記憶を知れば、それを書き換えたくなる

 嫌なことは忘れ、いい思い出だけ残しておきたい。それが脳科学の進歩によって実現可能となるとしたら、あなたはどうするでしょうか。身体の病気を治すように心の病気を治すことに異を唱えなければ、記憶の書換えが治療の有力候補になってきます。

 自分の体験した出来事や過去についての記憶が抜け落ちてしまうのが記憶障害で、認知症の主要な症状の一つ。この症状は自覚のある物忘れとは違い、忘れた自覚がなく、日常生活に支障が出てきます。新しい出来事が覚えられない、覚えたはずなのにすぐに忘れてしまう、覚えていたことが思い出せない、といったことが起こります。最近のことからだんだん忘れていくという特徴があり、次第に悪化していきます。
 その記憶とは何かについてこれまで何回か考えてきました。新しい情報(経験内容)が脳に記銘、保存され、その情報が再生されることが記憶。新しい情報が重要でない場合、一時的に覚えているものの、消去されます。でも、重要な情報の場合は、一時的に保存された後に長期間保存されることになります。関心のあるものを一時的に保存する器官である海馬を「イソギンチャク」、重要な情報を頭の中に長期に保存する機能を「記憶の壺」に喩えると、認知症による記憶障害は次のように説明できます。
 人間には、目や耳がキャッチした情報の中から、関心のあるものを一時的に貯えておく器官と、重要な情報を頭の中に長期に保存する「記憶の壺」が脳の中にあると考えられます。いったん「壺」に入れば、普段は思い出さなくても、必要なときに必要な情報として取りだすことができます。認知症になると、一時的に貯えておく器官が衰えてしまい、「壺」に納めることができなくなります。新しいことを記憶できずに、直前に聞いたことさえ思い出せなくなります。病気がさらに進行すると、「記憶の壺」まで溶け始め、覚えていたはずの記憶も失われていきます。
 記憶の分類としては、長さについて短期(即時)記憶、長期(遠隔)記憶があり、内容についてエピソード(出来事)記憶、意味記憶、手続き記憶があります。短期記憶は記憶を貯蔵する時間が数十秒から1分程度と短い期間のみ残る記憶のこと。認知症になると、新しいことを覚えにくく、具体的には、今日の日付が分からない、どこに物を置いたか忘れる、何度も同じことを聞くなどの症状が見られるようになります。これが短期記憶障害です。認知症初期には比較的直近の記憶から失われていき、次第に思い出せない事が増えていきます。
 長期記憶には、記憶を貯蔵する時間が数分から数日間残る場合(近時記憶)と、数日以降発病する以前に学習した記憶が残る場合(遠隔記憶)とがあります。誰もが知っている「祝日の名前」、「自分が通った学校の名前」、「自分の職業」などについても、認知症が進行すると忘れてしまい、最終的には家族の名前や顔も忘れていきます。これが長期記憶障害です。
 学歴や職業など、自分が生活してきたことや体験したこと(エピソード)そのものを忘れてしまうのがエピソード障害。本人は体験自体が抜け落ちているので、周囲と話がかみ合わなくなります。ものや言葉の意味を忘れてしまう障害が意味障害。「あれ」とか「それ」などの表現が多くなり、意思疎通が難しくなります。
 手続き記憶は本人が繰り返し学習や練習によって身につけた技術や、無意識のうちに記憶していること。例えば、自転車に乗る、泳ぐ、ピアノを弾くなど。認知症になっても、比較的体得した記憶は残りやすいと言われています。
 こうして、認知症の進行に合わせて記憶障害の症状が悪化していくのです。

