我流の哲学史雑感(2)

ピタゴラス:合理と非合理>
 ピタゴラス哲学史における役割は実に複雑である。ピタゴラスは三角形に関する定理(三平方の定理、またはピタゴラスの定理と呼ばれ、直角三角形の直角をはさむ2つの辺の長さを a、b、斜辺の長さを c としたとき、a2+b2=c2が成り立つ、と主張する)で知られるように、幾何学の分野で顕著な功績を残しただけでなく、オルフェウス教団と深い関係をもっていた。彼は特異な宗教的運動を展開し、参加する者たちは「ピタゴラスの徒」と呼ばれ、原始共産制を思わせる共同生活を行っていたらしい。ピタゴラスは合理的な面と非合理な面とを併せ持っていたようである。
 ピタゴラスの哲学者としての業績については、これまでにあまり大きな評価がなされてこなかった。アリストテレスは『形而上学』の中で、タレス以来さまざまな哲学者たちが、アルケーについて思索したと述べ、タレスが水を、ヘラクレイトスが火をアルケーとしたのと同じ意味で、ピタゴラスは数をアルケーとしたと述べている。アリストテレスのこの概説はその後の人々に大きな影響を与え、ピタゴラスは偉大な数学者ではあるが、その数学の原理をアルケーの思索に持ち込んだ風変わりな思想家だという評判が定着することになる。ここにはピタゴラスの思想のもつイデア的な本質を垣間見ることができる。ギリシャ哲学はよく言われるように、存在についての知恵(学問=哲学)であり、あらゆる存在を特定の原理(アルケー)に基づいて説明しようとするところに特徴があった。そして、そのアルケーには、多くの場合、火とか水とか、あるいはそれらの組み合わせとか、要するに可視的で実証的な物質が想定されるのが普通だったが、ピタゴラスはそのアルケーに、可視的ではなくイデア的な原理としての数を考えたのである。
 数は目に見えないが、事象を説明する際の原理になることができる。例えば、あの有名な三角形の定理についても、現実の三角形はいびつでも、その面積は数によって説明できる。同じように完全な円は地上には存在しないが、円の性質は数によって完全に説明できる。ピタゴラスはこのようなことから、事象の本性は眼前にある可視的なものによって説明されるよりも、理念的なものによって説明されると考えた。ピタゴラスイデアを考えたプラトンの先駆者である。
 ピタゴラスは紀元前570年頃、イオニアのサモス島に生まれた。ディオゲネス・ラエルティオスによれば、彼は若い頃にエジプトに滞在したことがあり、またバビロニアの神官たちやペルシャの僧たちのもとにも滞在したこともあった。その折に幾何学を学ぶとともに、オリエント風の宗教的秘儀も身に付けたのだろうと思われる。サモス島が僭主ポリュクラテスによって支配されていたのを嫌った彼は、南イタリアのクロトンに赴き、そこで教団を作って布教する傍ら、クロトンのために法律をつくったとされている。
 ピタゴラス教団の中では、男女平等で、財産はすべて共有とされ、生活スタイルも共通であった。だが、入団に当たっては厳しい審査があり、入団を希望するものは数年間課された課題に立ち向かわねばならなかった。この試練に耐えず入団を許されなかったものにミロンがいたが、ミロンはそのことを根にもって、後にピタゴラスを殺すに至ったとされる。ピタゴラスの徒は家族のような愛に支えられて行動を共にし、あらゆる学問的な発見も集団の発見とみなされた。そのため、ピタゴラスの死後に発見された法則も、ピタゴラスの名に帰属させられたものが多い。ピタゴラス教団の教義の中心をなすものは、霊魂不滅説である。すなわち、霊魂は不死であり、あるもののもとを去っても他のものに移り住んで、永久に生き続ける。存在するものはすべて、この霊魂が周期的に生まれ変わったもので、世界には全く新しいものなど存在しないという説である。ピタゴラス自身、自分はかつてヘルメスの息子アイタリデスとして生きていたと語っていた。アイタリデスが死んだ後、その霊魂は、エウポルボス、ヘルモティモス、ピュロスとして生まれ変わり、ついには今日の自分となった。だから、自分は前世の記憶をすべて保持していると、ピタゴラスは常々言っていたそうである。これはギリシャ版の輪廻転生説で、ピタゴラスはオリエントの思想を吸収する過程で、このような考えを取り入れたのかも知れない。
 ピタゴラス教団には次のような戒律があった。

・ 秤竿を跳び越えてはならぬ
・ 一コイニクスの穀物の上に座してはならぬ
・ 心臓は食べてはならぬ
・ 松の小枝でお尻を拭いてはならぬ
・ 太陽に向かって小便をしてはならぬ
・ 軒下に燕をこさせないようにすること

これらは古来さまざまに解釈されてきたが、戒律の中でももっと重んじられたものは、「ソラマメを食べてはならぬ」というものだった。なぜソラマメが駄目なのか。それが霊魂のような形をしているからだとか、心臓の別の形なのだとか、さまざまな解釈がなされているが、このソラマメのためにピタゴラスは命を失うことになった。既述のミロンが、ピタゴラスを陥れた際に、ピタゴラスは難を逃れようとしてソラマメ畑に逃げた。そこでピタゴラスは、ソラマメを踏み倒して逃げるよりも追っ手の手にかかって死ぬことを選んだのである。
 ピタゴラスを西洋哲学史上の巨人として新たな光を当てたのはバートランド・ラッセルである。ラッセルは『西洋哲学史』の中でピタゴラスを大きく取り上げ、「かつて生を享けた人々の中で最も重要な人物の一人であった」と述べている。ラッセルによれば、ピタゴラスは、自明なものから始まりながらそこに留まることなく、それに帰納や演繹を施すことによって、現実の世界に関するさまざまな発見をした。彼にとっては、理性のみによって理解しうる感覚を超えた世界というものがあり、そこでは厳密で永遠なる真理が存在する。ラッセルは私たちが今日プラトン主義と呼ぶ思想の骨組みはピタゴラスに由来すると述べて、ピタゴラスの偉大性を強調している。

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