葦と人のかかわり

 妙高池の平のいもり池にはヨシ原があります。ヨシ(葦)は、関東では「アシ」、関西では「ヨシ」と対照的な名前をもつイネ科の多年草です。水辺の植物ではもっとも背が高く、5メートルもの背丈に成長します。ヨシは古くから世界中の人々に親しまれてきました。日本でも葦簀(よしず)というすだれの原料となったり、茅葺の屋根材として葺き替えに使われたりしてきました。
 ヨシは、通常の植物と同様、空気中の二酸化炭素(CO2)の吸収や光合成による酸素の生成によって、地球温暖化を防ぎます。また、ヨシは土中・水中から多くの窒素やリンなどを吸い上げて成長します。水中に窒素やリンが多くなると水面にアオコが発生し、水生生物や魚類が死亡する原因となります。つまり、ヨシの生息が水質浄化になり、生態系保全へとつながっているのです。 
 ヨシ紙づくりはヨシの刈り取りから始まります。ヨシの刈り取りは12月から2月頃。ヨシが充分枯れた時期に行います。場所によってはオギというよく似た草本植物も生えているため、刈り取った後にヨシだけを選別し、束にして天日で乾燥します。ヨシが充分に乾燥したら、パルプ工場でチップ状に粉砕、釜で煮てパルプにします。ヨシ紙はヨシパルプを配合してつくられます。製紙原料のヨシパルプは、中国で実用化され、トイレットペーパーや紙コップなどに加工されています。日本国内においても、滋賀県の琵琶湖産のものなどが名刺やハガキ用に少量生産されています。
 「紙」の定義によれば、植物繊維その他の繊維を膠着させて製造したもので、植物を一度繊維にまで分解し、シート状に再成型したもの。パピルスの茎の皮を重ね、上から叩いて接着させるだけのパピルス紙とは根本的に違っていますし、羊皮紙も紙に分類されていますが、文字通りの紙ではありません。
 葦に関して最も有名なフレーズはブレーズ・パスカルによる「人間は考える葦である」でしょう。人は葦のように弱いが、考えることができます。「人間は考える葦である」ことによって、人間は自然の中の小さな生き物であっても、考えることによって世界を理解できるとパスカルは主張しています。それは人間に無限の可能性を認めると同時に、無限の中に消えゆくはかない人間の有限性も示しています。でも、なぜ「葦」なのでしょうか。そもそも『パンセ』はキリスト教弁証論として著され、懐疑論者や無神論者に対してキリスト教の正しさを示すことがパスカルの目的でした。特に、人間の悲惨とキリストによる救いは『パンセ』の中心テーマの一つ。パスカルはイエスの受難の場面に登場する植物に注目します。キリストの一生の大事な時に葦が三回も登場してくることから、彼は「いためられた葦を折ることがない」(『マタイ福音書』12の20)キリストを「考える葦」の尊厳の守り手と考えています。パスカルは人間の弱さとキリストの贖いとを象徴するものとして「葦」を選んだのでしょう。同じように、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの寓話「オークと葦」には傲慢なオークが倒れたのに対し、倒れないように自ら折れて風雨を凌いだ葦の姿が描かれています(イソップの童話にも「アシとオリーブの木」として同じ内容の話があります)。伊勢地方の昔話「井出のお宮の片葉の葦」にも葦が登場しています。
 最後に、ヨシの原と言えば、いもり池だけではなく、「吉原」も思い出されます。江戸幕府によって遊郭が一か所に集められた場所もヨシの茂る湿地だったため、葭原(よしはら)と呼ばれ、それが後に「吉原」と改められました。