人口問題(3)

 経済学は人口をコントロールすることを憚らない。人が意識的に社会組織をつくり、その規模を自ら決め、経営することができることを前提にして経済学ができ上っている。自然科学は自然を客観的に眺め、その一部を操作しようとしたが、経済学も同じように人間社会の経済活動を分析し、操作しようとした。その中には、集団の人口動態を利用することによって、社会の最適な状態を模索することも含まれていた。
 個体群生物学によれば、個体群は生活環境が不利になると集団サイズを減少させ、有利になるとサイズを増大させることが観察され、それを記述する数学モデルが様々につくられた。だが、経済学では少々事情が異なる。集団が不利な状況に陥ると人口を増やし、集団が有利な状況を手に入れると、ますます人口を増やし、経営しようとする試みが始まる。いずれの場合でも人口を増やす政策をとるのが近代社会の通常のやり方で、いわゆる成長戦略である。
 ところで、「集団」、「個体群」、「共同体」(population, community, etc.)などは、その範囲、規模、構成などが実に多様で、それが置かれた環境や状況に応じて、変幻万化の振舞いをし、それを理解する仕方も多種多様である。地球規模の人間集団、国、都市、…、町会、一族、家族等々、挙げればきりがない。となれば、「妙高市の人口問題」と銘打った議論では、どのような状況が選ばれ、何を議論すべきなのかを先に相当程度決めないことには議論の結末は見えてこないことになる。
 一つの家に住む家族の人数は急激に減った。この家族人口の変化は私たちが実感できる人口減少の具体例なのだが、理想的な家族数があるのかと改めて問われると困ってしまう。一家の人数は時代、地域によって変化し続けている。一人や二人は家族の存続にとって適切な数でないことはわかるが、何人が最適なのかははっきりしない。共同体の人口が減り、限界集落が出ていることも最近はよく実感できる人口減少の例である。誰もいなくなった山奥の集落が散在し、そこにいるのは高齢者がほとんど。人口減少によって共同体社会がどのような影響を受けるのかの症例が具体的にわかる。
 日本の人口が減少することも統計データや実際の経験からほとんどの日本人は知っている。それがどのような影響を日本社会に与えているかは日々のニュースによく登場する。まず、地域による高齢化の相違。これまで高齢化の問題は農村部や過疎地の問題であると考えられてきたが、大都市圏の方が高齢者の実数が激増するだけでなく増加率も高い。大都市圏の高齢者の増加が著しい理由は、高度経済成長期に地方から都市へ大量の若者の人口移動が生じ、彼らが高齢期を迎えるからである。都市部における高齢化問題も「待ったなし」の状況にある。
 次は、世帯構造の変化。これは医療・介護の問題に関わっている。わが国の世帯は、三世代同居世帯が減り、一人暮らし世帯や夫婦のみの世帯が急増。特に世帯主が65歳以上の世帯数は、2005年から2030年にかけて1,355万から1,903万に増加するが、このうち夫婦のみの世帯は465万から569万に、1人暮らし世帯は387万から717万に増加する。また、未婚の1人暮らしの高齢者数が、2005年は男性27万人、女性53万人であったのが、2030年には男性168万人、女性120万人と急増する。人口は社会経済活動の基本であり、これだけ大規模な超高齢化や人口減少は多方面に甚大な影響を与える。超高齢・人口減少社会が政治に及ぼす影響として挙げられるのは、国力の低下。しかも、日本の人口は急減する一方、発展途上国の人口は増加するため、人口規模でみた日本の相対的地位は低下。高齢化や人口減少は経済成長にマイナスに作用することから、国力の低下は免れない。そこから、外国からの移民を本格的に受け入れ、人口減少を補充するという主張が出てくる。
 次に、超高齢・人口減少社会が国内政治に及ぼす影響であるが、世代間の利害対立が深刻化するだろう。これは、高齢者の有権者比率が上昇するため、高齢者にとってマイナスとなる政策がとりにくくなるため、高齢者の給付減・負担増を伴う政策決定を先送りする傾向が強まり、子や孫の世代の負担を高めることになる。
