The Ideal Museum of Myoko

 かつてバブル期に美術館や博物館が多数つくられた。だが、今や状況は一変し、「妙高市にはまともな美術館や博物館が一つもない」と嘆き悲しんだとしても、美術館や博物館という箱物をつくることには誰も賛成しない。理由は明々白々で、市民の日々の生活が文化、歴史、芸術に優先するというのが多数の意見だからである。
 冷静に見れば、美術館や博物館を今つくるのは財政的な理由だけでなく、より本質的な理由によって得策ではないのである。旧来の美術館、博物館という概念をそのまま使うのは避けるべき時期がきているのである。既存の美術館や博物館は耐え難いほど旧式のスタイルを保持していて、収蔵物の展示の方法、収集保管、情報の伝達等は見直さなければならない時期なのである。今や博物館も美術館も知識や芸術の保守主義の牙城、旧勢力の象徴となっているのである。
 「まともな美術館、博物館」が既存の旧式の美術館、博物館を指すのであれば、それがないことこそが利点だと考え直してみよう。保守的な旧態依然たる博物館、美術館に囚われる必要がないから、より革新的な博物館、美術館を自由に夢見て、模索できるのではないか。少なくても、どのような在り方、形態を想定するか自由に意見を募ることができる。何かを始めるには、無こそ有利なのである。このような場で議論するのもよし、シンポジウムや討論会で意見をぶつけ合うのもいいだろう。そんな議論のために私自身のヴァーチャルな博物館をスケッチしておこう。

 歴史も芸術も情報であり、それらの一部分を収集し、展示し、理解し、鑑賞するのが博物館、美術館である。まとまった施設はなくても、妙高市の関所、古墳、神社、寺院、国立公園、さらには社会、経済の様々な統計等に関する情報は、既存の施設が情報を分散したまま保持している。だが、その分散情報はしっかり統合されていないし、ディジタル化さえ十分になされていない。それらをすべて集め、統合すれば、サーバー上に博物館をつくるデータとすることができる。兎に角、第一段階は徹底的に知識と情報をディジタル化することである。もっとも基本となる妙高市の市史はディジタル化されているだろうか。あるいは宝蔵院の日記の重要部分はどうだろうか。妙高戸隠連山国立公園に関する動植物の生態や植生に関する情報はディジタル化されているだろうか。これら情報は箱物と違って、市役所を中心に市民が参加して収集整理できる作業である。このような基本情報がデータベースとなって、妙高市の歴史、文化、社会、そして自然の情報が統合され、検索でき、辞書のように使えるシステムが構築できれば、それは立派に仮想空間での博物館や美術館になる。但し、どこにも箱物はなく、市役所にサーバがあるくらいのものである。
 そんな博物館ができれば、教育ネットワークにつなげることによって「教育博物館+図書館+理科室」として使え、小中学校の教室で使えることになる。子供たちがわざわざ足を運ばなくても、関所の歴史や妙高山麓の自然をパソコンンの画面を通じて知ることができるようになる。
 市民博物館(参加型)+図書館は市民活動に欠かせない道具になってくれるだろう。どんなスポーツがどこで行われ、誰がどのような資格で参加できるのか、そんなことが今より簡単に知ることができるようになるだろう。文化活動だけでなく、医療や介護にも活用できるだろう。
 観光客にはパンフレットではなく、Webを通じて観光博物館(来客用)を利用してもらい、きめ細やかな観光情報を伝えることができるだろう。
 これらのことには大したお金はかからない。コツコツとシステムを充実させていくならば、5,6年で随分と立派な博物館へと変身しているのではないだろうか。そこには妙高市の重要な情報、作品が陳列され、それを見るだけでなく、活用できるとなれば、今ある博物館よりは使い勝手の良いものになるのではないだろうか。とはいえ、「本物を見たい、作品を直接見たい、発掘品を所蔵したい、作品を陳列したい」という私たちの物欲は上述のような仮想の博物館、美術館では満たされないのも確かである。物欲を満たしたい場合は、それぞれが直接に現実の博物館や美術館に行って超一流の品物を存分に鑑賞してくるしかない。そのためにあるのが国宝であり重文であり、私たちの物欲の対象なのである。
 これは私の単なる思いつきに過ぎない。現状で十分という市民から、どうしても箱物がほしいという市民まで様々な意見がある筈で、皆で意見を出し合い、議論してみることが第一歩になる。