台風が過ぎ、いつの間にか空が秋らしくなっていた。鰯雲(巻積雲)が空に広がるのはなんとも秋らしい。鰯雲の別名は鱗雲(うろこぐも)。
生涯に いくたびか全天 鰯雲(森澄雄)
鰯雲 ひろがりひろがり 創痛む(石田波郷)
大空に広がる鰯雲を見ていると、これらの句と同じように、様々な想いが雲と共に空に溢れるだろう。さらに、鰯雲が心の襞であるかのような加藤楸邨の次の一句。
鰯雲 人に告ぐべき ことならず
これは相当に難解な句。「鰯雲」と「人に告ぐべきことならず」がどのように繋がるのか、よくわからない。だから、色々な解釈ができ、私自身これこそ正しい解釈というものを知らない。鰯雲がきれいだなあと見ている。ところで、自分が今悩んでいる問題は、誰にも相談できない。やはり言わずに沈黙を守ろう、というのが最初の解釈。二番目は、鰯雲がきれいだと言っても、誰もわかってくれない、というもの。
たぶん俳句の初心者は二番目だと考えるのではないか。一方、俳句の専門家は最初の解釈を考えると思う。二つの解釈ができるところが、俳句が曖昧だという欠点であり、それがまた俳句のおもしろさでもある。
「鰯雲」と「人に告ぐべきことならず」の組み合わせは偶然的で、「鰯雲」と「生涯にいくたびか全天」の間にある繋がりがない。だから、逆に別の解釈がいくらでもできてしまうことになる。夫婦間の些細な問題など大人が口に出して言うようなことではないのだが、鰯雲で覆っても隠し切れない、というような解釈がその一例。
同じ鰯雲を見ても、人によって「人に告ぐべきこと」、「人に告ぐべきでないこと」は皆違っている。だから、その違いだけの解釈ができることになる。