経験的な知識のムラ:生活世界はムラだらけの世界

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 ムラ、むら、斑とは、色の濃淡、物の厚薄などがあって、一様でないことです。正常な知覚像はムラが見えない、見えているものは一様で均一に知覚されると思われています。知覚対象が一部欠けていたり、濃淡があったりするようなことは通常の環境ではないことになっています。ムラがあると、環境の特殊性や病的なものとして疾患が原因として疑われます。でも、空間に空っぽな部分、空虚な部分があるというのが原子論を支える主張であり、それに対して、エーテルが充満しているというのがかつての物理学の主張でした。物理学だけでなく、生態学や進化生物学にも生物の適応放散が主張されてきました。
 ところで、「ムラがある」というのは物理レベル、知覚レベルの現象だけではなく、認識レベルでの言明でもあります。ユニバース、コスモス、スペースのいずれでもない時空間をもつ生活世界の特徴はムラのある認識にあります。一方で一様な世界という概念をしっかり持ちながら、他方でムラだらけ、穴だらけの世界を認めるのが私たちの日常の態度です。科学と日常の違いが色々言われますが、一様な世界とムラのある世界というのがごく一般的な区別として主張されてきました。生活世界で表現するのに使われる言葉は形式言語と違って自然言語であり、それがムラの元凶となってきました。例えば、自然言語がもつ多様な固有名詞は対象の指示のムラを生み出し、それによって自然言語自体がムラのある表現を生み出すことになり、それが生活世界をムラだらけにしてきました。
 感覚知覚にもムラがあり、それが自然言語によって増幅され、それが私たちの知識のムラの一因になっています。既知と未知、全知と無知、それらは両極端のムラであり、それらの間に均一でない、ムラだらけの知識が並んでいます。「知る」、「知らない」ことを指標として、ムラだらけの経験的知識がデータとして横たわっています。個人についての知識はムラだらけで、特定個人についての知識にもムラがあって、個別情報、個人情報にはムラが必ず付き纏っています。「変異と情報」、「均一性と理論」と対にすると、わかりやすくなるかも知れません。経験的に知ることが本来的にムラを生み出すのです。
 さらに、対象や知識に対する関心の強さ、弱さも知識のムラを生み出す要因になっています。関心をもつ、好奇心を働かすには、すべてに押し並べて興味を示すのではなく、ムラのある好奇心、関心が不可欠です。こうして、次のような原理が主張できそうです。

(知識の対称性)
知識のムラは関心、好奇心のムラから生まれる

ムラのある関心、好奇心が関心や好奇心の本性であることを考えるなら、そのもとで普遍的な知識をもつことは可能なのでしょうか。一見すると、それは可能どころか対立するものにさえ見えるのです。

 経験的に知ることは個別の出来事を知ることです。特定の対象や出来事を経験するため、多くの場合固有名詞が使われます。固有名詞が指す対象についての知識は、他の対象については何も主張していません。そこで、次のような簡単な例を考えてみましょう。

例:箱の中の10個のボールという世界を考え、二つのボールに1と2という固有名詞がついているが、他のボールには名前がついていないとしてみよう。その世界では「どの対象もボールである」は普遍的な言明で、一様な知識を表現しています。「ボール1は世界にある」は個別の対象についての主張で、特定の知識を表現しています。でも、ボール1とボール2以外のボールについては、「ボールがある」とは言えても、それがどのようなボールかの表現は1や2のようにはいきません。

 私たちの生活世界は固有名詞によって指示される対象が数多くあり、それらの存在こそが生活世界の特徴になっています。世界に何が実在し、何を使ってどうするかという生存や生活に必須の「もの」は固有名詞かそれに類似するものによって固定され、確固たる実在として現れることになります。
 固有名詞は実在論に味方します。固有名詞の指示対象は当然実在し、それが消滅しても名詞はしばしば残ったままです。でも、無名の人間はいない筈なのですが、実際の私にはどこでもいつでも多くいます。私の周りの人間の大半は私の心の中では無名であり、それゆえヒト一般に近いのです。人をおしなべて人として理解することは一様な知識をもたらしますが、そこによく見知った人が固有名詞付きで入ってくるとムラが生じてくるのです。
 好奇心、欲望、エゴイズム、自由意思、感情、動機、私利私欲等々、どれも生活世界で生きる私たちの姿そのものを表しています。それらゆえに、生活世界は色がつき、匂いが溢れ、好き嫌いがはっきりした世界で、科学的な無色透明な世界とは大違いということになっています。
 私たちの生活世界はムラ社会、ムラ世界なのです。