「LGBTと心身二元論」(3)

 これまで2回に渡って「LGBT心身二元論」というタイトルで議論してきた。その結果、心身二元論と並んで、「生得的な形質と獲得的な性質」という文脈もLGBTの議論には必要であることがはっきりしてきた。そこで、セックスという生得的な形質からジェンダーという獲得的な性質への移行変化という観点から眺め直してみよう。
 トランスジェンダー(Transgender)は、ラテン語で「乗り越える」を意味する「トランス」という言葉と、英語で「社会的性別」を意味する「ジェンダー」との合成語。だから、直訳すると、「性を乗り越える」という意味だが、一般的には生まれた時の性別と自分で認識している性別が異なる人を指している。だが、その具体的パターンは個人の数だけある。
 「トランスジェンダー」という言葉の横にあるのが「性同一性障害」。「性同一性障害」は医学的な疾患名。自分の身体の性別と自分の意識の性別が異なり、性の適合を願うという状態に対する病名である。性自認と異なる自身の身体に対する違和感や嫌悪の強い状態が障害となっている。トランスジェンダー性同一性障害の違いは、心と身体の性別を一致させたいと願っているかどうかにある。トランスジェンダーには自分の身体の手術を望まない人もいる。そのため、トランスジェンダーと言う言葉は性同一性障害という言葉よりも広義に使われている。
 では、「心と身体の性別が違う」とはどのようなことなのか。私たちの通常の語り方、考え方では「自分で意識する性別と、身体の性別が異なる」という意味だと受け取られている。性同一性障害の例で身体は男性なのに性自認は女性というのは了解できる。そして、恋愛対象が男性と女性のバイセクシャルであるのもわかる。だが、性同一性障害かつバイセクシャルとはどのようなことなのか。性自認が女性ならば、男性を好きになるのではないか。これが普通の反応なのだが、そうしたらレズビアンはどうなるのか。さらに、生まれついての女性のバイセクシャルはどうなるのか。話はややこしくなっていく。既に、ジェンダーの三つの要素を紹介した。
gender identity(性自認):自分はどちらの性別に属するか
sexual orientation(性指向):自分の恋愛対象はどちらの性か
gender role(性役割):自分はどういう性的役割を担うか
これにセックスの部分を加えるなら、次のようになるだろう。
1. 「生物学的性」
これは染色体や遺伝子情報などから判断される性で、いわゆる「身体の性」。男性、女性、中性(男性とも女性とも判断できないインターセックス)がある。
2.「性自認
自分で自分の性をどう思うかが性自認。例えば、自分は「男」だと思うのか、それとも「女」だと思うのか。男か女の答えの他に、「男女どちらとも言えない」、「どちらでもない」、「わからない」など、色んな答えが考えられる。
3.「性指向」
「誰を好きになるか」が性指向。同性が恋愛対象になる人(ホモセクシュアル)、異性が恋愛対象になる人(ヘトロセクシュアル)、どんな人も恋愛対象になりうる人(パンセクシュアル)、誰も恋愛対象にならない人(アセクシュアル)など、様々ある。また、「恋愛対象として好きになる」ことと、「性的対象として好きになる」は別であり、相手に対して「恋愛感情は抱くけれど、性欲は抱かない(ノンセクシュアル)」という場合もある。
4.「性役割
上記の三つが身体や内面など、個体としての特徴であったのに対し、性表現は「社会的な性」という視点が入る。男らしい、あるいは女らしい服装や言動をすること、つまり自分の性を外に向かってどう表現するかということである。何が「男らしい」か、「女らしい」かというのはそれぞれの社会や時代によっても変化するため、性表現において「100%男」というのはほぼない。

 まずは生物学的な性について、脳の性分化のしくみを考えてみよう。性分化(身体的な性別の特徴を決めるための働き)は、男性ホルモンのアンドロゲンシャワーを浴びることによって決まる。性分化は非常に複雑な過程があるが、大雑把には性別決定遺伝子のSRY遺伝子はY染色体の上にのっているが、発生学的には受精卵ができた段階では性的に両方の特徴をもつ。そのためミューラー管(女性器の一部のもとになる部分)も持っているしウォルフ管(男性器の一部のもとになる部分)も持っている。それが、受精後8週ぐらいからSRY遺伝子が動き出し、男性ホルモンのテストステロンの大量分泌を始めると、ウォルフ管が分化していき、ミューラー管が退化し、男性性器が形成される。10週ぐらいまで待つと、XX遺伝子はSRY遺伝子を持っていないから、男性ホルモンの分泌が起こらず、ミューラー管が発達して女性性器が形成される。その後、20週以降で再度アンドロゲンシャワーを浴びることが分かっているが、これが脳の性分化を決めると言われている。
