ルールとその表現(2)

 定型詩としての俳句のルールは定型(5-7-5)と季語。俳句の場合、作者の信念や感情の表現が主で、事実や真理の主張は従に過ぎません。ですから、ルールはできるだけ少なく、ルールにとらわれず、作者が自由に自らの心的内容を読者にうまく伝えれば、それで十分なのです。これは真理の表現、正しく正確な表現を主とする科学とは大きく異なっている点です。文学のルールは分脈的で、時代と共に変化する習慣のようなものです。定型と季語のルール、たったこれだけ、後は作者の自由です。俳句をつくる自由とはルールが少なく、ルールが目立たないことです。むろん、これだけではなく、背後に日本語のルールが歴然と存在していますが、それは前提されての俳句なのです。季語を無視し、定型さえ気にしなくなれば、俳句のルールは喪失し、ほぼ自由に何でも許されることになります。それが前回挙げた山頭火の句によく出ています。
 「私が日本語を使って感じ、表現する」風景は「私が数学を使って知り、表現する」自然とは様々な点で大きく違っています。俳句が描く風景と数学が描く自然は好対照です。でも、私にとっては同じ自然を二つの異なるルールを使って表現しているに過ぎないのです。そこで、数学を使ってルールを正確に表現し、それを使って自然を表現する科学の方法を考えてみましょう。

・ルールの形式化:量と質、そして数
 ところで、ルールにはどんなものがあるでしょうか。論理規則、文法規則、自然法則、倫理規則、心理法則、歴史法則、宗教教義、法律等々、あらゆる分野で法則や規則が支配していて、それを把握することによって、その分野の現象が理解され、説明できると考えられています。色んなルールについて、それぞれの本性を明らかにしながら、ルールの哲学として、寛容でない仕方で厳格なルールの表現には何が必要だったのかを振り返ってみましょう。量や質について、それらを正確で公平に表現するために不可欠だったのが「数」とその表現だったのです。
 既に俳句の規則の話をしましたが、量と質についての話に転じましょう。量と質は異なるもので、量は数学的に表現でき、質は直接に感じとられるものというような区別が遥か昔から受け入れられてきたようです(では、「質量」と言う語彙は一体どんな意味になるのでしょうか。*この問いを英語でしてみると、この問いが大した意味をもっていないことがわかるでしょう。)。量とは数によって表すことができるもので、身長や体重、国土や都市の広さ、山の高さ等様々な量があります。一方、質は感覚的な色や匂い、製品の品質等、一般には数的な表現ができない、あるいはそれが困難と思われているもので、精神的なものはもっぱら質として扱われてきました(精神的、心的なもので量的なものは果たしてあるのでしょうか。確かに大きな悲しみ、僅かな楽しいと言いますが…)。実際、日常生活では、量は数詞によって、質は形容詞によって表現されてきました。
 では、どんな量も自動的に数的な表現ができるのでしょうか。そんなことができたら、人類の歴史はすっかり変わっていたことでしょう。「重いこと」と100kgとはまるで異なることです。量(そして、質)をどのように数的に表現するかの工夫と努力が知識を生み出し、今日の文明を生み出したといっても過言ではありません。「数量化」などという表現に惑わされてはなりません。数と量はそもそもまるで異なる概念なのです。それをはっきり示す証拠となれば、量を扱う数学が幾何学、数を扱う数学が算術や代数、これらが異なる数学であるというのがギリシャ時代の常識だったことを思い起こせば十分です。
 質が数で表せないというのも真っ赤な嘘です。水質も品質も測ることができ、(米や麦の)等級さえ正確に数的な表示が可能です。大抵の性質は比較することができ、それゆえ良質なものと悪質なものの区別ができ、それを精巧に、効率よく扱おうとすれば、数的な表現になる訳です。
 量と質を数を使って表現すること、そして表現された数を自由に演算可能にすること、この二つが幾何学の代数化であり、それを可能にした一人がデカルトでした。量も質も数で表現するには同じように工夫が必要で、量=数でも、質≠数でもなかったことに注意しておかなければなりません。
 質と量、そして数は、このように意外に厄介な関係を引きずってきたことがわかったと思います。中でも、その厄介な関係を清算して、数の適用を質や量に対してスムーズに行うことが「自然の数学化」に大いに貢献したのです。この点についてはガリレオの自然の数学化を批判したフッサールも文句は言わない筈です。
 「量から解放されて数になる」というのが私の意見です。 「量と数」の関係は「量と質」の関係に似ていると言うと、何やら哲学的な雰囲気が漂ってきます。「量から質への転換」はヘーゲルであれば「弁証法的な止揚プロセス」だと断言することでしょう。量や質の議論には量や質が何なのかをきっちり理解しておかなければなりませんが、それは数についても同様です。量や数の理解が進むにつれて、二つの間にどのような関係があるかが次第にわかってきます。「量を偏ることなく表現する言葉として数を創造し、その数を使って量を表現する」ことを少々刺激的に辿ってみましょう。要するに、数は量を表現するのですが、量とは別物だということで、ものと言葉が別物であるというのと同じことです。
 古代ギリシアでは数と量という概念は異なるものとされていて、『原論』には次のように述べられています。
・数とは、基数(事物の個数を表す数で、順序を表すのは序数)のことである。
・量とは、長さ、広さ(さらに、重さ,速さ)のような、互いに比較できるものである。
・同じ種類のものの量しか比較できない。
