人口問題:日曜の頭の体操

 私たちは建前として、個性と人格を重んじた生活をしています。その通りだとすると、他人と相容れない人が増え、集団ができず、ついには絶滅に至ります。ですから、人は建前では生きられず、生存のために群れることが不可欠。生物は本来的に集団であり、家族や共同体に属することがその本性です。
 となれば、個体の仕組み以上にそれが属する集団の仕組みが重要になります。その集団構造を維持・保存する環境によって集団のサイズ(人の場合は人口)が決まります。個体の身体サイズ以上に集団のサイズは重要で、それを下回ると集団は絶滅します(例えば、トキ、ライチョウ)。
 集団が5つのグループに分かれていて、全体が4つの膜によって仕切られ、各グループに個体が含まれ、生活しているとしましょう。膜は透過できない、半分透過できる、完全に透過できる、といった違いがあるとしましょう。あるいは、膜はどの別のグループも透過できる、ある特定のグループ間でしか透過できない、透過の度合いが異なる、等々の違いを設定できます。これは、集団を地球全体、5つのグループを大陸や国に見立てて、それぞれの膜がどの程度の境界になっているのかの単純化されたモデルと考えていいでしょう。家族とそのメンバーが最も小さな集団、さらに国とそのメンバー、街とそのメンバー等々、集団の構造は階層的、重層的になり、複雑な仕組みが生まれます。そのような例を背景に、次の言明を考えてみましょう。
 小さい集団ほど消滅の可能性が高まる
 小さい集団ほど拡大の可能性が高まる
二つの命題は明らかに両立しません。でも、どのような条件、環境に集団が置かれるかによって、それぞれの命題が真になる場合を簡単に想像できます。また、私たちは集団について、「設計する、計画する」という仕方で、集団に直接コミットする形で関わることができます。
 人口は生物集団のサイズですが、その何を私たちがコントロールでき、何がコントロールできないのか。かつてなら、コントロール自体が全体主義だと非難されました。何かの結果としての人口の増減と、人口をコントロールための仕組みとはどのような関係にあるのか、実はとても厄介な問題なのです。人を救うことが至上命令の医療と人口をコントロールして最適な集団に保つことはまるで両立しない話です。でも、これまでの私たちは両方の目標を別々に追求してきました。敢えて二つを同じ土俵にのせずに、先送りしてきたのです。ほとんどの人はそれに気づいているだけでなく、うまく調停できないことも知っています。
 さて、それらから得られる結論の一つは、次のもので、妙高にも当てはまります。
 「小さい集団ほど拡大の可能性が高まる」ような設計、計画ができる。
地方の都市を日本の中で、あるいは世界の中で、どのように設計すれば、少なくても消滅しないようにできるのか、様々に条件を変えて夢想してみて下さい。