 脳がどちらの性分化を起こすかの研究は、マウスを使った実験で行われているが、ヒトで試験を行うことは難しいので、これと同じことが起きていると推定される。脳の中にさまざま存在する核の中に男性と女性でまったく大きさの違う性的二型核がある。性的二型核のうちの一つである分界条床核の研究によって、男性の核は女性の核の大きさの約1.5~1.8倍大きいことが分かっている。ヨーロッパのゲイの脳を調べた結果、その分界条床核は男性と同じ大きさだったが、性転換症とされた男性の分界条床核の大きさは女性と同じであったという結果が出ている。この研究には死後のデータしか存在せず、しかも非常に少ないので、明確な根拠として断定できる段階にないが、経験的には確からしい。そこから得られる仮説は「性同一性障害性分化疾患の一亜型である」というもの。現在までに様々な生物学的研究がなされているが、まだ確定した結果はない。
 次はジェンダー。例えば、男女の性役割は時代によって、文化によって、さらに国によっても違う。キリスト教社会における男女の区別は非常に厳しいものだった。旧約聖書の『申命記』には「男は女の格好をしてはいけない、女は男の格好をしてはいけない、なぜなら神はそういう格好をする人を忌み嫌うからである」と述べられている。ジャンヌ・ダルクが火あぶりになったのも、男性の衣服を着たからだった。厳しい宗教的規範のある歴史背景の中でも、身体の性と自認する性が異なる人を理解するために、ジェンダー概念は不可欠だった(これに対して仏教国は、身体的性と異なる性の表現をすることは罪ではなかった)。日本で性同一性障害という言葉が知られるようになったのは2000年前後から。これは埼玉医大で倫理審査が通り、性同一性障害の人たちに対する性別適合手術を行うことが適切と認められ、治療が行われるようになってからのことである。
 性同一性障害の診断時期と治療方法はどうなっているのか。ホルモン治療という性同一性障害の治療がある。これは、MTFの場合は女性ホルモンを、FTMの場合は男性ホルモンを投与していくという治療方法。だが、このホルモン治療は年齢によっては限定的な効果しかないこともある。ホルモン治療によってそれぞれ女性、男性のようになっていき、人の外貌は後天的なホルモンが大きく影響する。
 中学生になるまでの子供たちには身体的治療がされず、身体的治療を求める大人には診断と治療のガイドラインに沿って、望む治療を提供することがクリニックの役割となる。思春期の子供に思春期抑制療法を行うと、二次性徴が止まる。そこで使われるGnRHアナログというホルモン製剤は、前立腺がんや閉経前の乳がんなど、その進展にホルモンが影響するような場合の治療に使われている。他には思春期早発症という、通常よりも思春期が早く来てしまう子どもの治療に使われていた。この思春期早発症に対する治療のデータを見るとほとんど副作用がなく、海外の性同一性障害の子どもに使った例を見ても、副作用がなく、かなり高い効果があることがわかっている。また、この治療を中止すると再び二次性徴がはじまるという、完全な可逆的治療。GnRHアナログは、大人と同じ身体的治療が開始できるまでの猶予期間を持てるようにするための一時的な措置として、非常に有効な治療とされていた。二次性徴がはじまる時期には個人差がある。だから、二次性徴が始まり、身体的変化に対する違和感が非常に強くなった場合に二次性徴の抑制が始まる。
 性同一性障害に関連する行為や行動は罪とされる時代、地域があった。だが、ヨーロッパ社会の中ではそれを罪とするのでなく、精神病理的に分析する動きが起こり始めた。ドイツのクラフト=エイビングが、性的なものに関するPsychopathia Sexualisという本を出した。これは性的な行為が原因で刑務所に入っていたり、性的な原因で精神病院に入っていたりする人の性の問題を、細かく記載したもの。大正時代にこれが『変態性欲心理』というタイトルで翻訳され、それ以降「ヘンタイ」という概念が生まれ、日本でも変態性欲は病気であるという位置づけがなされていく。
 1940年代以降、第二次世界大戦前後から、こういう人たちを精神病として扱わずに身体の違和感を少しでも和らげようとする治療が道義的倫理的にも正しい治療であるだろうと提唱したのが、ハリー・ベンジャミン。彼は「ハリー・ベンジャミン国際性別違和協会」をつくり、そこから「Standards of Care(標準的なケア」が生まれ、世界中のガイドラインに影響を与えている。だが、アメリカやヨーロッパなどキリスト教社会では、いまだ罪と考える人も少なくない。このような流れの中でゲイ運動が起こり、さらにLGBTの権利運動として発展していく。トランスジェンダーの人々にとっては「自分たちは病気ではないが、医学的治療を受ける権利はある」という、性同一性障害の脱病理化を目指した考え方である。ここに、「病気ではないが医療のサポートを受ける」という(美容整形と似た)状況が起こる。
 「性同一性障害の原因」として、性同一性障害の中には性分化疾患の一亜型である一群が存在するという仮説を述べたが、世の中には性分化疾患の人もいるし、トランスジェンダーの人もいる。多様な人を受け入れて生活するのが私たちの社会である。だから、そういう人たちを病気扱いせず、個性ある人をどのように社会に受け入れていくかを考えるべきだ、ということになる。そのための合理的で的確な枠組みとなるとまだ揺れ動いている。