生命の変化(3)

4進化の過程とその原因:選択と浮動
 私たちは既に進化を事実として認めるという、ただそれだけのために多大な努力が払われてきたことを述べてきた。だが、進化が自然の変化のレパートリーの一つに加えられ、事実としての進化が定着するだけでは進化の謎は解くことができない。生命現象の一つとして進化が認められると、すぐに問題になるのは進化現象を引き起こす要因である。なぜ、どのように進化が起こるのかが重要な問題として浮上してくる。進化の要因に関するダーウィンの答えは「自然選択(natural selection)」である。集団の個体が生存と生殖に関してその能力に違いがあるとしてみよう。これは変異(variation)が集団内に存在し、この変異が適応度(fitness)の違いをもたらすことを意味している。次に、それら変異は遺伝するとしよう。遺伝する変化が世代交代を通じて蓄積され、集団は進化していく。変異、適応度の違い、遺伝がいずれも存在することが自然選択の存在を意味している。これら三つの条件を合わせ、遺伝可能な適応度の違いが自然選択の存在ということになる。
 『種の起源』はこの自然選択のメカニズムや過程が生物世界に存在することの長い論証であるとも言われるが、初版から第6版までで内容は少しずつ違っている。特に、初版では自然選択だけが進化を引き起こす唯一のメカニズムと見なされているが、他の版では決して他のメカニズムを否定していたわけではなく、ダーウィンはメカニズムに関しては多元論者だったと見るべきである。他のメカニズムとして彼が考えていたものにラマルクの用不用説、性選択説がある。だから、ダーウィンにとってさえ進化と自然選択は同じものではなく、自然選択は進化の主要な要因だが、唯一の要因ではなかった。これに対して、ダーウィンと独立に、しかし同時に自然選択説を発表したウォーレスは、ダーウィン以上に自然選択だけで人間以外の生物の進化を説明しようとした。
(二つの集団概念)
 生物は集団でなければ生存できない(なぜか)。集団は生物の生存の必要条件であるという意味で、個体と同じように実在的である。この実在的な集団概念は既にダーウィンにも認識されていた。自然選択における変異の役割は集団内での変異でなければ意味をもたない(アリストテレスでさえこの意味での生物集団の実在性は認識していた)。生命現象はいつでも、どこでも集団現象であり、物体を粒子の集団と考える場合とは明らかに異なっている。物体は粒子の集団と考えなくともその性質を述べることができるし、集団のサイズは恣意的に変更できる。また、生物集団内では世代交代が行われ、メンバーが更新されていくが、このようなメンバーの周期的な更新は物理的な粒子集団にはない。
 集団遺伝学での集団は統計集団としての意味ももっている。この概念的な役割は大きく、それによって進化の総合説が理論的に成立したといっても過言ではない。個体レベルに働く自然選択は集団レベルの変化として形式化できる。それによって、不変の遺伝子をもとに、変化する集団を表現することができる。この考えは古代の原子論による変化の説明を思い起こさせる。また、これは統計力学で気体を粒子の集団として扱う場合と同じであり、温度が集団の粒子の平均運動エネルギーとして表現されるように、集団の平均適応度の変化が集団の進化を表わしている。
(進化モデル)
 自然選択以外の進化の要因も含め、進化がどのような歴史現象であるかを説明する理論としての進化論の構造を明らかにしてみよう。説明理論としての進化論の理論的構造は集団遺伝学に依存している。集団遺伝学は生物学の中では珍しくモデルの考案と分析を数学的、かつ実験的に研究する。進化の表現と説明の図式としての数学的モデルは要因に応じて異なるが、いずれも集団を基本的な対象にしてその変化を時間発展的に表現する点では同じである。集団内の変化だけが数学的モデルとなるため、集団を生物種全体とする場合が限度で、モデル化できるのは小進化(microevolution)だけである。したがって、博物館で見る進化のパノラマのような大進化(macroevolution)は小進化を外挿することによって推測されることになる。
進化の説明モデルは次のような要因と、それらの時間を通じての作用の表現にある。
自然選択
突然変異
遺伝的浮動
移住
その他
(その他という項目は曖昧に聞こえるが、ここには生物学的でない要因、例えば、隕石の落下による自然環境の変化、人為的な介入といった様々なものが入る。)
 これらの要因はいずれも集団の個体に直接に働く形で、結果として遺伝子や遺伝子型の頻度変化をもたらし、集団を変えていく。物体に力が働き、その結果として変化が起こるという力学の基本的な考えと同じように、集団のメンバーに進化の要因が働き、集団全体に変化が起こるという考えに基づいたモデルとなっている。進化が複雑なのは異なる種類の力が想定されている点である。ダーウィンによる自然選択がどのような仕組みになっているかは既に説明したが、それと同じように突然変異や遺伝的浮動、移住のメカニズムを考えることができる。突然変異がどのように起こるかは相当よくわかってきており、その生化学的過程が幾つか確認されている。遺伝的浮動は純粋に統計的なゆらぎとしてその概念的構造ははっきりしている。いずれの要因もその働きの因果作用は短い期間の変化として特定できるが、それらが総合的に働いた長い期間の変化が進化と考えられることになる。ここには変化に関する近因と遠因の区別がある。変化の遠因による説明が進化論的説明という形式であり、それが歴史的説明と言われる理由となっている。
 進化という変化は個体レベルで表現されるのではなく、集団内の遺伝子や遺伝子型の頻度変化としてモデル化されている点に注意してほしい。頻度変化は世代間の変化であるが、世代間の遺伝は原則としてメンデルの遺伝法則に従う。世代交代が続く中で進化要因が持続的に働くことによって、集団内の遺伝子の相対的な頻度変化が蓄積していく。この変化が進化であり、頻度変化を引き起こすものが進化の要因ということになる。個々の有機体は生死によって変わっていくが、集団の変化はその中の遺伝子や遺伝子型の頻度変化として表され、その集団の変化が進化である。マイヤー(Ernst Myre)は集団概念こそが進化論の基本概念であることを強調している。
 メンデルの法則は確率・統計の用語を使って表現されるので、集団の遺伝子頻度の相対的変化も確率の用語を使って表現される。確率革命の代表例として統計力学が挙げられるが、集団遺伝学もその典型例であり、確率・統計概念を使って進化現象を説明しようとしている。古典力学での変化表現は一つの対象の変化を決定論的に述べるものだったが、進化論での進化表現は集団の時間的変化を確率的に述べるものである。
 進化モデルは力学での説明と全く同じ因果的なモデルである。下の表から二つの類似性を見てほしい。