 自転車に初めて乗ることができたときの気持を、私は覚えているだろうか。初めてキスをしたときや、初めて失恋したときはどうだろう。そうした記憶と感情は、私たちの心に長い間残り、蓄積され、私たち一人ひとりを形成してくれます。一方、深刻なトラウマを経験した場合、恐ろしい記憶は人生を変えてしまうほどの精神疾患の原因ともなります。 でも、恐ろしい記憶がそれほど強烈な痛みをもたらさないとしたらどうでしょうか。人間の脳の発達に関する理解が深まりつつある現在、PTSD心的外傷後ストレス障害)やうつ病アルツハイマーといった疾患に対処するため、記憶を書き換える治療法が実現されるかも知れません。実験はまだマウスなどの動物を中心に行われている段階ですが、人間を対象とした試験を視野に入れつつあります。すると、個人の人格を形成するものの一部を変えることが許されるのかという倫理的な問題が出てきます。とはいえ、さほど遠くない未来に私たちは人間の記憶を書き換えることができるようになるでしょう。今のところ、本当にそこへ踏み込むべきかどうかは誰にもわかりません。
 一つの記憶は「記憶痕跡(エングラム)」と呼ばれます。これは特定の記憶に関係する脳組織の物理的な変化を指しています。脳のスキャンによって、記憶痕跡は脳の一つの領域に孤立しているのではなく、神経組織に広く分布するように存在していることがわかってきました。記憶は一つの特定場所にあるのではなく、網のようなものだと思われています。というのも、記憶には視覚的、聴覚的、触覚的な要素が含まれており、これらすべての領域の脳細胞から情報がもたらされる総合的なものだからです。
 現在の科学は、記憶が脳内をどのように移動しているかを追跡するところまできています。マウスの脳内で一つの記憶痕跡を形成している細胞群を操作し、誤った記憶を作りだすことに既に成功しています。この時の実験では、脳への特別な刺激によって足に電気刺激が与えられるという恐怖を、そのときにマウスがいた実際の場所ではなく、記憶の中にある別の場所と結びつけて覚えさせました。そして、ポジティブな記憶とネガティブな記憶はそれぞれ別の細胞群に保管されているのかどうか、またネガティブな記憶をポジティブな記憶で「上書き」できるかどうかが追求されました。ポジティブな楽しい記憶は、オスのマウスをメスのマウスを1時間一緒にケージの中に入れておくことによってつくられます。一方、ネガティブな記憶は、別のケージで体を固定するなどのストレスを与えることによってつくられます。マウスがそれぞれのケージで体験と刺激を関連付けて覚えたら、次はそうしたポジティブあるいはネガティブな記憶痕跡と関わる細胞群を、研究者が操作できるような手術をマウスに施したのです。この実験によってわかってきたのは、ネガティブなケージの中にいるマウスの脳を刺激してポジティブな記憶を活性化させると、マウスが以前ほど強く恐怖を感じなくなるということでした。この記憶の「書き換え」は、マウスの心的外傷を消すのに役立つのではないかと考えられています。でも、元の恐怖の記憶が完全に上書きされるのか、それとも抑制されるだけなのかはよくわかっていません。ワード文書で例えるなら、記憶を新しいドキュメントとして別に保存したのか、元の文書を上書きしたのかがわからないということです。
 マウスを使った実験は基礎的なものに過ぎませんが、これが人間の治療に利用される日はいずれやってくるでしょう。トラウマ的な記憶はポジティブな情報で書き換えることができることになると思われます。そうすれば、PTSDうつ病に苦しむ人々は、記憶を入れ替えて、痛みを伴う思い出に極端に感情的な反応をせずに済むようになる筈です。いつの日か人間の記憶を書き換えられるようになるとして、その治療を受けられるのはどんな人でしょうか。それは多額の治療費を払える人に限られるのでしょうか。子供の場合はどうなるのでしょうか。また、重要な目撃者や被害者が犯罪の記憶を持たなくなることは、司法制度にとってどのような意味をもつのでしょうか。こうした疑問は山ほど出てきます。
 神経科学の研究が進むにつれ、医療倫理の抱えている倫理的なジレンマがそのまま同じように登場するのです。記憶操作の技術そのものは善でも悪でもなく、これまでの医療技術と同じように善にも悪にも使うことができるのです。そのような状況が予想できる中で、記憶の書き換えがもつ他の技術にはない独特のものが何なのか、それもまだ今ははっきりしないのです。