コイン投げは確定的か、それとも確率的か(5)

10古典的世界観の三つの前提:因果性、確定性、連続性(スケッチ)
 古典的世界観の基本原理は、因果性の他に、確定性、連続性からなっている。ここではそれぞれの原理の詳しい説明はしないが、連続性に関わる事柄がここでは重要な役割を果たすことになる。古典的世界観の原理は古典力学の基本原理と同じであり、古典力学が前提にする自然に関する形而上学的原理である。現象が原因と結果の出来事からなり、運動変化が連続的で、対象の状態はいつでもどこでも確定している、これらが簡単な内容である。宇宙全体はその始まりを除いては連続的と想定できても、力学の基本モデルとしてよく登場する素過程はそもそもこの世界には実在しないゆえ、普通の物理過程には始まり、終わりのいずれかが必ず存在する。このような局所的な連続性の多数存在する世界では確率的なチャンスの存在が可能となる。まったくの連続する世界ではチャンスはあり得ない。
 不連続な世界で容認できる反復の存在はコイン投げ、規則的な時間的変化、世代交代等に見出すことができる。何度もコインを投げる、季節が繰り返す、世代交代による生物集団の維持等、反復を前提にした現象の理解は世界のどこにでも見られる平凡な規則性である。物語という因果的なものを根幹において支えているのが反復の存在なのである。反復関連の事柄と生命現象を幾つか比較すればわかるように、因果的な過程以外の生命現象の特徴が浮かび上がってくる。

反復の存在-世代交代の存在
反復的なコイン投げ-集団内の生殖活動
結果のランダム性-任意交配、無作為抽出
分布や頻度の規則性-1対1の性比、遺伝の法則

 古典的世界観が成り立つための物理世界に関する基本的な前提が三つあり、それらが因果性、確定性、連続性だと述べた。この他に、古典的世界観には時間、空間に関する幾何学的前提がある。瞬間と地点が点で、時間と空間が線や図形で表現される。物理世界の変化だけでなく、神話や物語の最も基本的な構図も、その変化の仕方はいずれも因果的である。物理学における単一の因果過程としての素過程(elementary process)のような因果過程のモデルから、ドラマの複雑なシナリオの展開に至るまで、実に多様な歴史的変化を含んでいるのが因果的変化である。出来事の系列が因果的であることが現象世界の基本的構図である。
 物体の物理量が私たちの実験や観察とは独立にいつでも無条件に確定しているというのが確定性の最も基本的な姿であり、今の自分の体重がわからなくても、自分の体重がこの瞬間にある特定の値をもっていることを誰も疑わない。基本的な物理量に限らず、どんな出来事、現象に登場する対象もその物理的な性質は確定しているとみなされ、拡大して使われているのが確定性の原理である。だが、ハイゼンベルク不確定性原理はこれに反する原理である。
 また、現象が突然に生じたり、消えたりせず、変化が連続的であることが連続性である。力学的なモデルは通常始まりも終わりもない。コイン投げモデルのスタートは物理的な理由でなく、単にそこから始めるに過ぎないし、地面に落ちて表か裏が出て終わりというのも恣意的なものである。
 これら三つの原理が古典論理と通常の言語規則のもとに組み合されると、その結果として決定論的な世界像が手に入ることになる。その厳格な例が古典力学である。それゆえ、古典力学決定論的な主張は科学革命の成功として、さらには人間理性の勝利として、世界の出来事は原理上合理的に決定可能であると宣言されたのだった。ラプラスの魔物は世界のある時点での状態を知ることができるなら、過去も未来もすべて含めていつの時点での世界の状態も計算可能である、これが世界は決定論的だというラプラス流の認識版の表現である。
 このような勇ましい結論は何かが誇張され、そこから誤った結論に至ったと考える方が無難である。古典的世界観は完全な決定論を物理世界に関して主張するものではないというのが適切なのである。そこで、「決定論的な古典的世界観」に風穴をあけるために利用できるものとして、確定性と連続性を俎上に上げ、考察してみよう。
 確定性に挑戦するとなれば、運動変化の軌跡を決めるのは位置と速度であり、時間を分割し、その極限として値が確定する、という点に注目する必要がある。連続性への挑戦は、運動変化が反復すること、繰り返されることが可能なことに注目すべきである。そして、二つの挑戦を合わせることによって、決定論的な世界で確率的な出来事が可能なことを示すことが目標となる。
 世界の確定的な状態が因果的に変化し、それが連続的であれば、結果として、その状態の変化は決定論的となる。これが古典的な世界観の根幹にある考えである。大変単純で明解である。位置や速度がいつでも確定していることはその値を決める決め方に依存している。これが第一歩である。決め方と独立しているというのが古典的な考えであるが、それは経験的に確かめられたわけではなく、単なる信念に過ぎない。
 複数の状態が可能であり、その状態の時間的な変化が非連続的であることが可能なら、非決定論的な帰結、つまり、マクロな場合は複数の同じ状態の反復が可能で、それが確率的に表現できる、ということが帰結する。

