ニワトリと卵:再訪

 「ニワトリが先か、卵が先か」は因果性のジレンマであり、英語なら 「Which came first, the chicken or the egg?」となる。さらに、「chicken and egg」を形容詞的に使うと、「That is a chicken and egg debate.(それは、因果関係がわからない論争だ)」と表現できる。
 この謎は、生命とこの世界全体のスタートの謎に行き着くものだった。「ニワトリが先か、卵が先か」と言うとき、互いに循環する原因と結果のいずれが先かを決めようという無益さが指摘されるだろう。それを表現すれば、「A がBなしに生じず、B がA なしに生じない場合、どちらが最初に生じたのか」となる。
 だが、「ニワトリが先か、卵が先か」には微妙に異なる、別の意味もある。次の文を見てほしい。
A hen is only an egg's way of making another egg.(Samuel Butler, said in 1885)

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 遺伝子はヌクレオチドという化学物質がつながり合った高分子、デオキシリボ核酸(DNA)からできている。そのDNAの情報が、リボ核酸RNA)に転写され、RNAの情報からタンパク質がつくられる。アミノ酸がつながり合ったものがタンパク質であり、そのつながり方をRNAが指示している。DNAとRNAは情報を担い、その情報が実現したものがタンパク質である。タンパク質は細胞内で様々な反応を触媒し、細胞内外の構造を作り出し、細胞それ自体の運動を引き起こす。その際、生命の情報は「DNA→RNA→タンパク質」という方向にしか流れない。これが生命現象のセントラルドグマ。この→は一方通行である。だから、どんなアミノ酸も自発的につながり合うことはない。
 そして、ここに生物学最大の謎が生じる。その謎とは、「卵が先かニワトリが先か」というもの。ニワトリが生まれるためには卵の存在が必要だが、そもそも卵はニワトリがいないことには作り出すことができない。では、いったいどっちが先なのか。
 ところで、心臓や遺伝子はそれをもつ有機体の生存や生殖のための機能を担っているという考えは全く自然に思われる。この有機体中心の見方のもとで細胞、器官、さらには生物集団がどのような役割を有機体のために果たすか考えられてきた。この有機体中心のダーウィン的生命観を変えたらどのようなことになるのか。有機体はその組織や器官のために存在しないのか。心臓は有機体である私たちのために存在するのか、それとも私たちが心臓のために存在しているのか。遺伝子は有機体のためにあるのか、逆に有機体は遺伝子を存続させるための一時的な乗り物に過ぎないのか。有機体は遺伝子の乗り物に過ぎないと主張したのがドーキンスだったし、もっとずっと以前にバトラー(Samuel Butler, 1612-1680)は “A chicken is just an egg’s way of making another egg.”(卵は別の卵を生み出すためにニワトリを使う)とユートピア小説Erewhonで述べている。だが、依然として配偶子が有機体を生み出し、有機体が配偶子を生み出すという対称的な事実に対して、そのいずれに機能的な優先権を与えるべきか、それともそれは単なる約定なのか、と問われ続けている。
*サミュエル・バトラーは、イギリスの小説家。ケンブリッジのセント・ジョンズ・カレッジを首席で卒業し、1859年ニュージーランドに移住。ダーウィンの『種の起源』が発表されると、バトラーは以後一貫して進化論批判を繰り広げることになる。1872年匿名でユートピア小説『エレホン』(Erewhon)を発表。理想郷エレホンの名前は、英単語「Nowhere」のアナグラム
 これとよく似た謎が、ミクロな生命世界にもある。ニワトリと卵ではなく、「DNAが先か、タンパク質が先か」という謎である。既述のように、生命現象をつかさどっているのは細胞内のタンパク質。細胞の構造と運動を支えるのもタンパク質。そしてこのタンパク質を作り出すため、細胞内にある設計図がDNA。DNA情報がなければ、タンパク質を作り出すことはできない。
 では、いったい「何」がDNAを作り出したのか。ヌクレオチドを繋いでDNAを作り出すのは一体誰なのか。あるいは細胞が分裂し、増殖する際、DNAを複製してくれるのは何なのか。
 DNAを作り出すのはDNA合成酵素である。DNAを複製するのはDNA複製酵素群である。DNAからRNAを作り出すのはRNA合成酵素である。そしてそれらはすべてタンパク質。DNAを合成し、コピーし、その情報を伝達するのはすべてタンパク質の仕事。だが、DNA合成酵素も、DNA複製酵素群も、RNA合成酵素もすべてDNAの情報に基づいて作り出されるタンパク質である。つまり、タンパク質がないとDNAは作れない。でも、DNAがないとタンパク質はできない。
 生命の出発点には、いったいどちらが先だったのか。最古の生命の痕跡は、38億年ほど前に出現したとされる原始的な細菌の化石だ。驚くべきことに、すでにそこには生命に必要なことはすべて完成されていた。DNAもタンパク質も出来上がっていた。かくして、「DNAが先かタンパク質が先か」問題はいまだに解決できない謎と言うことになる。
 
 ここで、再度最初の因果性のジレンマに立ち戻ってみよう。ニワトリの先祖は、東南アジアの森にすんでいるセキショクヤケイという鳥であると考えられている。この鳥を人間が飼い慣らしたのが、ニワトリ。ところで、セキショクヤケイの「セキショク」というのは、「赤い色」という意味で、「ヤケイ」というのは、「野生のニワトリ」という意味。つまり、ニワトリの先祖は羽の色が赤い鳥だったのである。先祖は羽の色が赤かったのだから、まず最初に羽の赤い親鳥がいて、それが卵を産み、その卵から白い羽のニワトリが生まれてきたと考えるのが普通。白いニワトリはいなかったのだから。親とちがう体の色や性質をもった子供がうまれてくることがある。滅多にないことだが、これが「突然変異」。赤い羽の親鳥が卵を産み、その卵から、突然変異で白い翼のニワトリが産まれたと考えられる。先に羽の白い親鳥がいたわけではなく、卵から白い羽のニワトリがうまれたのである。つまり、卵が先と考える方が正しい。
 さらに、イギリス・シェフィールド大学とワーウィック大学の共同研究チームは、「卵の殻のたんぱく質による結晶核の構造抑制」という学術論文を発表。彼らはスーパーコンピュータを使って卵の組織を拡大して観察し、ovocledidin-17(OC-17)と呼ばれるたんぱく質が卵の殻の結晶化を促進させる働きがあることを突き止めた。2010年のことである。さらに、このたんぱく質は鶏の卵巣のなかにも存在し、これがなければ卵ができないことも判明。そのため「鶏がいなければ卵ができない」という結論に達した。同研究チームのコリン・フリーマン博士は「長い間、卵が先なのではないかと推測されてきた。しかし、私達は鶏が先だったという科学的な証拠を掴んだ」と述べた。
 「ニワトリが先か、卵が先か」という問いを巡って、二つの異なる解釈に基づく説明をしてきた。再度、下の文を見比べると、因果的、非因果的な理解が異なるものであることが実感できるだろう。だが、どのように異なるのか、異なりながらも絡み合うことを明確にするのは随分厄介なことなのである。

Which came first, the chicken or the egg?
A hen is only an egg's way of making another egg.