我流の哲学史雑感

<心躍った「哲学史」読書体験>
 大学で哲学を学ぼうと思った私は哲学史には関心がなかった。そんな私が1年生の夏休みに読んだのがバーネットのEarly Greek Philosophy(John Burnet, London and Edinburgh: A. and C. Black, 1892.)だった。きっと英語の勉強と思って読んだに違いないのだが、意外に面白かったのだけを憶えている。それで、さらにギリシャ哲学を知りたくなり、選んだのがラッセルの哲学史だった(Russell, Bertrand, History of Western Philosophy, George Allen & Unwin, London, 1947、市井三郎訳『西洋哲学史-古代より現代にいたる政治的・社会的諸条件との関連における哲学史』(3分冊版:みすず書房,1954年12月~1956年1月刊 4分冊版:みすず書房,1959年7月~12月刊 全1冊版:みすず書房,1961年1月刊,831+xxxiipp./ 同上改版:みすず書房,1969年10月刊,831+xxxiipp.)。ラッセルの名前は『数学原理』の著者の一人として図書館でその大著を見て驚き、知っていた(Whitehead, Alfred North, and Bertrand Russell. Principia Mathematica, 3 vols, Cambridge University Press, 1910, 1912, and 1913. Second edition, 1925 (Vol. 1), 1927 (Vols 2, 3).)
 『プリンキピア』の記号だらけの内容に驚くことに劣らず、『西洋哲学史』も奇想天外と言えるほどの内容で、それで私の関心が哲学史に向かったという訳ではないのだが、ラッセルの大胆な物言いにはすっかり魅了されてしまった。
 『西洋哲学史』が出版されたのは第二次大戦後だが、執筆は大戦中ラッセルがアメリカに滞在していた時だった。ラッセルはべーコン、ロック、ヒューム、そしてミルと続くイギリス経験主義(経験論)の伝統を継承し、現代の経験主義哲学を精力的に展開した。「現代の経験主義者は歴史的・思想史的パースペクティヴを欠いている」と批判されるのが定番なのだが、ラッセルの『西洋哲学史』は経験主義者の手で書かれた超一級の哲学史となっている。
 ラッセルによるギリシャから現代にいたる哲学思想の解釈、評価は実に明晰にして判明である。ソフィストや原子論者に対する高い評価、プラトンに対する痛烈な批判など、既存の哲学史とは大きく異なっている。また、ドイツ観念論、特にヘーゲル哲学は仮借ない攻撃に晒される。それはイギリス経験主義者の一方的批判だと抗しても、古代のプラトンや近代のへーゲルがそれぞれ最大の哲学者だと教えられてきた向きには、驚きと戸惑いの連続となるに違いない。
 ラッセルの解釈や評価の独自性は長所であると同時に、欠点でもある。特に、カントに関する叙述は必ずしもフェアでない、という声をよく聞くが、その魅力の一つとなれば、ラッセルのトレード・マークである明快で洒落た文体だろう。その洒落た表現の中に鋭い洞察が込められている。彼は「アリストテレス形而上学は、大まかに言えば、プラトンを常識でうすめたものといってよい。アリストテレスがむずかしいのは、プラトンと常識とは容易にまざらないからである。」と述べる。これなどはアリストテレスの思想の特色を心にくいまでに見事に表現したものである。実際、プラトンにおけるイデア論アリストテレスにおける質料形相論とを比較してみれば、イデア論が常識を徹底的に無視しているために、かえってわかりやすく直観的に訴えてくるのに対し、質料形相論はなまじ常識を顧慮して物性論のごとき体をなして述べられているために、退屈で、晦渋難解なものと化している。確かにプラトンの対話編は面白く、アリストテレスの著作は退屈である。
 二番目の魅力は、哲学、そして学問一般に対するラッセルの厳格な態度が徹底している点である。ラッセルによれば、哲学の本領は一切の希望的観測や自己欺瞞を排して、真理をあるがままに追求する態度にある。すると、全く無私、公平な眼をもって世界の謎を解こうとした古代のギリシャ哲学は、ラッセルにとって哲学のあるべき姿のモデルとして理想の対象となっている。彼によれば、原子論者デモクリトスこそ「……それ以後の古代および中世思想を毒したひとつの欠点を免かれた最後のギリシャ哲学者」であった。デモクリトス以前の哲学者たちの態度は「真に科学的」であったばかりでなく、「想像力と活力に充ち、冒漬のよろこびに溢れていた。」、「かれらはあらゆるものに興味を示した-流星や日月食に、魚や旋風に、宗教や道徳に。かれらは透徹した知性と小児のような熱狂とを兼備していたのである。」(原子論こそギリシャ哲学の見事な仮説であることには私も大賛成で、既述のアリストテレスの質料形相論よりずっと優れている。)だから、デモクリトス以後の哲学に「不当に人間に重点をおいた」ものの見方が出てくることにラッセルは抗議し、プラトン以後の伝統の中で道徳への強い関心が「世界の学問的認識」への探究を鈍らせる結果となったことを慨嘆している。常識的な哲学史では、ソクラテス以前のギリシャ哲学は素朴な自然哲学に過ぎず、ソクラテスが人間中心の「真の」哲学を初めて説き、それをさらに発展させたのがプラトンであり、アリストテレスである、ということになっている。
 そんなラッセルの哲学史によれば、哲学の出発点にいるのがターレスである。そのターレスをラッセル風にまとめれば、最初の数学者にして最初の哲学者。
Thales of Miletus (624 – 546 BC)
Thales of Miletus was considered by Aristotle to be the first Greek philosopher. The twentieth century philosopher Bertrand Russell says that Western philosophy begins with Thales. Thales was the first mathematician in that he recognized the need for deductive reasoning.
 私の学生時代の哲学史体験を出発点において、これまでの哲学の歩みのほんの一部を我流で辿りながら、常識にとらわれることなく、非常識なアイデアに積極的に眼を向け、現在と未来の知識を見つめてみよう。