自らを犠牲にするのは生物にとって不利なことなのか

 動物は自分自身に益のある行動をする。それが普通である。だから、自分を犠牲にして他人を救うような行動をするのは人間の動物的でない特別な行動だと思われてきた。というのも、どんな動物も利己的で、自分の生存を何より優先すると考えられてきたからである。利己的な動物の中で、人間だけは利他的な行動ができる。だから、人間は動物より優れていると見做され、利他的な行動は最終的に倫理や道徳に姿を変えて社会化されたと考えられてきた。そして、人は利他的であり、倫理的な生き物であり、利己的な動物とは異なる存在として特権的に特徴づけられてきた。
 では、人間の利他的な行動は非生物的な特徴で、生物学的に不可能な行動なのだろうか。利他的な行動が可能であるために、人のもつ利他性は進化生物学での「適応」であることの説明がなければならない。そこで、倫理や道徳という科学とは別のものを持ち出さずに、科学的な道具だけから利他性が利己性より適応度が高い場合が可能であることを示してみよう。これは20世紀後半の魅惑的な課題、挑戦であり、見事に解けたのである。
[個体の利他的行動はなぜ可能なのか存在]
 利他的な行動のほうが利己的な行動より適応度が高い場合があり得ることを示してみよう。私たちは利己的な生物のほうが自己犠牲を伴う利他的な生物より生存や繁殖に関して有利だと思っているし、実際生物学でもそのように考えられてきた。ところが、人間は時には利他的な行動をする。これこそが人間を他の生物から区別するものであり、利他性こそが倫理や道徳の基礎にあるものだと考えられてきた。この考えが正しいかどうかを調べてみるのがここでの目的である。利他的な行動が利己的な行動より適応度が低いという一般的にはもっともと思われる仮定の下で、グループが存在するならば、利他的な行動のほうが利己的な行動よりは適応度が高くなる場合があり、したがって、利他性が集団内に保持され、選択的に有利であることが不可能ではないことを示してみよう。この結果は利他性が生物学的に説明でき、したがって、利他性は人間に特有の非生物的な特徴ではないことを示している。

グループ1       グループ2     総計
1S; W = 4                      99S; W = 2              100S; W = 2.02
99A; w = 3                     1A; w = 1                 100A; w = 2.98 
(この表のSは利己主義者、Aは利他主義者である。W、wはそれぞれの適応度を表している。グループ1には利己主義者が1、利他主義者が99いる。グループ2は利己主義者が99で、利他主義者が1であり、その中間のグループも簡単に想像できる。W = 2.02は (1×4+99×2)/100である。w=2.98は(3×99+1×1/100)である。)

このような結果を別の仕方でまとめてみると、次のように言うこともできる。集団全体について、下の推論が与えられた場合、それは正しいだろうか。

  どのような部分集団においても、利己主義者は利他主義者よりも適応度が高い。
  適応度の高くない性質はその頻度が低下する。
  それゆえ、利他主義者はその頻度が低下する。

一見正しそうに見えるが、この推論は誤っている。総計の誤謬を犯しているのである。というのも、上の表での総計の数値(W = 2.02 < w = 2.98) がこの推論の結論の反例になっているからである。どのような部分集団においても頻度が低下する利他主義者は、全体ではその頻度が高くなることがあり得るのである。
 この説明は単なる例に過ぎず、もっと議論を慎重に進めなければならない。しかし、その核心はグループ概念を導入することによって、利他主義的な性質が集団の中に十分存続できるモデルをつくることができる点にある。ここから階層的な選択のレベルを考え,群選択(group selection)を認める考えが出てくる。そのもとでは、利己主義の変形ではない仕方で利他主義の存在を示すことができる。
 次に、総計にかかわる関連した例を考えてみよう。二つの同数の生物集団について、次のように遺伝子Aとaの頻度が与えられたとする。

            Aの頻度   aの頻度
集団 1   0.3           0.7
集団 2   0.7           0.3

外から変化を引き起こす要因が何も働いていなければ、遺伝子型の頻度はメンデルの法則から計算できる平衡状態にある。その結果は次のようになるだろう。

遺伝子型 AA                  Aa                            aa
頻度       (0.3)の2乗 = 0.09   2(0.3)(0.7) = 0.42     (0.7)の2乗 = 0.49 集団 1
              (0.7)の2乗 = 0.49   2(0.7)(0.3) = 0.42     (0.3)の2乗 = 0.09 集団 2
集団1と集団2の平均 0.58/2 = 0.29  0.84/2 = 0.42  0.58/2 = 0.29

ここで、二つの小集団が一つの集団になった場合、Aとa の遺伝子頻度はそれぞれ (0.3 + 0.7)/2 = 0.5であり、 遺伝子型の頻度は、

                          AA    Aa    aa
遺伝子型頻度   0.25   0.5    0.25

となる。この遺伝子型頻度は小集団の場合と異なっている。では、この違いはどのように説明されるのか。大集団や小集団が自然に存在する場合、その違いは小集団内での限られた交配と大集団になった場合の交配範囲の拡大によって説明できる。その説明は交配範囲の拡大という生物学的な裏付けをもっており、単なるモデル上の計算の違いではない。二つの集団が隔離されている場合とそうでない場合、交配の範囲は明らかに異なっている。集団のおかれた状況が交配に対して母集団の違いを実質的に生み出しているのである。
 上の状況を少し変えて、調査の必要上、二つの集団に分けてデータを取った場合と、大集団全体のデータを取った場合、上のようなデータがそれぞれ得られたとする。この場合、対象は同じであり、実際の変化は何も起こっていない。数値の変化は虚構にしか過ぎない。調査の都合上、分けたり、一緒にしたりするだけであるから、何の変化も生じない筈である。したがって、この場合は二つの小集団と一つの大集団での頻度の差はなく、大集団の頻度が正しいことになる。

(問)大集団全体の計算とそれを分割した小集団の計算が同じ場合と異なる場合の違いはどこにあるだろうか。