二つの説明と私の感覚経験

(1)
 色覚とは可視光線(400~800 nm)の各波長に応じて生じる感覚のこと。網膜には、長波長(565 nm)、中波長(545 nm)、短波長(440 nm)付近の光に感度の高い視物質を持つ三種類の錐体(すいたい)が存在し、それぞれL-錐体(旧:赤錐体)、M-錐体(旧:緑錐体)、S-錐体(旧:青錐体)と呼ばれている。目に光が入るとこの錐体の視物質が反応し、その情報が網膜から視神経を伝わって大脳皮質の視覚中枢に運ばれ、色覚が生じる。
 さて、その色覚の異常は先天色覚異常と後天色覚異常の二つで起こる。先天色覚異常は遺伝による錐体視物質の異常でX連鎖性の遺伝(伴性劣性遺伝)をして、日本人での頻度は男性の約5%、女性の0.2%である。それ以外の原因、例えば、目や脳内の病気などによる色覚障害は後天色覚異常と呼ばれる。
 先天色覚異常には程度によって1色覚(旧:全色盲)、2色覚(旧:色盲)、異常3色覚(旧:色弱)と分類され、問題となる錐体の種類によって1型色覚(L-錐体の異常)、2型色覚(M-錐体の異常)、3型色覚(S-錐体の異常)と分類されるが、1色覚や3型色覚は極めて稀で、通常、色覚異常といえば、2色覚や異常3色覚、1型色覚や2型色覚である。なお、一般には弱視と間違われることがあるが、先天色覚異常では視力は正常である。
(2)
 紀元前4世紀頃、プラトンアリストテレスは「色彩とは何か」について考えた。プラトンアリストテレスの色彩の哲学はその後のヨーロッパの色彩文化に長い間影響を及ぼし続けた。二人の色彩についてのユニークな考えは次の通り。
プラトン:混色して新しい色を作り出すことは神に対する冒涜行為である。
アリストテレス:すべての有彩色は白と黒の間に位置づけられる。
 ギリシャ文明を受け継いだローマでは、色を表現する多種多様な材料が発見され、豊かな色彩語彙と多彩な表現技術が発展した。プラトンの「混色して新しい色を作り出すことは神に対する冒涜行為である」が中世ヨーロッパに受け継がれ、例えば、黄色と青色を混ぜて緑色を作ることは行われておらず、自然物から孔雀石、石緑などの天然緑色顔料を代用していた。
 ルネッサンスになると、レオナルド・ダ・ヴィンチの解剖学や透視図法、明暗画法などの新知識に基づいて、対象を忠実に表現するヨーロッパ独自の美術がスタート。さらに、新しい油絵の具によって、混色による写実的表現が可能になり、神話や聖書までもリアルに描かれるようになった。この時代の絵画論には、絵の具や染料の種類やその混色技法、色彩の対比現象、色彩調和についての記述が登場する。
 17世紀になると光学研究が進み、ニュートンのスペクトル発見に結実する。光に関する関心は、画家にも共有され、カラヴァッジオルーベンスレンブラント、ヴェラスケスなどにつながるバロック美術が生まれた。フェルメール、ジョルジュ・ド・ラトゥールなども17世紀の代表的な光の画家である。そして、絵画表現に光と闇を対比させ、初めて光学的に正確な明暗が法を実現したのは、バロックの画家たちだった。
 1704年にニュートンの「光学」が発刊されたのをきっかけに、スペクトル光による混色実験が行われるようになり、初めて補色が認識された。また、美術家や工芸家は色料の混合から経験的に三原色を知り、18世紀末にフランスの印刷業者ル・ブロンが世界で初めて赤、黄、青の三原色によるメゾチント印刷に成功した。
 19世紀、ヨーロッパの時代的関心は、主に人間の視覚に向けられ、ニュートンの「光学」に対する批判から、主観的な色彩現象に注目したゲーテショーペンハウアーの色彩論が発表され、19世紀初めのヤングの三原色仮説を発展させたヘルムホルツ、マックスウェル、グラスマンなどの色彩理論が生まれた。さらに、1870年代には、もう一つの色彩理論、へリングの反対色説が発表された。

 これらの叙述、説明、解説を構成しているものは色覚や色彩についての知識であり、当然ながら言葉を使って述べられている。それは私の色の感覚経験そのものではない。色の経験は知識にもなるが、色の感覚そのものである感覚質は知識かと問われると私の意識は途端に霧に覆われ出すのである。経験する色と知識として認められている色の記述は、固有名と確定記述(proper name、definite description)の如く大きな隔たりがあるように思えてしまうのである。固有名と確定記述はいずれも言語表現だが、色経験とその知識とは異なるレベル、領域の事柄で、断絶しているように見える。さらに厄介なのは、多くの人が断絶していると主張しながら、どのように断絶しているか誰も説明できていないことである。
 そんな小難しい哲学の話を離れて、できるだけわかりやすく問題状況を捉えようとするなら、上述の二つの話と自らの色の感覚経験を静かに比較してみることが第一段階ではないだろうか。自らの色経験と二つの話は随分と違うと感じ、何が違うのかと考えてみることが第一歩ではないだろうか。そこで、二つの話の前提になっているのが色経験なのか、色経験を理解するための知識が二つの話なのか、自問自答してみよう。さらに、それとも二つの話と私たちの色経験は互いに補完し合っているのか、両方が入り乱れているのが実情なのか、問い直してみるのもいいだろう。
 丁寧に見比べる、考え比べることによって、色の直接経験、色の感覚質、色の知識としての科学的知見や歴史的知見、色の文化や伝統、さらには美術、それらの間の関係が少しはわかりやすくなるのではないか。そして、色に関する感覚、知識は基礎づけ主義的な構図で理解できるのかどうかが解明されていくのではないか。
 「色を食べ、美を味わい、形に触る」ことに私たちは共感できる。それは私たちが感覚経験を持つからだけではなく、それを学習し、知識として経験できるからである。生得的な感覚は学習によって獲得的な知識も理解できるように変化するのである。私たちは誰もこのような直観的内容を説明したいと願っているのではないか。