故郷妙高が私たちを惹きつける三つの訳

 人はそれぞれ自分だけの「私の故郷」を心の奥底に大切にしまい込んでいる。だが、自分たちが生まれた地域が僅かに異なるからといって、それぞれ違った故郷をもっている、とは思っていない。新潟出身でも下越上越は違う。だが、同じ新潟出身だと思っている。皆自分たちは同じ故郷をもち、似た子供時代を過ごしたと信じている。では、「私だけの故郷」をもつ人たちが、なぜ同じ故郷をもつと信じるのだろうか?そんな問いが私の心をよぎり、その答えを無性に探したくなる。「同じ」故郷をもつには「同じ」何かがあるに違いない。それが見つかれば答えになる。行政区分は安易な「同じ」基準なのだが、今は使うべきではない。下越の人と上越の人は違った市町村で育ったからである。だから、「同じ」基準を別に見つけなければならない。そこであれこれ思案。すると、「同じ」基準の中でこれはと思われる「同じ自然環境」、「同じ文化や習慣」、「同じ宗教」の三つが浮かび上がってきた。
 まずは「同じ自然環境」。これは文句なく、妙高山。どこからも眺めることができ、雪を頂く妙高山は山肌にできる雪形とともに正に我らが心のシンボル。妙高山の記憶はほぼ等しく私たちの記憶の中核として刻み込まれている。私たちの誰もが妙高山の姿を容易に想像し、生き生きと描くことができる。その妙高山も江戸時代は信仰の対象として普通には登れない山だった。関山神社の別当宝蔵院が妙高山を管理していた。だから、いつでも登山でき、楽しむ妙高山と、崇め、祈ることしかできない妙高山という違いが歴然とあった。ともあれ、日本人なら富士山、妙高生まれなら妙高山、いずれも雪がよく似合う。
 次は「同じ文化や習慣」。雪の中での生活習慣や民芸品が思い浮かぶが、今はすっかり変わり、習慣は廃れ、民芸品は使われなくなった。藁沓をはき、角巻を着て雪道を急ぐ女性の姿は既にない。では、「同じもの」は何か?世代を越えて共通の「同じ」ものは言葉だろう。妙高の方言は新井、妙高高原妙高のどの地区もよく似ていて、いくつかの単語、謂い回し、イントネーションが標準語と異なっていても、総じてわかりやすい方言である。とはいえ、今の私はその方言をすっかり忘れ、正しく喋れない。これは東京に出た誰にも大同小異のことだろうが、聞けば何とも言えない懐かしい響きが耳をくすぐる。
 最後は「同じ宗教」。日本の仏教寺院は江戸幕府の巧みな政略で戸籍係になってしまい、戦後は葬式仏教とまで言われ、それで人々の紐帯になっていると言えるのか、という反論がすぐに出る。仏教が妙高の人々の意識的な絆だと言うつもりは毛頭ない。だが、妙高市新潟県の中だけでなく、一向一揆があった越前、越中を含めても、浄土真宗の寺の割合が優に9割を越え、ほぼ独占状態のトップ、つまり日本一なのである。統計上、妙高市浄土真宗一色。むろん、真面目な門徒は少ないから誰も気づかずに、「南無阿弥陀仏(ナマンダブ)」と唱えることも聞くこともごく自然で、当たり前という環境で暮らしてきた。無意識に妙高の人々を結びつけているのがこの浄土真宗の風土なのである。願生寺と浄興寺の間の異安心論争、敗れた願生寺が取り壊され、新井別院ができたという一連の事件などすっかり忘れ去られているが、今でも浄土真宗の各寺があり続ける遠因になっている。

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(新井別院)
 三つも強力な「同じもの」が共有されているなら、鬼に金棒。妙高に住む人々だけでなく、妙高に連なる人たちもそのいずれか一つで結ばれていれば、同じ故郷をもっていると胸を張れるのであり、立派に私たちの故郷妙高のIDになっているのである。