LGBTと心身二元論(1)

 糸魚川心中事件とは1911年7月26日に新潟県糸魚川の親不知で起きた女性同士の心中事件。死亡したのは曾根定子(20)と岡村玉江(20)。二人は女学校時代に親友だったが、卒業後定子に縁談話が持ち上がり、また定子の父が二人の度を越した交際を戒めたため、7月21日定子は家出、ついで玉江も家出し、親不知で入水した。
 一貫して女性を描くことにこだわった吉屋信子は1896年に新潟市で生まれる。父親は足尾鉱山の被害地である栃木県下都賀郡の群長で、家父長主義、男尊女卑の考えを持ち、信子は八人兄姉弟妹の紅一点として、常に父親からの圧迫や差別を感じて育った。9歳のとき、小学校の担任から作文を褒められ、自信を得て、少女雑誌に投稿するようになった。また、栃木高等女学校の入学式で新渡戸稲造が講演し、「一人の女であるよりも一人の人間であれ」 の一節に感動する。
 さて、吉屋の『花物語』は七人の少女が洋館に集まり、一人ずつ、花にまつわる話をしていく。どの話も女性同士の友情や愛の物語。 少女と少女、少女とお姉さん、少女と奥さんと様々だが、みな女性同士で、『花物語』には男性はほとんど登場しない。女性が女性を励まし、女性が女性を助け、女性が女性を慈しむといった話ばかりなのである。『花物語』は、「男女七歳にして席を同じゅうせず」といった古い性道徳に縛られた物語と解釈されたようだが、今では同性愛を果敢に打ち出した小説と評価されている。
 LGBTの謎も心身についての謎も長い歴史を持っている。そんな歴史のほんの一端が上述の二つの事柄。心と身体の関係について具体的に問題を提起してくれるのがLGBT。心は女性なのに、身体は男性となれば、通常の心身の関係とは違った関係がそこに認められ、正常なのか異常なのかといった視点から議論が始まった。そんな経緯を辿るだけでも興味津々である。だが、退屈なことながら、まずはよく言われる性差の復習をしておこう。
<性差:ジェンダーとセックスの違い>
 「ジェンダー(gender)」を理解するためにまず引き合いに出されるのが生物学的な性差、つまりセックス。人間には生まれつきの性別、セックスがあり、大半は男性か女性かのいずれかである。この生まれもった性差は、一生変わらない。性差とは具体的には生殖機能の違い。つまり、妊娠出産や授乳ができるのは女性だけで、男性にはその機能はない。また、男性ホルモン、女性ホルモンの量の差によって、体毛や筋肉の量の違いが生じ、外見にも違いが表れる。
 一方、ジェンダーは一般的には生物学的な性差に付加された社会的・文化的性差を指す。ジェンダーは、「男性だから、女性だから」と枕詞がついて「こうあるべき」姿として、それぞれが所属する社会や文化から規定され、表現され、体現される。それは、服装や髪形などのファッションから、言葉遣い、職業選択、家庭や職場での役割や責任の分担にも及び、人々の心の在り方や、意識、思考、コミュニケーションの仕方にまで反映される。
 男性=外で仕事、女性=家庭といった性別役割分担に関する平成19年度の世論調査では、賛成48%、反対52%だったが、他の国と比べて日本は賛成が高い。つまり、「生物学的な特徴から男性は女性に比べて頑強なので、外の仕事や力仕事に向いている。一方、女性は男性よりも体が弱いから家庭内の仕事に向いていて、更に妊娠出産機能をもち、家事・育児・介護などに向いている」と考える人が多いという訳である。だが、生物学的な特性がその人の社会的な役割や職業の向き、不向きにまで一般化できるものなのか。この疑問をもつと、生物学的性差=ジェンダー(社会的文化的な性差)=自然な(正常な)役割とは単純に主張できないことになる。また、日本での性別役割分担や、職業選択の傾向性が他国と同じではないことから、国の文化や民族、時間を超えて普遍的なことでもないことがわかる。それが「ジェンダー」を中心に社会を見ていく面白い点である。
