自然の誘惑、自然の搾取

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 花々の手の込んだ誘惑は圧倒的で、昆虫の私には抵抗の術がない。誘惑にのるように仕組まれた私の生得的な性質は私の行動をコントロールし、花々は私を家来の如くに支配し、操ってきた。私を虜にする色、形、そして、私を縛る香りや匂い。巧みな手練手管に翻弄されるだけの私は極楽を味わいながら奉仕させられることになる。
 このことは私が人間でも同じで、自然の企みである風景や景色の見事さに私たちは言葉を失う程に酔い痴れ、自然の誘惑に手も足も出ない。花が昆虫を支配するように、自然の恵みは私たち人間を支配する。自然が花々を含む恵みを生み出し、それらを使って私たちを支配するのだとすれば、私たちは昆虫と何ら変わらない。

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 このように自然やその中の事物に支配され、翻弄される人間像は今の私たちには馴染みの薄いものである。近代以降私たちは自然を支配し、自然の中のものを搾取しながら生きていて、その生き様が強烈ゆえに、人間は一方的に自然を食いものにしてきたとさえ思われている。それが当たり前のことだと盲信されているゆえにか、自然も人間に負けじと人間たちを利用していることなどすっかり忘れ去られている。
 自然はやられたらやり返す。虐められたら虐め返すのが自然である。共生や寄生、正や負の相互関係が自然やその中の事物の間にあり、一方的な支配関係は少数派で、相互にその関係が入れ替わるような変化が起き続けているのが自然である。今日の敵は明日の味方であり、主従関係は変化し、下剋上の世界が展開されるのが自然である。

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 このように見てくるなら、半世紀以上続く環境問題は自然の仕返しを予言していることになるだろう。人間はまず自然の恵みに魂を奪われ、魅入られた。例えば、花の企みに乗せられたのだ。だが、次に人間はそれを巧みに利用して花ビジネスを成功させたのだ。その次は花の逆襲となる筈である。そんな繰り返しが自然と人間の間で起こってきて、それが今の環境問題になっているのである。