「紫」からの随想(1)

 ムラサキという色と「ムラサキ」という言葉とその指示対象のいずれに私たちは惹きつけられるのだろうか。当然、その答えは人それぞれなのだが、どれもだと答える人が案外多い。その人たちは色と言葉を峻別して考えるという小賢しいことなどせず、鷹揚に柔軟に捉え、混同などせずに好奇心を器用に使い分けている。
 言葉となれば、「ムラサキ」という名詞が何を指しているかがまず問題となる。言葉の真骨頂は言葉の組み合わせ、並べ方によって縦横無尽に表現しまくる点にあるのだが、「ムラサキ」も同様で、単一で使うだけでなく、他の語彙との組み合わせによって「ムラサキ」の適用範囲を驚くほどに広げている。言葉の表現が無尽蔵なのは、言葉の無限の組み合わせにあり、無尽蔵なものは学習し切れない筈なのだが…、人は見事に学習してしまう。

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ムラサキ

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コムラサキ

 「ムラサキ」はすし屋では醤油でも、野原に出れば、「ムラサキ(紫)」はムラサキ科の植物を指している。ムラサキは多年草で、初夏から夏にかけて白い花を咲かせる。根は暗紫色で、生薬「シコン」(紫根)である。また、古くから紫色の染料として用いられてきた。環境省レッドリストでは「近い将来における絶滅の危険性が高い種」である絶滅危惧lB類に指定されている。「コ」をつけた「コムラサキ」は、「ムラサキ」の小型と思いきや、「ムラサキシキブ」を小さくしたような別の植物。接頭語をつける手口をさらに拡大すれば、「ウスムラサキ」、「エドムラサキ」、「キョウムラサキ」などの、微妙に異なる色の名前が控えている。さらに、同じ手口を繰り返せば、色ではなく「ムラサキヤシオツツジ(ミヤマツツジ)」ができ上がる。 この植物は本州内陸から日本海側の深山で、豪雪地帯に分布しているが、自生数は少ない。また、「ツルムラサキ」は中国南部から東南アジアにかけて広く栽培されており、2000年も前から食用にされていた。
 夏ならキキョウが多くの人に好まれる紫の花だが、今の時期ならコムラサキ(小紫)か。コムラサキクマツヅラ科ムラサキシキブ属の落葉低木である。初夏に薄紫色の花を咲かせ、秋に垂れた枝に紫色の小球形の果実を多数付ける。幹に近いところから枝先に向かって色付く果実は、鳥の好物。緑色の葉は上半分に鋸歯が見られ、葉は対生に付く。コムラサキと似た花に、同科同属のムラサキシキブ紫式部)があるが、 通常、家庭の庭で見られムラサキシキブと呼ばれるものは、実際はコムラサキの場合が多い。コムラサキの白色品種となれば、シロミノコムラサキ(白実の小紫)。
 さて、「コムラサキとアゲハ」と対にすれば、誰もチョウのコムラサキ(小紫)を思い起こすだろう。コムラサキはタテハチョウ科の中型のチョウ。ほぼ日本全国に分布する。雄の翅の表面は美しい紫色に輝くので、この和名がつけられた(画像はメス)。オオムラサキ(大紫)はやはりタテハチョウ科の属し、何と日本の国蝶である。

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コムラサキ(メス)

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コムラサキ(オス)

 私たちは論理的に言葉を使い、因果的な現象を記述し、そして言語的なレトリックを駆使しながら生活世界を表現してきた。論理的な規則は個別の言語を超えて、人間に共通する思考の基本的な規則である。因果的な関係は原因と結果の対からなる関係だが、現象変化を解釈する最も安定した仕方が現象の生起を因果的に解釈することで、それが私たちの長年の習慣となってきた。そして、論理的でも因果的でもない関係の代表が言語的関係である。言明や文は文法を使ってつくられ、文法を使って理解されてきたが、核心は豊かで柔軟な表現力にある。世界を描く能力は言語の主要能力なのである。これら三つの関係や規則は互いに異なったものなのだが、しかし、それらが見事に結びつき、私たちの生活世界を生み出しているのである。
 私たちは「ムラサキ」から話を始めた。「ムラサキ」はムラサキを指すのだが、その「ムラサキ」は名詞や動詞として使われ、項や概念として使われ、対象や性質を表現している。「ムラサキ」の論理的、言語的な地位はムラサキの因果的な役割を決め、ムラサキの新しい性質は「ムラサキ」の意味を変えることになる。このようなことが「ムラサキ」に限らず、あらゆる物質語について、さらにはそれ以外の語についても成り立っている。このような言葉の博物誌の上に私たちの社会や心がつくられ、私たちの行為が実行されている。