変化とその表現(7)

アリストテレスガリレオ、そしてニュートン
 アリストテレスは天体の運動法則と地上の運動法則は異なると考えたが、ガリレオはそんな区別をしなかった。彼の慣性概念はアリストテレスの運動の考えと全く正反対だった。慣性の法則によって、飛ぶ矢は空中を飛び続けることができるが、摩擦力のために机の本は手で押し続けないと止まってしまう。さらに、慣性概念を質量と速度の積として数学的に表現し、加速度を単位時間当たりの速度変化とし、ニュートンは速度、加速度が一階、二階の微分として定式化した。このような大転換はどのように起こったのか。
[中世の世界像]
 アラビアではまずプラトン説が採用され、アリストテレスの考えは消える。1000年ほどの間新プラトン主義が横行し、科学的探求は現象世界の探求であるために一段低く考えられた。この時代の文化的、学問的な中心はイスラム世界にあり、そこでは哲学、数学がさらに発展した。ギリシャの主要な哲学は12世紀以後アラビア語からの翻訳でようやくヨーロッパでも利用できるようになった。アヴェロエス(Averroes, 1126-1198)はアリストテレスの自然学をヨーロッパに導入しようとしたが、キリスト教世界はそれを好まなかった。例えば、1210年パリ大学は学生にアリストテレスを教えることを禁止している。13世紀のトマス・アクィナス(Thomas Aquinas, 1225/27-1274)によるアリストテレス説の採用は容易ではなかった。新プラトン主義では科学的探求は単なる現象世界の解明に過ぎないと高い価値は認められなかった。
 トマス・アクィナスは13世紀に教会のアリストテレス主義採用に直接関わったが、その目的はキリスト教の教義とアリストテレスの哲学、そして科学を統一することによって、すべてを包容する単一の世界像を打ち立てることだった。つまり、神学、哲学、倫理、物理学、生物学、天文学等のすべてを総合することで、これは彼の『神学大全(Summa Theologiae)』によって実行された。
プトレマイオスコペルニクス革命]
 プトレマイオス(Ptolemy, Claudius Ptolemaeus, 85-165)が書いた『アルマゲストAlmagest)』はギリシャ天文学の総合であり、ヒッパルコス(Hipparchus, 190BC-120BC)の成果を伝えている。その第1巻には天動説の説明とその論証がある。例えば、どんな物体も宇宙の中心に向かって落下するので、地球はその中心に固定されていなければならない。そうでなければ、落下する物体が地球の中心に向かって落下するのを見ることができないだろう。また、地球が自転していれば、真上に投げ上げられた物体は同じ場所に落下しない筈である。このようなことが観察できないことから、彼は天動説が証明できたと考えた。プトレマイオスの天動説は15世紀のコペルニクス(Nicolaus Copernicus, 1473-1543)の登場までキリスト教社会で広く信じられた。
 プトレマイオスは中心の地球、そして月、水星、金星、太陽、木星土星の順序を受け入れた。その上で、これら天体の運動の違いを「従円」と「周転円」を使って説明した。従円は地球を中心とした大きな円で、周転円はその中心が従円の円周上を動く小さな円である。このような複雑な仕組みを考えたのは惑星が見かけ上逆行する現象を説明するためだった。太陽、月、そして惑星は自らの周転円の円周上を動く。このようにシステムを考えても観察される天体の現象は完全には説明できない。そのため彼は別の概念を導入する。彼は地球が各惑星の従円の中心から僅かに離れており、惑星の従円の中心と周転円が一様な円運動を記述すると考えた。この円運動の中心は従円の直径上にあるが、従円の中心から地球とは反対の方向にある。つまり、従円の中心は地球とこの円運動の中心の間にある。さらに、彼は地球から従円の中心までの距離と従円の中心からこの円運動の中心までの距離が同じであると仮定して、観察できる現象の見事な説明システムをつくり上げた。
 プトレマイオスは惑星が恒星より地球に近いことを知っていたが、透明の球体の存在を信じていたようで、そこに恒星が張り付けられていた。恒星の球面の外に他の球面が想定され、宇宙に運動力を与える第一動因で最後になっている。
 コペルニクスプトレマイオスのシステムの複雑さに疑いをもち、より単純な説明を求めた。オッカムの剃刀(Occam’s razor)を信じ、多くのギリシャの文献を漁り、太陽が宇宙の中心であるという考えに到達した。彼はプトレマイオスの理論を棄て、太陽を宇宙の中心に置いた。その結果、天体運動に関してエレガントな説明を手に入れることができた。

