好奇心を刺激する根本的な謎の追求

 「色とは何か」と「これは何色か」という二つの問いのいずれが哲学的な問いか尋ねられるなら、躊躇なく「色とは何か」だと答える人がほとんどではないだろうか。そのように考えられている哲学が「哲学とは何か」と哲学的に問われると、妙に答えに窮してしまう。自らが専売特許にする問いの形式が実りある答えを必ずしも生み出さないことを認識し、別の仕方で哲学の特徴を概観しようとすれば、どのような仕方があるのか、考えてみるべきだろう。上述の教訓を生かすなら、「哲学とは何か」と問う代りに、「これは哲学の問いか」と問うべきであり、哲学の問いへの解答例を通じて、解答方法の一般的な特徴を描くべきであろう。
 哲学に関心をもつ人なら、心底から沸き起こる謎に答えたいと思うもので、その知的好奇心は人の欲望の一つであり、その謎が個々の哲学の問いとなっている。「これは哲学の問いか」に対する答えを以下に六つ挙げてみよう。いずれも科学雑誌Scientific Americanでよく出される科学的な問いであり、ギリシャ以来の伝統的な哲学が格闘してきた問いでもある。

(1)時空(時間と空間)とは何か
(2)暗黒物質とは何か
(3)意識とは何か
(4)生命はどのように始まったか
(5)自然を扱うことにどんな限界があるのか
(6)私たちはどれだけ知ることができるのか

(2)と(4)は優れて科学的な問いであるが、現在では(1)、(3)、(5)、(6)も現在では哲学的というより、科学的な問いとして扱われる場合が多く、哲学と科学の間の垣根は限りなく 低くなっていることを示している。(3)など18,19世紀には哲学だけの独占的な問題だったが、今では認知科学やコンピューター科学の具体的な問題となっている。これは(6)についても同様で、AIの限界を考えることによって解答できる問題と受け取られている。
 こうして、哲学と科学だけでなく、物理学や宗教といった別の項目についても、類似の状況を設定して比較できるだろう。

「哲学とは何か」、「これは哲学の問題か」
「科学とは何か」、「これは科学の問題か」
「物理学とは何か」、「これは物理学の問題か」
「宗教とは何か」、「これは宗教の問題か」