「雪月花」再訪

 「雪月花(せつげつか、せつげっか)」はこれを見た越後の人にはえちごトキめき鉄道のリゾート列車の名称で、それも正確には「越後トキめきリゾート雪月花(せつげっか)」のこと。車窓から越後の山野と海岸の風景を楽しみながら、美味しい酒と食べ物を味わうという中高年向きの観光企画は見事に成功し、利用者の数は予想を超えている。
 では、この名称の由来は何か。白居易の詩「寄殷協律」の一句「雪月花時最憶君(雪月花の時 最も君を憶ふ)」から来ている、というのが最も一般的な説明で、雪・月・花という自然の美しい景物を指している。長安白居易は江南にいたときの部下殷協律にこの詩を贈った。この詩の「雪月花の時」は、それぞれの景物の美しいとき、つまり四季折々を指す語で、そうした折々に遠く江南にいる殷協律を思い出し、詠んだのである。
 これが日本に入り、自然の代表的な美を表すのに用いられてきた。例えば、宝塚歌劇団の花、月、雪という組分けにも用いられている。
 ところで、私の「雪月花」は列車の名前ではない。「雪月花」とは、歌麿によって描かれた一連の肉筆画の大作で、「深川の雪」、「品川の月」、「吉原の花」のことを指している。この「雪月花」三部作が揃って展示された最古の記録は、1879年11月23日に、栃木県定願寺で豪商の善野家が出品したというもの。その後、三部作は美術商の手によってパリに渡り、現在は「吉原の花」はアメリカのワズワース・アセーニアム美術館に、「品川の月」はアメリカのフリーア美術館に収蔵されている。
 また、「深川の雪」は戦前に日本に戻り、1948年と1952年の2回にわたり公開展示されたことが確認されていたが、長らく行方がわからなかった。しかし、2012年に再発見され、現在では箱根の岡田美術館に収蔵されている。
 私は勝手に歌麿写楽北斎、広重を江戸の浮世絵の四天王と呼んでいるが、その一人歌麿の肉筆画は、北斎の晩年の肉筆画と並んで見事としか言いようがない。歌麿の「雪月花」に比べれば、えちごトキめき鉄道の「雪月花」は色気とも江戸の風情とも縁遠い。だが、白居易の詩に近いのは歌麿ではなく、えちごトキめき鉄道の方なのは確かである。
*「雪月花」と同類の名前となると、「雪月風花」、「風月無辺」、「雪中四友」、「山紫水明」、「大観」、「風雅」等々の名前が浮かぶが、四文字熟語が圧倒的に多い。どれも自然環境の見事さを表現したもの。

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