コイン投げは確定的か、それとも確率的か(1)

1はじめに
 「確定的」とか「確率的」、あるいは「決定(論)的」とか「非決定(論)的」と言われる事柄はどのようなことなのか。「確定的なのか、それとも確率的なのか」という問いは基本的で単純な問いなので、十分な議論が展開され、満足できる解答が直ぐに見出せそうなのだが、本当にそれが正しいかどうかの明晰・判明な判定は意外に厄介なのである。そこで、曖昧な議論や結論を実際以上に際立たせることによって、何が問題なのかを浮き彫りにすることからスタートしてみよう。
 次のような還元主義的な推論は哲学では珍しいものではない。

(1)古典力学ラプラス的な普遍的決定論を含意する。
(2)生物学は古典力学に還元できる。
(3)それゆえ、生物学ではラプラス的な普遍的決定論が成立し、したがって、生物学における確率の使用は単に知識の不十分さの表明に過ぎない。

この推論は生物学だけでなく、マクロな特殊科学に対しても成立する。そこから、マクロな世界での確率の使用はミクロな世界での使用と違って知識の不十分さによるものであり、確率の解釈は主観的な解釈ということになる。だが、生物学者にとってこの結論は決して受け入れられるものではない。遺伝の確率モデルが力学モデルに還元できないこと(上の(2)の否定)を示すことができれば、この推論の誤りを示し、生物学の自律性を示すことができる。そこで、集団遺伝学のモデルやコイン投げのモデルを通じて、上の推論が正しいかどうかを考えてみよう。

2任意交配モデルについての生物学者の主張
 生物学者は任意交配モデルが確率的で、そこでのメンデル法則は確率過程を述べたものであると考え、その具体的な内容を1 遺伝子座2 対立遺伝子の場合について、次のように説明した。三つの遺伝子型(AA、Aa、aa)について、両親の遺伝子型に応じて子供の遺伝子型の確率がメンデル法則によって計算できる。この任意交配のメンデル的な過程では親の遺伝子型から子供の遺伝子型の確率は計算できるが、その逆、つまり子供の遺伝子型から親の遺伝子型の確率は計算できない。同じ原因から同じ結果という古典実在論を支える因果律は、同じ原因から同じ確率の結果と一般化できそうであるが、同じ結果から同じ原因という逆の因果律古典力学では成立しても、メンデル法則による確率的な一般化では成立していない。この点に注目してメンデル集団の任意交配はコイン投げと同じ型のモデルをもつことを確認しようと生物学者は考え、コイン投げと、進化の要因が一切働いていない遺伝子プールからの任意交配を取り上げた。コインは区別がない二枚を同時に投げ、出た結果が表の場合をA、裏の場合をa と記すことにすると、次のようなコイン投げの系列が得られる。

  (Aa), (aa), (aa), (AA), (Aa),......

また、任意交配の場合も、それぞれの遺伝子をA、a とすれば、

  (aa), (AA), (Aa), (AA), (Aa),......

といった系列が交配と共にできあがっていく。遺伝子A とa の割合p、1 - p を0.5とすることで、公平なコイン投げの場合に合わせることができる。しかし、二つの実験は全く同じではない。遺伝子プールは有限個の遺伝子しか含んでいない。それに対してコイン投げは望めば何回でも行うことができる。そこで、遺伝子プールの遺伝子総数の半分の回数、つまりは同じ回数だけ一回の実験を行うようにした。したがって、一回の実験の二つの系列は同数の対からなっている。遺伝子プールのサイズは様々なので、それに合わせて異なるサイズの遺伝子プールについて同じ条件のもとで実験できる。さらに、適当な回数(集団の数の半数未満)をあらかじめ決め、その回数に合わせてコイン投げと任意交配の実験を行えば、浮動の効果を見ることができる。この簡単な実験を生物学者は二つのことを確かめるために行った。任意交配する、進化要因が全く働いていない集団でも遺伝的な浮動が働き、それは純粋に確率的な現象で生物にだけ特有な現象ではないこと、そしてその系列がMarkov chain であることを示すことであった。サンプリングエラーである浮動は、「有限の集団に浮動がない場合」といった仮定が原理上できないという点で自然選択とは随分異なっている。実際,試行回数をあらかじめ決めた場合の何回かの系列の相対頻度は決して0.5 ではなく、その周りに散らばっていた。得られた系列の分布の特徴は独立試行のMarkov chain、つまりはrandom walk になっていた。その裏付けは、コイン投げが確率論の教科書で代表的な例になるほどに、その構造がよく知られている点にあった。そこで生物学者は任意交配が独立試行であり、またMarkov chain と同じであることを次のように考えた。コイン投げも任意交配も系列の長さn に独立に、定常な遷移確率をもつMarkov chain となる。二つの状態で、Xnを時点n での状態とすると、

