最近の横文字レトリックの裏側

 「妙高Future Session!…妙高市では、観光庁が掲げる日本版DMO(Destination Management Organization)の機能を持つ組織として、妙高観光推進協議会が「妙高版DMO」として2016年に発足しました…観光の活性化だけでなく妙高市全体で楽しく暮らしていけるような将来像とそれに伴う活動を考える市民ワークショップを3回開催します。」
 このような文面の情報が最近目につきます。私が考えるに、「妙高市全体で観光事業を行い、市の活性化を図るために市民全員で市の未来像を描こう」ということなのでしょうが、「DMO」や「Future Session」が役所のお仕着せのレトリック、言葉遣いのままに流れ出し、新しいこと、特別なことを行っているかのような幻想を醸し出してしまっています。まずは横文字で表現される役所のお仕着せの語彙の意味を確認し、その裏側に何が隠されているのか推測してみましょう。

<お仕着せの意味>
* DMO(Destination Management/Marketing Organization)
地域がもつ様々な資源を組み合わせた総合的な観光地のブランドづくり、SNSを活用した情報発信、効果的なマーケティング、戦略策定等について、地域が主体となって行う観光地域づくりの推進主体のこと。もっと詳しく知りたければ、観光庁のホームページ参照。
*Future Session
フューチャーセンター(Future Center)は、企業、政府、自治体などの組織が中長期的な課題の解決を目指して設けた施設。センターの中で行われる、様々な人が参加するオープンなセッションがフューチャーセッション(Future Session)。

 多くの社会問題は、当事者や専門家だけでは解決しにくくなっていて、使えるものは何でも使おう、みんなの力を結集しようというのが今の一般的な傾向です。みんなが問題を自分の問題として考え、未来を構想しようというアイデアは悪くなく、むしろ推進すべきアイデアだと考えられています。観光に特化したDMOも一般的なFuture Sessionも、多様な立場の人が参加し、みんなの問題を様々な角度、観点から考えることからスタートします。そして、自由な対話を通じて、未来に向けた解答を見出していこうというアイデアなのです。誰かが一方的に決めたことをやるのではなく、市民一人ひとりが主役になって意見を出し合い、アイデアを実現させていく、その場が Future Center。となれば、何ということはない、妙高の未来像をみんなで描き、みんなで実現していこうということなのです。
 では、このような住人参加型の形態が生まれる理由は何でしょうか。国レベルでの「大きな政府、小さな政府」、県レベルでの「大雑把な自治体、細かな自治体」、市町村レベルでの「温かい行政、冷たい行政」、そして家族レベルでの血縁関係に至るまで、人間の間の関係は実に多様です。限られた財政の下で細かく配慮された、温かな行政を目指すなら、行政だけでなく住民全員で意見を出し合い、責任も共に取る形にならざるを得ないのです。少子高齢化の社会では余裕ある分業体制など維持できません。行政側と住民側という区分など意味をもたず、なりふり構わず実行しようとすれば、全員参加しかないのです。ですから、全員参加で困難に対処するしか他に方法がないことは至極当たり前のことになります。これが背後にある否定できない現実であり、それに対する私たちの姿勢は「滅びの美学」に耽溺するのではなく、それとは反対の極にある「生き残りの常識心理学」を信じ、みんなで参加することなのです。
 「市民全員を巻き込む」などと言うのは決して悠長なことではなく、市民が参加しないと生活が持続できないのが現状だということを肝に銘じて、文字通りの全員参加のFuture Sessionが実行されるべきだということがこれまでの話でわかるのではないでしょうか。
 個人ではなく、一緒に何かをする共同体が生まれ、ビジネスとして自立でき、文化として享受でき、制度として認められることが住人を元気にしていきます。行政があらかじめ特定のアイデアや下心をもち、その実現のためのお墨付きとしてFuture Sessionを開くことは自己否定でしかありません。行政側も一団体として参加し、同じ目線で未来を語ることがFuture Session成功の条件であり、環境問題、人口問題、図書館整備等々、行政と市民が一緒に苦闘することが不可欠なのです。