炭と薪から山里へ

 昭和30年代初頭は私の小学生時代の前半といった頃で、随分と昔の生活が残っていた最後の頃だと思う。その後は急速に電気製品が普及し出し、テレビや車が増えていく。周りの農家にはまだ牛や山羊がいて、耕運機の姿がまだない時代だった。そんな時代の必需品の二つが炭と薪である。
 土間と居間の間にある上り框(あがりがまち/あがりかまち)の床は蓋になっていて、その下が我が家の炭の貯蔵場所だった。一冬分の炭を5俵ほど晩秋に買って、縁の下に置き、順次消費するという段取りである。炭俵に入った炭は思ったほど重くはなく、子供の私にも何とか動かすことができた。炭焼き小屋を詳しく観察したことはないのだが、里山の奥に何か所かあるのを知っていた。我が家の炭の消費場所はもっぱら炬燵(こたつ)だった。
 台所には囲炉裏があり、そこでは薪を燃やしていた。我が家は味噌をつくって売っていたので、そのための薪が大量に必要で、これも秋に仕入れていた。炭を使わなくなっても、薪はずっと使っていて、中学生以降は夏休みの薪わりが私の日課の一つになった。
 薪や炭となると誰もが里山を連想する。里山は私の経験からもわかるように、かつては私たちの生活圏の一部だった。だから、「里山」は「寿司」に似て、外国語に翻訳するのが難しい語彙である。バカ正直にwoodland close to the village, village -vicinity mountainなどと英訳してもピンとこない。だから、SusiのようにSatoyamaとしてもいいのではないかとなるのだが、環境省はSatoyama landscapeと決めた。さらに、里山だけでは不十分ということで、「里地里山」という用語をつくり、私たちの住む地域を概念的に表現したのである。
 里地里山は人間が作り出した環境である。作物や燃料になる木を得るために、もともとあった林を切り開いて、田畑を作り、木を植えた。その結果、水辺や湿地、明るい林など、さまざまな環境が誕生し、それぞれを好む多様ないきものが暮らせるようになった。だから、炭も薪もその結果の産物ということになる。これが今の私たちの周りの自然環境になっているように思われる。自然(Nature)を私たちが自らの本性(Human Nature)に従って作り変えたのが里地里山だと言える。
 今は誰も炭も薪も特別な場合以外は使わない。その結果、雑木はそのまま里山に残され、里山は私たちの生活圏から抜け落ち、自然に戻りつつある。里地も減反によって増えこそすれ、手入れはされないままである。里地里山は管理され、手入れされることによって存在できるのだが、どうもそれは環境省の役割ではないらしい。里山から里地に多くの動物が侵入を始めて久しいが、これもまた環境省の管轄かどうか怪しいのである。
 ここでもう一度見直してみると、「里山」という言葉を私たちはあまりにも無自覚に使っていることに気付かされる。環境ブームのためか、「里山」という言葉に惹きつけられ、多くの人たちが関心をよせる。それは里山ブームと言ってもいいだろう。「生物多様性」、「環境破壊」、「地球温暖化」等々の半科学的で半社会的な概念群に寄り添うかのようにある概念の一つが「里山」、そして環境省の「里地里山」なのである。
 だが、「里山」概念は意外に新しく、登場するのは20世紀の後半でしかない。そんな新参者が登場する前となれば、私たちは古今集以来の「山里」概念によって人里との対比の中で自然を捉えてきた。そして、情緒あふれる自然が多くの歌人によって詠われてきた。その歌の世界では「人里」や「里」が人の住む集落とすれば、「山里」はその集落(や一軒家)が山の中にあることを意味していた。
 妙高の山里となれば、その根底に権現思想があり、山岳信仰修験道と深く結びついてきた。今の日本人にはそのアニミスティックな「目に見えないもの」がほぼなくなってしまい、多くの人は山里、人里の区別の代わりに里山や里地という新しい区別によって自然を見ている。だが、山奥にポツンと一軒家があると、この里山概念はどこかにいってしまい、不便な山奥だけがクローズアップされ出す。ところが、私たちの先祖たちはそこに別のものもちゃんと見出していた。そこで、僅かだが、忘れられそうな昔の人々の山里を想い出しておこう。

白雪の降りて積もれる山里は住む人さへや思ひ消ゆらむ     (『古今集』冬328)  
山里は雪降り積みて道もなし今日来む人をあはれとは見む    (『拾遺集』冬251)
山里は秋こそことにわびしけれ 鹿のなく音にめをさましつゝ  (『古今集』秋 壬生忠岑

山里にうき世いとはむ友もがな くやしく過ぎし昔かたらむ  (『新古今集』雑 西行法師)
(山里に私のように憂き世を逃れた人がいてくれれば、無念なまま過ぎてしまった昔を共にに語れるのだが)

うき世をば峰の霞やへだつらむ なほ山ざとは住みよかりけり(『千載集』雑 藤原公任
(憂き世を峰にかかる霞が隔てて見えなくしているのだろう。やはり山里というのは住みよいものだったよ)

 最後の歌は春霞によって人里、俗世から隔てられた別世界の山里を詠んでいる。中国の神仙思想や隠遁思想が影響していて、清浄な世界で世事に惑わされずに暮らしたい願望が「山里」に込められているのがわかる。昔の「山里」は不便で辺鄙だけではなかったのである。そんな山里がどのように里山と重なり合うのか。あるいは、「山里、人里」と「里地里山」の重なり合いが生み出す自然観がどのようなものになるのか、じっくり考えてみるべきだろう。