   P(Xn + 1 = 1 | Xn = 0) = p  P(Xn + 1 = 0 | Xn = 1) = q

がそれぞれの遷移確率となる。(ここでp, q を0.5 とすればこれまでの場合に対応する。)初期分布P(X0 = 0), P(X0 = 1)が与えられれば、逐次各状態の確率が計算できる。例えば、初期分布P(X0 = 0) = q/(p + q), P(X0 = 1) = p/(p + q)から出発すると、

   P(Xn = 0) = q/(p + q), P(Xn = 1) = p/(p + q)

となる。コイン投げや任意交配は連続的に変化するのではなく、 1 から0 へ、あるいは0 から1 へと飛躍的に変化するのでMarkov chain のなかでも、純飛躍的な過程である。random walk は運動の変化や分布を拡散(diffusion)現象として捉える方向に、Markov chain は変化の確率的な分布を確率過程(stochastic process)として捉える方向にとそれぞれその展開のされ方は異なるが、基本的な立脚点は同じである。その立脚点とは、ある事象から次の事象が起こることの間には確率的なつながりしかないということである。生物学者にとって重要であったのはこの確率的なつながりであり、それが任意交配の場合にも成立するということであった。そこで彼女は次のように結論した。

有限集団の任意交配は、独立試行からなるMarkov chain であり、コイン投げやrandom walkと同じように確率的な現象である。そして、有限の集団ではいつも浮動が存在する。

さらに生物学者は任意交配が確率的であることから、進化は確率的であると結論した。浮動は自然のどのような交配集団にも必然的に生じ、そのような交配集団が進化を生み出しているのであるから、生み出される結果はそこに確率的な過程を含むことになり、そこから「進化は確率的である、あるいは確率的な要素を含む」という命題は経験的に正しいと結論した。
 
3生物学者に対する古典的無知からの反論
 ラプラスの魔物はコイン投げについての完全な知識をもち、投げられるコインの物理的な運命について完全に予測できる。魔物によれば、生物学者はコイン投げについて十分な物理的知識がなく、正確な予測ができないために、確率的にしか捉えられない。魔物はコイン投げでのバイアス(非対称性)を決して見逃さない。コインを投げて裏か表が出たということは、その結果にバイアスがあったということであり、それは原因であるコイン投げのどこかに最初からバイアスが潜んでいたためである。これは理屈の通った話に思える。というのも、これは実は物理学の基本原理であって、対称性の原理(Principle of Symmetry)と呼ばれてきたものの一例なのである。その原理は、

結果に現われる非対称性は、原因にそれを引き起こす非対称性がある、

という内容である。この原理が成立している限り、魔物は結果の裏、表というバイアスの予測を原因のバイアスに注目することによって物理学的に説明できる。
 以上のことから、魔物は確率などに頼らなくても、個々のコイン投げを一回毎に正確に予測でき、したがって、すべての系列について正確な予測を行うことができる。つまり、コイン投げの過程は全く決定論的である。それゆえ、自然の過程に確率的なものは何ら含まれていないことになる。この説明は確率の主観的解釈(Subjective Interpretation)と呼ばれてきたものに基づいている。その解釈によれば、私たちが確率概念を使う理由は私たちの古典的無知のためであり、もし十分な知識をもっていれば確率などに頼る必要はない。さらにメンデル法則の方向性についても、それは現象的な法則であり、時間対称的な物理学の法則とは違って派生的なものに過ぎないと魔物は結論した。対象の時間発展を述べる法則に対して、メンデルの法則は単なる収支決算の報告の仕方に過ぎず、厳密な意味で法則ではない。
 そもそも確率が古典的無知の反映であるから、それを使っての確率的な法則は法則と呼ぶに値しない。幽霊はどこにも存在しないが、考え出された多くの幽霊についての一般法則はつくろうとすればできる。遺伝法則はそのような類の規則であるというのが魔物の結論であった。ラプラスの魔物は、任意の正確さで初期条件を測ることができ、未来の予測のためには瞬時に完璧な計算ができなければならない。これが決定手続きを考えたときの魔物に課せられる条件である。元来、決定論は実在の決定性を主張するもので、私たちの認識とは何の関係もない。その決定論と予測可能性を同一視させる理由は古典力学の第2法則にある。第2法則と、微分方程式系の解が存在して、しかもその一意性を保証する定理とが結びつくことによって、系の初期条件が定まれば正確な予測が可能であることが数学的に証明できる。これによって現在の状態から演繹される未来や過去の状態が存在するということが保証される。さらに、この決定論は上の予測が実際に計算可能であるという定理によって強められる。ただ単に予測が可能というのではなく、実際にそれを計算できる。こうして古典的な決定論は予測可能性と同一視され、このような決定論=予測可能性という認識的な決定論理解が、魔物の担ってきた役割なのである。