のシヴァにも受け継がれます。ヒンドゥー教の時代になると、民間信仰によってシヴァに様々な性格と異名が付与され、民衆の支持を集めます。三神一体論(トリムルティ)では、シヴァは最高神の三つの神格の一つにまで高められます。世界の寿命が尽きた時、世界を破壊して次の世界創造に備える役目をもっています。

 シヴァは、ヒマラヤのカイラーサ山に住んで、瞑想に励んでいます。両目の間には第三の目が開いており、彼が怒る時には激しい炎が出て、全てを焼き尽くすのです。肌は青黒い色で、三日月の髪飾りをした髪の毛は長く頭の上に巻いてあり、短い腰巻を纏った苦行者の姿をしています。シヴァの妻は、パールヴァティー(雪冰天女)。夫婦の間にガネーシャ歓喜天)が生まれます。

 シヴァは、教学上は破壊神ですが、民間信仰によって様々な性格を付与され、それに応じて様々な異名を持っています。マハーカーラ(大いなる暗黒)と呼ばれるシヴァは、世界を破壊するときに、恐ろしい黒い姿で現れます。ナタラージャ(踊りの王)と呼ばれるシヴァは、炎の中で片足をあげて踊っています。ニーラカンタ(青い喉)と呼ばれるシヴァは、大蛇ヴァースキが猛毒を吐き出して世界が滅びかかったとき、毒を飲み干し、その際に喉が青くなりました。三都破壊者と呼ばれるシヴァは、三つの悪魔の都市(金でできた都市、銀でできた都市、鉄でできた都市)を焼き尽くします。その他、バイラヴァ(恐怖すべき者)、ガンガーダラ(ガンジスを支える神)、シャルベーシャ(有翼の獅子)、パシュパティ(獣の王)、マハーデーヴァ(偉大なる神)、シャンカラ、などと呼ばれ、異名の数は一千を超えます。

 このように歴史的な経緯を含めて見てくると、「ブラフマーとヴィシュヌとシヴァは同一であり、これらの神は同等の力をもち、唯一の神聖な存在がもつ異なる機能の三つの様相に過ぎない」というトリムールティの理論がヒンドゥー教の実際の歴史の中に現れることは稀であり、宗教美術のテーマになることも少なく、生きた信仰としてより、単なる理論に過ぎなかったのです。 トリムールティ理論が登場した背景には、ヴェーダ後の時代に顕在化してきた宗派間の争いを調停しようという意図があったのではないでしょうか。

 「三神一体」という考え自体は一見単純明瞭なのですが、人の信仰は相対化されにくく、どれか一つの神への信仰が一般的な姿です。これは仏教でも同じで、拝む仏も宗派によって、時代によって変わっていきます。神社会での離合集散は人間社会のそれと変わらないのです。でも、キリスト教の三位一体論となると話は別です。