言葉と地勢

 「おまん、おまんた」に代表される妙高地域の方言と標準語の間の差は僅かなものに過ぎない。方言が次第に本来の言語から離れて行くと、別の言語として独立することになる。それで思い出されるのはラテン語の方言から始まるフランス語、イタリア語、スペイン語ポルトガル語などの言語である。ローマ帝国の言語だったのがラテン語。そのラテン語の方言から生まれたのがこれらの言語で、今でも互いによく似ている。
 当然ながら、日本語はラテン語から派生した言語ではない。人種もまるで異なる。では、ラテン語の派生仲間に英語を入れるべきなのだろうか?英語の単語、特に抽象的な概念を表現する単語はラテン語起源のものがほとんどで、従って上記のラテン系の言語の単語とも似ていて、それゆえ世界観や人間観も共有部分が多いことになる。だが、アングロサクソン系の人たちは明らかにラテン系ではない。
 ラテン語ギリシャ語と並んで大変合理的な言語で、綴りと発音が一致し、文法がしっかりしていて、例外は僅か。何しろ現在は使われていない死語であるから、今の私たちは発音など気にしなくてよい。文法を身につければ日本人でさえ簡単にマスターできる。19世紀までの国際語はラテン語だった。さて、現在の国際語である英語とそのラテン語はどのような関係にあるのか。それを探ってみよう。歴史的な経緯を少々詳しく辿ってみよう。
 バイキングの攻撃に困ったフランス王シャルル3世は、911年バイキングの首領ロロにセーヌ川下流地域全体を封土として与え、ノルマンディーの沿岸防備の任務を負わせた。これがノルマンディー公国の誕生である。ノルマンディー公となったロロの軍隊はその大部分がデーン人だった。ロロは、領地を現在のノルマンディー地方の大部分にまで拡大、移住してきた北方のノルウェー人やデーン人はキリスト教に入信し、フランス語を用いるようになる。六代目のノルマンディー公ウィリアム(11世紀中期)は、英仏海峡を隔てたイングランドを手に入れるが、そのいきさつは次のようなものだった。当時のアングロサクソンエドワードの母は、ノルマンディー家の出身で、エドワードとウィリアムは旧知の仲だった。エドワードには子がなく、彼は自分の死後王位をウィリアムに譲るという約束をする。ところが、エドワードの死後すぐに、彼の直臣の子ハロルドが、エドワード王の遺言であると称して王位についてしまう。そこで、ウィリアムは、イングランド王の後継者は自分であるとのローマ教皇の認可を取りつけ、イングランドに進攻した。1066年、彼は有名なヘイスティングズの戦いでハロルドを打ち破り、イングランドを征服する。彼は征服王ウィリアム1世として、イングランドにおけるノルマン王朝の祖となった。イングランドを統治するに当たって、ウィリアム1世は、アングロサクソン人の人口の10%にも満たない支配者ノルマン人の立場を守るために、ノルマン人に有利な法令を制定した。短期間のうちに、全土で徹底的な征服活動が行われ、上位聖職者も含めた支配者層が、完全にノルマン人にとって代わられた。ウィリアムはイングランド王となったが、ノルマンディー公としてフランスに領地を持ち、フランス王の臣下でもある、ということになった。その後、イングランド王国はバイキングの末裔として血筋が絶えることなく、現女王エリザベス2世に至るまで続くのである。
 ウィリアム王の征服以来、イングランドには多数のノルマン人が流入してきたが、宮廷や貴族社会において用いられた言葉は当然ながらフランス語であった。13世紀までは、フランス語がイングランドにおける公用語と決められた。だから、アングロサクソン人が上流階級にのし上がるためには、フランス語を学ばなければならなかった。また一方では、文学の分野においてフランス語の単語や表現が豊富に取り入れられ、その多くが次第に一般民衆の日常語の中にも浸透していった。このように、フランス語の英語に対する全般的な影響は極めて大きく、フランス語の単語は英語の語彙の約50%を占めるまでになる。
 こうしてラテン語の方言の一つだったフランス語がイギリスに入り込むことによって、英語の文法はそのままであっても、使われる単語の多くがフランス語の単語に入れ替わったのである。その単語は本来ラテン語の単語だったことから、間接的に英語の単語はラテン語由来の単語となったのである。
 このような血縁関係は我が日本語の場合、中国語がラテン語に該当するだろう。日本語自体は孤立無援で、孤独な言語だが、中国の文化が漢字を通じて入ってくる。イギリスの場合と違って、日本では漢字を巧みにアレンジし、日本語に融合してしまった。そして、ひらがな、カタカナといった文字のシステムまで作ってしまった。それは明治以降も変わらず、英語、フランス語、ドイツ語の単語は巧みに漢字の単語に訳されることになる。ギリシャ語やラテン語の単語は見事に漢字の単語に移し替えられ、語源や意味は単語だけからは遡及できなくなってしまった。これは日本語を守るという点では有効だったのだが、ヨーロッパ文化に直接に繋がるにはとても不利なことである。血縁関係が強い言葉を使うことのメリットを生かそうとすれば、表音文字に過ぎないカタカナで置き換えるだけの方が遥かに有利なのである。第二次大戦後の翻訳は音をカタカナに置きかえる風に変わり、それが批判される場合が圧倒的に多かった。だが、英語の単語がフランス語の単語に置き換わったことを真似ようとすれば、カタカナで置き換える方がラテン語ギリシャ語まで遡れるのである。少々乱暴だが、中国語に遡るか、ラテン語ギリシャ語に遡るか、戦前までは前者、戦後は後者と分けることができそうである。

*ここまでの話がもっともだとすれば、妙高方言はいつの、どこの日本語に遡ることができるのだろうか。