 経済成長の源泉は、資本蓄積、労働力、技術進歩の三つ。人口減少や高齢化は経済成長にマイナスに作用する。一定の貯蓄が行われ、生産設備の拡大等の投資に回らなければ経済は成長しない。人は若い時に所得の一部を貯蓄として形成し、リタイア後にそれを取り崩し消費に充てるという行動をとる。経済学でいう「ライフサイクル仮説」であるが、これは社会全体についてもある程度当てはまり、生産年齢人口の減少および老年人口の増加は貯蓄率の低下をもたらす要因となる。
 労働力人口は生産年齢人口に比例する。その意味で、2010年から2060年にかけて生産年齢人口が3,755万人も減少することの影響は大きい。また、労働需給が逼迫すれば賃金の上昇を招き、内外の労働コストの格差を一層増大させ、製造拠点の海外移転に拍車をかける。なお、医療・介護は労働集約産業であり雇用誘発効果が強調されることがあるが、中長期的にみれば、医療・介護スタッフの確保が深刻化すると見込まれる。技術進歩による生産性の向上があれば経済成長率を押し上げる。ただし、人口減少等が技術進歩にどう影響するかはそれほど単純ではない。
 さて、地球全体の人口予測によれば、現在は中国(14億人、世界人口の19%)、インド(13億人、世界人口の18%)であるが、インドの人口が2024年には中国を上回る。現在の上位10カ国の中では、ナイジェリアの人口増が目覚しく、2050年までにアメリカを追い越して現在の世界第7位から世界第3位になる。2017-2050年までの世界人口増の半分は、インド・ナイジェリア・コンゴ民主共和国パキスタンエチオピアタンザニアアメリカ・ウガンダインドネシア、の9カ国の人口増に起因する。2017年に10億人である後発開発途上国の人口は、2050年までに33%増加して19億人に達する。特に、アフリカ26カ国では、2017年から2050年の間に人口が2倍になる。だが、世界人口の46%を占める83カ国において出生率は次世代を更新するために必要な水準(女性あたり2.1)を下回っている。世界でも出生率の最も高いアフリカにおいてでさえ、女性当たり出生率は、2000-2005年の5.1から2010-2015年の4.7に下落。ヨーロッパは例外的で2000-2005年から2010-2015年の間に女性当たり出生率は1.4から1.6に上昇した。世界的な少子化傾向の一方で、平均寿命の伸びと高齢化が進行している。高齢化が社会経済にもたらす影響は大きく、今後、各国政府は、ヘルスケア・年金・社会保障の拡充に伴う財政・政治的圧力に直面していくことになる。さらに、低・中所得途上国から高所得先進国への大規模な移民も続くだろう。2005-2010年の年間450万人からは減少したものの、2010-2015年の間、毎年320万人が途上国より高所得国へと移動した。

 今の妙高市民の意識など私にはわかりようがないのだが、子供の頃は地元の人とそうでない人との間の違いをはっきりわかっていた。良し悪しは別に「違う」という感覚が私にも確かにあった。定住者と非定住者の違いは今では地元の人と観光客と言った違いに矮小化されていることを望むのだが、故郷、国、流浪民、さらには移民へとスムーズに繋がることが期待される。
 人口の増減は善悪とは関係がなく、また損得とも関係がない。それらを結びつけるのは私たちの知識であり、それら知識と適用される状況に応じて人口サイズへの評価がまるで異なってくる。これは本当に恐ろしいことである。地球温暖化と持続可能性は環境や状況を捉える際のキーワードになってきた。端的に、この二つは両立しない。人の共同体を一定水準で持続させようとすれば、温暖化は不可避のことになる。生命地域主義、地球温暖化、国立公園、人口減少への対策、自然エネルギーの開発、これらをすべて実現しようとしても、そのままでは矛盾する主張を含んでいる。地方都市の持続、環境問題、人口問題は両立しない人の主張や欲望を含んでいる。妙高市が理想とするあり方から出てくる妙高市の最適人口、年齢構成、人口分布はどのようなものか。市民が各自の理想像を議論しながら導き出し、それを入力情報にして市長や市役所が人口ビジョンを出力する、こんな風にことが進むなら願ったりかなったりなのだが…