古典力学                         進化論
個体の初期状態              集団の初期状態
運動法則、重力法則       自然選択、浮動等
個体の終期状態              集団の終期状態

(問)統計集団としての生物集団を考えた場合、統計力学と進化論のモデルの間の類似性を上の表に倣って表にしてみよ。

 さて、典型的な進化の説明図式を述べておこう。以後議論する問題はすべてこの基本的な図式を背景に置いて行われると考えればよい。集団はある環境の中で他の集団と相互作用しながら存在している。生物は存在するのに多大なコストがかかる。原子のような安定した存在とは異なり、生物の生存は極めて不安定である。集団内部に眼を移せば、メンバーである個体はみな違っている。この個体差、個人差が変異であり、その変異の主要な供給源が突然変異である。変異は個体の生存と繁殖の違いとして表すことができ、この違いが適応度として指標化される。適応度の違いに応じて集団内の遺伝子頻度に世代交代を通じて変化が起こる。これが自然選択である。自然選択の働き方は多様で、形質の固定化、絶滅、分散等が初期条件の違いに応じて結果する。
 進化は集団のメンバーである個体の遺伝的な変化の総計として定義される。進化の結果は個体レベルに現われるが、実際に進化するのは集団全体である。例えば、二つの対立遺伝子Aとaのいずれか一つの遺伝によって決められる形質があると仮定してみよう。親の世代がA92%、a8%で、その子孫がA90%、a10%なら、そこには進化が起こっている。この定義は20世紀初頭にハーディ(Godfrey Hardy, 1877-1947)とワインバーグ(Wilhelm Weinberg, 1862-1937)の独立した研究の結果として生まれた(1908)。数学的なモデルを通じて、彼らは遺伝子プールの頻度は遺伝的に安定しているが、進化はすべての集団でいつも起こる可能性をもっていることを明らかにした。この一見矛盾するような結論は進化のメカニズムの結果を分析することによって解かれた。

(自然選択の基本的構造)
 ダーウィンの自然選択の存在についての推論は、生殖、遺伝、変異(適応度の違い)という三条件からなっていた。次のように条件が組み合わされると自然選択が働くとダーウィンは考えた。

1有機体は超多産でありながら、一定の資源しか利用できないので、有機体間に生存闘争が起こる。
2変異が存在し、その中で生存闘争が起こると、有利なもの(=適応度の高いもの)が多くの子孫を残す。
3有利な形質をものがより多くの子孫を残し、その形質は遺伝する。

では、自然選択はどのように集団内の変化を引き起こすのか。遺伝子型の頻度を使って上の直観的な自然選択の働き方を表現し直し、集団の遺伝子型頻度の変化を統計的な集団として形式化してみよう。この形式化が集団遺伝学の出発点である。既述のように遺伝子頻度と遺伝子型頻度が形式化の際の要点となる。集団がNの二倍体の個体からなり、有性生殖するとしよう。二つの対立遺伝子A、aを考えると、その遺伝子型はAA、Aa、aaとなる。まず遺伝子の頻度を数学的に定義しよう。集団内のすべての対立遺伝子を数え、Aであるもの、aであるものの割合を決める。すると、次のような関係が成立している。
Freq(A)= #A/(#A + #a) = #A/2N
Freq(a)= #a/(#A + #a) = #a/2N
#A + #a = 2N
Freq(A) + Freq(a) = 1
(ここで#AはAの個数、つまり、Aをもつ個体の個数、Freq(A)はAの頻度である。)
では、遺伝子型の頻度はどのようになっているのか。それぞれの遺伝子型をもつ個体を数え上げることによって決定でき、遺伝子型の頻度は次のようになる。
Freq(AA) + Freq(Aa) + Freq(aa) = 1 (#AA + #Aa + #aa = N)
上の式は遺伝子と遺伝子型の頻度の定義に過ぎない。進化を研究するには、これらの定義を使って遺伝子と遺伝子型の頻度の間の関係を明らかにし、進化が起こっているときにどのように頻度が変化するかを示さなければならない。
 二つの定義を使って進化の定義を与えると、次のようになる。

進化は時間を通じての遺伝子と遺伝子型の頻度変化である。

進化が生じているかどうかを知るためには、それが生じていない場合にどうなるかを考えるのがよい。進化が生じていない状態を「ハーディ-ワインバーグ均衡」の状態にあると呼ぼう。これを正確にしようとすれば、定義しなければならない。

*残念ながら、定義は次回に。