忘れること:幼児期健忘

 健忘症は病気だが、病気でない健忘から考えてみよう。記憶の構成要素は記名,把持,追想の三つだと既に述べたが、時間的に限られた一定期間の経験をそれら全ての障害によって思い出せない状態が健忘である。人は赤ん坊の頃のことを憶えておらず、これが幼児期健忘と呼ばれている。幼い頃の重要な出来事(弟や妹の誕生,祖父母の死亡など)について調べると、多くの人が詳しく思い出せたのは3歳以降で,それ以前についてはほとんど何も覚えていないことがわかった。だが、乳児期が何も記憶できないわけではなく、人の生後三か月で1週間、四か月で2週間ほど記憶が保持されていることがわかっている。また、チンパンジーの胎児に音を聞かせた後、母体を通じて不快な振動を与えるという「驚愕反射の条件づけ」を行うと、生後一か月と二か月時のテストで,胎児のときに与えられた音にだけ驚愕反応を示した。
 三島由紀夫の『仮面の告白』は「永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。」という文で始まる。人生の最初の記憶として、自身の誕生時の様子を想起できる人はまずいない。とはいえ、皆無ではなく、幾つも赤ん坊時代の記憶の報告がある。私自身の記憶は3歳過ぎの頃のもので、ごく標準的であり、駅に母親を迎えに行く記憶である。
 では、なぜ私たちは赤ん坊の頃のことを覚えていないのか。大雑把に分けて二つの考えがある。一つは、乳幼児期の学習は未熟で、記憶をうまく固着できない(記銘の失敗)とする考え。もう一つは、記憶の貯蔵に必要とされた神経ネットワークが後に発達したものに飲み込まれ、当時の記憶を思い出せない(検索の失敗)とする考え。それぞれに合致する結果があり、今は検索の失敗説のほうが支持されているように思われる。いずれにせよ、脳の発達と大きく関わっている。生後ゆっくりと脳が発達するネズミには人と同じく幼児期健忘があるのだが、生後2,3日で脳が完全に発達してしまう早熟のモルモットには幼児期健忘がないのである。

<検索の失敗>
 記憶の貯蔵が永続的なものなら、初期の経験が再生できない理由は記憶検索の問題ということになる。これは適切な状況さえ整えば、幼児期健忘の期間の記憶も再生されるかもしれないという可能性を示唆している。こうした考えの中で最も有名なのがフロイトの説だった。彼によれば、幼児期健忘は乳幼児期に経験したトラウマを抑圧するための積極的な過程である。つまり、幼少期の記憶は意識の届かない場所に追いやられていて、そのため簡単に想起することはできないが、実際は元のかたちのまま残っているという考えである。現在では、フロイトの理論を幼児期健忘の原因とする考えは否定されている。だが、本人が意識的に気づかなくて、過去の記憶が保持されているという考えは、形を変えて現在の記憶理論の中にも見出せる。例えば、近年研究が盛んな潜在記憶の追求では、私たちの記憶には想起の際に意識を伴う通常の記憶(顕在記憶)の他に、意識を伴わない潜在的な記憶があると考えられている。そして、潜在記憶は誕生直後から存在し、幼児でも大人と変わらない機能を持っているのに対し、顕在記憶は誕生時には未成熟で、成長につれ発達していくものという見方が主流となってきてい る。こうした考えに基づけば、生後しばらくの間に経験された出来事は、潜在記憶としては保持されていても、顕在記憶とはなっていないため、後に意識的にアクセスすることが難しいと説明されることになる。
<記銘の失敗>
 幼児期健忘を説明するもう一つの立場は、その時期の記憶は検索できないのではなく、そもそも記憶から消去されたために想起できないというものである。この立場では、出来事を適切に符号化したり、符号化した記憶を長期間保持したりするのに必要な器官や機能が、誕生直後は未成熟であるために、幼児期健忘が起こると考える。幼児期健忘の原因が未発達さに由来するという立場は数多く存在しており、記憶の符号化や保持に必要なものとして、海馬など脳神経組織の発達、言語の発達、認知の発達、自己の発達など、様々なものが指摘されている。ただし最近の研究では、乳幼児がこれまで思われていたよりも長い期間、出来事の記憶を保持できることが示されており、幼児期健忘の原因を、脳神経系や基礎的な記憶システムそれ自体に求めることが難しくなってきている。こうしたことから、幼児期健忘の原因は、記憶の「ハードウェア」より「ソフトウェア」 にあると主張され、認知的な「自己」の発達が最も主要な要因であると考えられている。最初期記憶が形成されるためには、ある出来事が「私」に起きたものだと理解される必要があり、それには、自己と他者とは異なる存在であるという認識が不可欠となる。鏡の中の自分を認知できる時期を18〜24ヶ月、また人称代名詞を獲得するのもこれくらいの時期であり、幼児期健忘の終結年齢とほぼ一致することがわかる。

 幼児期健忘の原因が検索失敗にあるという説明にせよ、符号化や保持の失敗にある説明にせよ、ここまで述べてきた理論はいずれも、幼児期健忘の原因を個人の脳内プロセスに求めていた。一般的に子どもは1歳半ごろまでに言葉を話し始める。つまり、1歳半ごろまでに言葉を記憶している。よく考えると当たり前だが、それでも赤ん坊の頃の記憶がないように感じるのは、「いつ」、「どこで」、「なにを」したかというエピソード記憶が発達していないからではないのか。「自分自身についての記憶」であるエピソード記憶は発達がとても遅く、4歳ごろから機能し始める。このため、幼児期の記憶がないと感じるのかも知れない。
 さらに、記憶が社会的に構成されるものであることも指摘されている。子どもは親(やその他の大人)と過去の経験について会話することによって、過去の語り方、過去の記憶の他者との共有を学習していく。一方、子どもは3歳過ぎになると、過去の出来事を物語(ナラティブ)の形で語ることができるようになることがわかっており、これは幼児期健忘の終結時期と一致する。すなわち子どもが親との会話によって、過去の経験の語り方を覚えたとき、幼児期健忘が終結すると考えられるのである。過去の記憶について会話する際、母が子に働きかけるスタイルには二つのタイプがあり、どちらのスタイルを好んで 使うかによって、子どもの記憶の量や質が影響を受けるという。つまり、子どもの話を受容し、その内容を広げたり、付け加えたりしながら、子どもと一緒に経験を共有しようとする態度は、子どもが正しく答えられることを求め、同じ質問を繰り返しするような態度に比べ、子どもの記憶によい影響を与える。親が経験共有の態度をもつ子どもほど、最初期記憶が早く出現する、つまり幼児期健忘が早く終結する可能性が高い。