11最後に:進化論への応用(スケッチ)
 付随的な事柄が反復するようなことが生命現象によく見られる。まったく同一ではないにしても、生物学的に同一であることの基準が満たされるとき、反復する過程が随所に認められてきた。中でも代表的な反復が世代交代である。世代交代という反復によって進化が生まれ、進化によって世代交代の反復が適応として洗練される、といっても過言でないほどに、世代交代と進化は、反復を含む因果過程であることを通じて密接に結びついている。進化が反復を可能にし、その反復によって更なる進化が生まれることから、反復の記述として確率モデルが考えられ、

確率モデルを可能にする進化
確率モデルを利用する進化

の両方が進化の考察に含まれることになる。
 遺伝子型がアトラクターとなって、どのくらいの確率でそれぞれの遺伝子型が実現するかが決められるモデルが集団遺伝学の一般的なモデルである。初期条件集団からアトラクターへの写像決定論的な過程として存在していると想定されているが、それはモデルのどこにも直接は登場しない。初期条件は集団の状態だけでなく、環境を含めて考えられているが、最終的には適応度によって決められる。繰り返し、反復は世代交代そのものであり、極めて自然に反復が実現され、マクロで古典的な決定論的過程の中にどのように確率的な、ランダムな変化が起こるかは、コイン投げと同じように解釈できることになっている。確率的な解釈の自然な姿は、不連続な世代交代とその初期条件集団の集合、ということになる。マクロなチャンスを認めるなら、集団遺伝学のモデルは確率的なモデルとして、浮動と選択に共通のモデルとして定義できる。そして、浮動も選択も客観的なチャンスの一部ということになる。
 初期条件の集合から裏表の結果が出るコイン投げと同じ仕方で、メンデル集団の初期条件集合から対立遺伝子の組み合わせが結果として得られる。個々の世代交代は因果過程でありながら、初期条件の集合が確率過程的に並ぶ構造はコイン投げの場合と同じである。そして、初期条件集合から世代交代の結果への全体として見た場合のバイアスがあるかないかで選択と浮動の区別がなされることになる。
 以上のことを要約すれば、因果過程への執着、密着と因果過程離れが付随性を介して確率的な変化として因果過程を解釈し直すことを可能にする、ということになる。そして、反復こそが確率概念の導入の鍵を握っていることがわかる。反復とは因果離れの具体的な姿の一つなのである。幾つかの要点を図式的に書けば次のようになるのではないか。

不連続-反復-初期条件集合=確率空間
部分的な付随性(連続的なものに付随する、情報的な側面)
結果は情報的、つまり、アトラクターとしての結果は物理的というより情報的

 これまで述べてきたスケッチを丁寧に仕上げるために必要なのは、D. LewisのPrincipal Principleを使ったマクロな客観的なチャンスの形而上学の展開ということになるのだろうか。「反復」の自然化はどのような形を取るべきなのか、連続と不連続がマクロとミクロな世界でどのように異なるのか、等々興味深い問題が待ち構えている。

(補足)三体問題:カオスの発端 
 天体力学では二つの物体まではニュートン力学によって解析的に計算でき、互いに引力を及ぼし合っている二つの物体は楕円、放物線、双曲線のうちのいずれかの軌道になることが証明されている。例えば、地球から打ち上げた人工衛星の初速が秒速7.9kmのとき円、それ以上で秒速11.2km以下のとき地球を焦点とする楕円、秒速11.2kmのとき放物線、それより速いときは双曲線を描くといった具合である。これらの曲線は円錐を異なる平面で切ることで得られる一群の曲線、すなわち円錐曲線で、力学と幾何学の間には美しい調和が存在していることを示している。ニュートンは二つの天体の間の運動方程式微分方程式)を積分することによって解き、安定な周期解となることを導き出した。この解がケプラーの法則である。次に、三つの天体間の運動方程式、すなわち三体問題(例えば、地球と太陽と木星しかない宇宙で、これら三つの星の運行を決める)になると、複雑でお手上げになってしまう。物体が三つ以上ある系についても運動方程式積分して解くことがその後試みられたが、結局、積分不能で行き詰まってしまう。三体問題の運動方程式を書くのは容易でも、それを解くのは非常に難しく、方程式を正確に解く公式は見つけられなかった。二体問題は可積分であるのに対し、三体問題を積分法で解くことは不可能であることを証明したのがポアンカレだった。