 一般的には、男性は女性を好きになり、女性は男性を好きになる。だが、現実にはそうでない人たちもいる。男性のことが好きな男性、女性のことが好きな女性、そして両方が好きな男性と女性も。男性と女性では見た目も違うし、身体の構造も違う。例えば、女性には子宮や卵巣があって子供を産むことができるが、男性にはそのような臓器がなく、出産もできない。身体には生物学的な性差が歴然とあるが、脳にもこのような性差があり、それが異性を好きになるか、同性を好きになるかという「性的指向」を決めている。
 性的指向を左右しているのは、脳の「前視床下部間質核」(ぜんししょうかぶかんしつかく)。視床下部は脳のほぼ真ん中の間脳にあって、体温調節やホルモン分泌、摂食、性行動などをつかさどっている器官。ここの一部分である前視床下部間質核は、異性を好きになる「異性愛男性」と、同性を好きになる「同性愛男性」では、その大きさが異なっている。この部分は、男性の方が女性よりも神経細胞ニューロン)の数が多く、大きさも2倍以上あることが分かっている。ところが、同性愛男性の場合は、異性愛男性よりも小さく、女性とほぼ同じ大きさ。男性でこの部分が小さいと、女性が男性を好きになるように、男性も男性を好きになると考えられる。
 また、視床下部の少し上の方に位置する「分界条床核」(ぶんかいじょうしょうかく)も、男女で違いがある。ここは自分が「男である」と感じるか、「女である」と感じるか、いわゆる「性同一性」に関わる部位。この部分も男性の方が女性より神経細胞が多く、容積も大きい。異性愛男性でも同性愛男性でも、それは同じだが、男性から女性に性転換をした人は、女性のように小さいことが確認されている。つまり、体は男性でも、心は「自分は女性だ」と思っている場合は、分界条床核も女性型だと考えられる。
 身体の違いがそのまま性別だと考えるのが普通だが、実は脳にも性別があり、それは必ずしも体の性別とは一致しないのである。これは脳の中の構造に違いがあるからで、その脳の性差は『性的二型核』(せいてきにけいかく)と呼ばれている。
 こうして、「身体が男で心も男」の人もいれば、「身体は男でも心は女」の人もいる。女性の場合も同様。つまり、身体と心の性別の組み合わせを考えると、少なくとも4つの性別があることになる。
 それにしても、なぜ身体と心の性別が違ってくるのか。それにはホルモンの働きが大きく影響している。そもそも性別は遺伝子によって決まる。男女の性別は母の持つXX染色体と、父の持つXY染色体の組み合わせによって決まる。XとXを受け継げば女の子、XとYを受け継げば男の子となる。父が持つY染色体には、『SRY』という性を決定する遺伝子があり、これを受け継ぐと精巣が形成され、男性になる。つまり、子供の性別を決めているのは、父親。このような遺伝子による性別は、卵子精子が受精した瞬間に決まるが、心の性別は母のお腹の中にいるとき、胎生12~22週の頃にさらされる男性ホルモンによって決められる。
 この時期の胎児の脳はまだ性的に未分化な状態で、男性ホルモンの『アンドロゲン』の作用を受けて初めて男性化する。このアンドロゲンは胎児自身の精巣から分泌される。女の子の場合は精巣がないので、アンドロゲンの作用を受けず、脳は女性化することになる。一方、男の子の場合でも、アンドロゲンが十分働かなかったりすると、脳が女性化し、遺伝子上の性別との不一致を招くことになる。このようなことがなぜ起きるのかはまだよくわからない。
 さらに、最近の研究によれば、お腹の中にいる発達期だけでなく、思春期も脳の性別に大きな影響を及ぼすことがわかってきた。思春期は、性ホルモンの分泌が盛んになり、心身ともに大人の男性、女性へと変わっていく時期。この時期に分泌される男性ホルモンや女性ホルモンの働きによって、脳も男性の脳、女性の脳へと発達していく。
 遺伝子によって男女の性別が決まり、さらに胎児の頃に男性ホルモンによって心の性別が決まる。そして思春期にも性ホルモンの洗礼を受けて、大人の男性、女性へと変化していく。身体と心の性別は段階的に決められていくのである。「恋に落ち、結婚して子供をもうけて…」という当たり前の人生行路は脳の性差の仕組みを考えると、いくつもの条件が重なった結果であり、正に微調整された奇跡の結果に見えてくる。