融通無碍で伸縮自在の「今」、「現在」

 昨日の結論は「私たちは時間的に幅のある変化の中で知覚し、意識し、その知覚や意識の表象内容は外部世界の因果的変化の一部である」だった。「今」や「現在」は融通無碍の伸縮自在の存在であることを再確認してみよう。
 物質の構造となれば空間的な分子構造を想像してしまうのだが、物質間での化学反応となると、それは一連の過程をもつ出来事として扱われてきた。出来事としての反応は、時間の幅がある因果的な変化として捉えられ、反応の始まりと終わりが決まらないと何も生じないことになっていた。出来事や状態変化には始まりと終わりが不可欠であり、それゆえ、時の経過、持続、流れと呼ばれるような時間の区切り、幅のあるまとまりが出来事には必要になっていた。
 となると、瞬間の出来事などどこにもないことになる。瞬間とは架空の絵空事に過ぎなく、物理学のモデルの中にしか存在しないイデアのようなものである。瞬間とは実に見事な「方便」なのである。誰も瞬間を見たことがなかったのに、写真に始まる映像装置の発明は瞬間の把握という夢を抱かせることになった。だが、静止画像の瞬間は正確な瞬間ではない。にもかかわらず、静止画像が十分に瞬間を捉えているという認識は間違ってはおらず、あちこちで利用されている。それと同時に、その静止画像が狭い時間幅の画像であることもほぼ常識となっている。
 生涯現役だという楽観主義者にとっては、その人の人生が途切れることなく持続していて、生きている間は現在が持続するということになる。一方、悲観論者たちは「すべては過去」と嘆き、人生を恨む。「死は過去を生み出す、死は未来を消す」と悲観的な台詞を叫ぶ人がいれば、「生は未来を生み出す、生は過去を棄てる」と能天気に見得を切る人もいる。いずれにしろ、人の一生が現在と捉えられる場合から、一生とは過去、現在、未来が常に変化していく波乱万丈の世界だと捉える場合まで、時間は融通無碍で伸縮自在のものとして扱われている。人だけではなく、自然のあらゆる状態が変化していき、その中で様々な反応が生じ、出来事が起こり、昼夜が交代し、季節が移り変わって行く。変化こそ自然の本性であり、その中で時間も出来事に劣らず変化している。
 自然の変化には持続的な経緯が不可欠で、その変化に共通する特徴は原因-結果という因果的な変化にある。つまり、どんな変化も因果的な変化なのである。原因のない「突然の変化」は起こらない(「突然変異」はmutationであって、sudden changeではなく、ちゃんと原因がある)。どのような変化にも原因があり、さらには結果もある。一つのまとまった変化の原因と結果は異なる時刻をもち、それゆえ、時制のある表現の場合とそうでない場合とに分かれる。例えば、四季の変化の表現に時制はない。だが、特定の年の変化には時制が必要となる(理由は後述)。現在起こっていることが終わると、それが過去になり、まだ起こらないこととして未来がある。現在のもつ物語性はそれを表現しようとすると時制が必要になってくる。時制の入らない化学反応と、時制が不可欠な殺人事件の経緯との間の違いの説明は意外に厄介なのである。
 通常ならば、化学反応は前提から結論に至る過程として説明される。前提の内容が満たされるなら、推論の結果は因果的な結果として演繹される。実際は論理的な推論の結果なのだが、それがあたかも因果的な物語のように解釈できるのである。因果的物語では時制はとても大切な舞台装置なのだが、証明という推論過程では時制はどこにもない。だから、演繹的な推論は時間から独立している。説明か記述か、いずれを優先するかに応じて、時制があるかないかが変わってくる。推論の中では時間についての前提がない限り、「今」や「現在」は瞬間として扱うのが最も簡単である。時間に関する仮定を特別につけない限り、実数による時間表現は現在や今を一つの実数に対応させ、それは大きさのない点として幾何学的に表現されることになる。点を瞬間と解釈するのが自然であり、その結果、私たちは物理世界でも瞬間があり、それが点に対応すると思い込んできた。それで何も支障はなかった。
 過去、現在、未来などの時制は堪えがたいほどの捉えどころのなさをもっている。時制という概念は言葉の文法規則ということだが、科学的根拠のない約定であり、常識に基づいた規則と言ってもいいのではないか。文法規則はないと困る規則だが、あくまで便宜的な規則であり、外国語を学ぶ際にマスターしなければならないと感じる程度の規則である。異なる言語が異なる時制規則をもつことは、私たちの時間意識は地域によって微妙に異なることを見事に示している。時制は相対的で、地域的で、それゆえ、「現在」も相対的で、普遍的ではないことになる。
 こうして、様々な面から、「今」や「現在」は融通無碍で伸縮自在の持続する時間を指していることになる。