量と質の表現

 量と質は異なるもので、量は数学的に表現でき、質は直接に感じとられるものというような区別が受け入れられてきたようである(では、「質量」とは何なのか)。量とは数によって表すことができるもので、身長や体重、国土や都市の広さ、山の高さ等様々な量がある。一方、質は感覚的な色や匂い、製品の品質等、一般には数的な表現ができない、あるいはそれが困難と思われているものである。
 では、量は自動的に数的に表現できるのだろうか。そんなことができたら、人類の歴史はすっかり変わっていただろう。「重いこと」と100kgとはまるで異なるものである。量をどのように数的に表現するかの工夫と努力が知識を生み出し、今日の文明が生み出されたといっても過言ではない。「数量化」などという単語に惑わされてはならない。数と量はまるで異なる概念である。量を扱う数学が幾何学、数を扱う数学が算術や代数、これらが異なる数学であるというのがギリシャ時代の常識だった。
 質が数で表せないというのも嘘である。水質も品質も測ることができ、等級さえ与えられている。大抵の性質は比較することができ、それゆえ良質なものと悪質なものの区別ができる。
 量を数で表現すること、そしてそれを自由に演算可能にすること、この二つが幾何学の代数化であり、それを可能にした一人がデカルトだった。量も質も数で表現するには同じように工夫が必要で、量=数でも、質≠数でもなかったことに注意したい。

古代ギリシア以来、数と量という概念は峻別され、ユークリッドの『原論』では、次のように考えられていた。

1. 数とは、基数(事物の個数を表す数)のことである。
2. 量とは、長さ、広さなど(後に重さ,速さ等も入る)互いに比較可能なものである。
3. 同一種類の量だけが比較できる。

同じ種類の量しか比べられないということは一見その通りに思える。ギリシアには量の積がなかったし、「数とは量の比のことである」(オイラー)という見解からは、数の積は存在しないのである。だが、積がこのような理由から存在しないことになると、不都合極まりないことになる。
それゆえ、量の追放が純粋数学の成立に不可欠であった。つまり、数概念の確立に至る歴史とは、ギリシア以来数学における最も重要な概念の一つであった量という概念が抹殺さ、追放される歴史だったと言うことができる。だから、量という外的世界とつながる概念が追放されたことと純粋数学という概念が成立したこととはほぼ同じ意味と考えることができるのである。19 世紀に入って数学の「算術化」運動が起こった。これはすべての数学は算術に還元できるという思想に基づいているが、この運動の一環として量概念が駆逐、否定された。
そこで、数と量の統合に向けての歴史的な歩みを垣間見てみよう。

1.ディオファントス(『算術』:AD 3世紀頃)は分数(有理数)を数と認めた。これがアラビア世界、そして西洋に受け継がれ、「数」と言えば、分数を指すようになっていた。

2. 技術者シモン・ステヴィン(1548-1620)による小数の利用は数を線型的に捉え、それぞれの数を平等に見ることに大きく寄与した。ステヴィンの著書『算術』(1585)では次の様に述べられている。
・数はそれによって物の量が説明されるものである。
・数は連続的で、連続的な水が連続的な湿度に対応するように連続量は連続数に対応する。
・馬鹿げた数、無理な数、不規則な数というようなものはない。

3. ヴィエト(1540-1576)は代数の曖昧さが幾何学的な次元を統一しないことに由来すると主張し、次元の統一を要請した。すなわち、現在の記号で書けば,xの3乗 は立方体を表し、xの2乗 は正方形を表すのだから、xの3乗 +3x = 2といった式はナンセンスであるという指摘である。ヴィエトは自分の創始したパラメーターを表す文字を使うことによって、たとえば、xの3乗 + 3(aの2乗)x = 2(bの3乗)というように次元を統一することを提案した。これはデカルトの「すべての量は線分として把握できる」という主張の先駆けとみることができる。

4. デカルト(1596-1650)は幾何学的な量の概念の1 次元化を行った。つまり、aの3乗 は(aの2乗) • a と定義され、線分で表すことができるという主張である。しかし、負の量を扱っていないし、また座標系という概念を生み出したと評価するのも正しくない。

5. オイラー(1707-1783)は「数とは,一つの選ばれた単位の量に対する比以外の何物でもない」(『代数学入門』1768)と述べた。オイラーのこの言葉は数を論じるときの決まり文句となって流通し、負まで込めた直交座標系はオイラーによって初めて使われた。数直線もオイラーが最初に導入したものであろう(『無限解析入門』1748)。

6. 有理数体から実数体を構成する(あるいは,説明する)方法は、周知のようにメレーおよびカントール、ワイヤシュトラス、デデキントによってそれぞれ提案された。メレーおよびカントールの方法は有理基本列によって、またデデキントは切断という手法によって、実数を定義する.ワイヤシュトラスは有理数団という方法を使う。

7. 論理哲学者フレーゲも『算術の基本法則』第II 巻(1903)において独自の実数論を展開している。これは完全に伝統的な見方に従って、実数を量の比と捉え、基数と実数を截然と区別する考え方を貫いたものである。この場合、自然数も基数とは別物として実数に含めて考える。基数を対等な集合の類として定義する、現代の集合論でも時に見られる方式は西洋的な伝統という枠内で捉えることができるだろう。だが、実数を量の比と見る見方は現在では姿を消している。