 同種の量しか比べられないということは,ユークリッドの卓見のように見えます。確かに、人の体重と身長は比べられません。ですから、ギリシアでは量の積が意味をもたず、存在しないことから、それぞれの量の数の積も存在しないと見做されました。でも、これでは今の私たちがしているような自由な代数的な計算ができないことになります。そのため、「量」を代数の世界から追放することが「純粋」数学の成立に不可欠なのです。数概念の確立に至る歴史は、ギリシア以来数学における最も重要な概念の一つと考えられてきた量という概念を数学から抹殺し、消し去る歴史と言うことができます。量と数は相性が悪いのです。つまり、量という物理世界とつながる概念が追放されたことと純粋数学という概念が市民権を得たこととは同じことだと大見得を切ることができるのです。19 世紀に入って数学の「算術化」運動が起こりました。これはすべての数学は算術に還元できるという思想に基づいています。量概念が駆逐されたのもこの運動の一環であり、「還元」という形式によって量概念が純粋数学から駆逐され、否定されたのです。
 まずは量ですが、高木貞治によれば,量とは次の性質を満たすものです。
1. 同種の量は大小の比較ができる。
2. 加法+を持ち,足し算ができる。
3. 同種の量の足し算は順序を変えない。つまり、A<B ⇒ A+C<B+C。
4. どの量も正である。つまり、A<A+B。
5. 同種の量は大きいものから小さいものを引くことができる。
6. 同種の量の大きさには切れ目がない(量の連続性)。
これらを前提に量と数の関係の歴史を振り返ってみましょう。
 ディオファントス(『算術』: 3世紀頃)は分数(有理数)を数と認めています。これがアラビア世界、そしてヨーロッパに受け継がれ、「数」と言えば、分数を指すようになっていました。
 16世紀の技術者シモン・ステヴィンは小数を利用しましたが、数を線型的に捉え、それぞれの数を平等に見ることに大きく寄与しました。ステヴィンの著書『算術』(1585)には「数はそれによって物の数量が説明されるものである」と述べられています。また、数は連続的で、連続的な水が連続的な湿度に対応するように連続量は連続数に対応します。馬鹿げた数、無理な数、不規則な数というようなものはありません。
 ヴィエトは代数の曖昧さは幾何学的な「次元」を統一しないことに由来すると主張し、次元の統一を要請しました。すなわち、現行の記号で書けば,xの3乗 は立方体を表し、xの2乗 は正方形を表すのだから(xの3乗)+3x = 2といった式はナンセンスだと言うのです。ヴィエトは自分の創始したパラメータを表す文字を使うことによって、例えば、xの3乗+ 3(aの2乗)x = 2(bの3乗)というように次元を統一することを提案しましたが、これこそデカルトの「すべての量は線分として把握できる」という主張の先駆となるものでした。
 デカルト幾何学的な量の概念の1次元化を行いました。すなわち、aの3乗 は(aの2
乗)× a と定義され、線分で表すことができるという主張です。でも、負の量を扱っていないし、また座標系という概念もまだ不完全です。オイラーは『代数学入門』(1768)で「数とは,一つの選ばれた単位の量に対する比以外の何物でもない」と述べています。また、負まで含めた直交座標系はオイラーが完成しました。
 有理数から実数を構成する(あるいは,説明する)方法は、周知のようにメレーおよびカントル、ワイヤシュトラス、デーデキントによってそれぞれ提案されました。フレーゲも『算術の基本法則』第II 巻(1903)において独自の実数論を展開しています。実数を量の比と捉え、基数と実数を截然と分離する考え方を貫いたものでした。
 19 世紀末の自然数論はどうなっていたのでしょうか。デーデキントの仕事(「切断」による実数体の定義、および自然数論の研究)、クロネッカーの有名な主張も算術化運動として理解することができます。有理整数環、実数体複素数体などの代数系を厳密に定義する作業が一通り終わって、最後に残ったのが自然数論(算術)の体系の扱いでした。すべての数学を算術に還元する算術化運動は最終局面に達して、その算術そのものをどのように厳密で揺るぎないものとして捉えるかが問題にされることになった中で大きな役割を果たしたのはデーデキントとフレーゲでした。デーデキントは『数とは何か』(1887)において素朴な立場で集合論を展開し、算術の体系の集合論的基礎付けを行いました。この著作は,公理的集合論の先駆けとなるものです。この著作を現代数学の目で精査するとき、
1. 無限集合の存在の素朴な「証明」、
2. デーデキント無限と通常の無限の同値性の「証明」、
3. 性質P を満たす要素x の全体はつねに「集合」になるという「内包原理」、
といった問題点が挙げられますが、時代を考えれば、これはデーデキント個人に帰されるような欠陥ではありません。無数にある自然数に関する命題の本質を,数学的帰納法を含む幾つかの命題(いわゆる「ペアノの公理系」)に還元したのはデーデキントの偉大な業績です。数学者デーデキントの関心は、数学的推論を精密に分析し、幾つかの基本的推論へ還元することではありませんでした。一方、論理学者フレーゲは人間のあらゆる理性的な判断に普遍的な部分を論理学と捉え、数学も論理学の一部であると主張し、その観点から自然数論の基礎付け(論理学への還元)を探求しました。デーデキントもフレーゲも論理主義者ということになっていますが、両者の間には徹底の度合いという観点から見ると相当な違いがあります。フレーゲは現代の数学を支える述語論理の創始者かつ完成者と言っていいでしょう。フレーゲの論理学は現在の言葉で言えば,第2 階の述語論理です。
 少々ややこしい話になってしまいましたが、量から解放された数は最終的に自然数とその算術へと還元され、純粋数学の理想の姿の一つが手に入ったのです。