あらためて、故郷とは何だろうか

 故郷とは何かと尋ねられると、誰でも何がしかの答えができる。だから、えちご妙高会の懇親会でもよく「ふるさと」が歌われ、人々の心が一つになる、と思われてきた。今回のプログラムにはその「ふるさと」の歌詞がないので、それを思い出してみよう。

ふるさと(作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一)

兎追いしかの山 小鮒釣りしこの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

如何にいます父母 恙なしや友がき
雨に風につけても 思いいずる故郷

こころざしをはたして いつの日にか帰らん
山はあおき故郷 水は清き故郷

 高野、岡野のコンビは「ふるさと」の他にも「春の小川」、「春がきた」などをつくっている。だが、それらの歌詞のどこにも固有名詞の地名は登場しない。一方、ご当地ソングには固有名詞の地名が必ず入る。民謡の「会津磐梯山」や「知床旅情」はタイトルから固有名詞がつく。さらには校歌。これらの歌詞には地名や校名が入り、それに関わる人たちの心を一つにする格好の謂い回しとなってきた。だが、知床も津軽海峡も私たちには故郷ではなく、それゆえ、妙高はえちご妙高会の懇親会で心を一つにして「北国の春」など合唱しない(この歌詞には固有名詞は登場せず、私たちが故郷の歌と思っても構わないのだが、歌手が新潟出身ではなく、出身地の岩手の歌だと思われている)。兎も角、ご当地ソングも校歌もローカルな歌で、日本人の誰もが心を一にして歌うものではない。ところが、「ふるさと」は日本人の誰もが一緒になって歌うことができる。理由は至極簡単で、歌詞のどこにも地名が登場せず、特定の歌手が歌う訳でもないからである。実に象徴的に「かの山、この川」と詠われるだけなのである。歌う人はそれぞれの記憶の中の故郷の山や川を想いながら歌うのである。これこそ呉越同舟、同床異夢なのだが、それでまとまり、実にユニバーサルな歌詞になっているのである。
 だが、「ふるさと」の歌詞は本当にユニバーサルな歌詞だろうか。室生犀星が「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」と詠んだのに呼応するように、「ふるさと」では「こころざしをはたして いつの日にか帰らん」と詠まれている。故郷から東京に出て、そこでふるさとを思い出し、その想い出が詠われている点では二つの詩はよく似ているのである。都会に出た人が思い出すのが故郷であるという形は明らかに明治以降の近代日本の故郷の姿でしかなく、江戸時代となれば故郷は住み続ける土地であり、志を果たして帰る土地ではなかった。
 生まれ故郷にずっと住み続ける人はどんな気持ちで「ふるさと」を歌うのだろうか。とても複雑な心境だと想像でき、「こころざしをはたして いつの日にか帰らん」、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」などと詠われても、白けるしかないのではないか。そんな対立が確かにかつてはあったし、今でも残っている。だが、平成に入り、令和となった現在、故郷像も同じではいられない。
 では、そんな古い歌の故郷像を横に置き、新しい故郷像を描き直すとなれば、どうなるのだろうか。そのためには、ずっと暮らし続ける故郷の生活の良さをしっかり見つけなければならない。そして、故郷の歴史、文化、そして現在の生活を知らなければならない。故郷を知り、故郷を見つめることは20世紀後半までの故郷像を乗り越え、新しい故郷像をつくるために不可欠のことである。そして、私たち自身となれば、妙高を通じて故郷像を描き直すことになるだろう。