(問)天動説と地動説について、「単純である」という美的評価だけで一方の理論が他方の理論より優れていると言えるだろうか。

 別の変化は重力システムにあった。アリストテレスは対象がその自然な場所、あるいは宇宙の中心に落下すると信じていた。だが、コペルニクスが宇宙の中心を太陽に動かすと、アリストテレスの理論は変更を余儀なくされた。(例えば、地球が中心の場合、物体の落下は自然な運動だったが、太陽が中心になると何が自然な運動になるのか。)この問題はニュートンの重力理論によって最終的に解かれることになる。
 コペルニクスは地球を宇宙の中心でなくしたために教会から厳しく攻撃された。地球を一つの惑星に過ぎないと見ることは地球と人間が神の創造によるものだという信念を著しく傷つけたからである。

(問)次の各点についてプトレマイオスコペルニクスの説明モデルを比較せよ。(カッコ内は解答)
(1)天文学者を悩ませた火星の見かけの運動とはどのような運動か。(逆行運動、通常は恒星に対して東に動くのが、逆行して輪を描く運動をする。)
(2)この見かけの運動を説明するプトレマイオスのモデルとコペルニクスのモデルはどのようなものか。(プトレマイオスは火星が地球の周りを回る軌道をもっているためと説明する。コペルニクスは火星と地球は太陽の周りを円軌道で運行し、地球は火星より内側でより速く、太陽により近くを動くためと説明する。)
(3)地動説と天動説の論争を解くのに恒星の距離はなぜ重要なのか。(恒星の視差運動がないのは地球が動かないためか、恒星が地球から大変遠くにあるからかのいずれかによって説明される。)
(4)なぜ初期の天文学者は惑星が円軌道を描くと考えたかったのか。(全く美的なもの。天上の世界が完全で、円はそれに好都合だったから。)

[インペトス理論]
 運動しているどんなものも何かによって動かされなければならない。(『自然学』VII.1) アリストテレスは対象の運動を続けさせるには力を与え続けなければならず、どんな対象の自然状態も静止であると信じていた。アリストテレスの説明では不自然で、暴力的な運動は、外的な起動力の直接的で、連続的な作用を必要とする。常に外から力を直接に働かせてやらなければ、不自然な運動は続かない。だから、遠隔作用といったものはない。この起動的な力が働かなくなると、運動は止まる。この考えの難点は、ボールを投げるといった日常的な事柄をうまく説明できないだけでなく、それと矛盾する点である。ボールが手から離れると、それはすぐに止まらなければならない。(なぜか。)だが、実際にはボールは地面に落ちるまでしばらく飛び続ける。これを説明するためにアリストテレスは空気や水のような媒体を使った。そして、彼はこれらが不自然な力を助けると考えた。ボールの周囲の媒体(普通は空気)が飛んでいるボールの後ろを占め、ボールを押す。だが、なぜボールは最後には止まるのか。アリストテレスの答えは、運動している物体、つまり、ボールは媒体である空気に不自然な力を与え、それによって空気は運動を助けるのと同じように運動に反対する、という不満足なものだった。
 ビュリダン(John Buridan [Iohannes Buridanus], 1295/1305-1358/61)の著作のほとんどはアリストテレスの注釈である。デュエム等の研究で明らかにされてきた彼の自然哲学はアリストテレス的コスモスの終焉をもたらすのに大きな役割を演じた。彼の力学は投げられた物体の運動を物体に加えられた力を使って説明するインペトス理論(impetus theory)である。アリストテレスは投げられた物が運動を続けるのは近くの(空気のような)外的な原因にあるとしたが、彼はこれを退け、運動を起こすものから投げられた物体に伝えられる内的な力こそが運動の持続を説明できると考えた。インペトス理論はビュリダンが最初ではないが、その説明はアリストテレスの欠点をカバーしていた。
 投手がボールを投げると、ボールは投手が与えたインペトスによって動き始める。そして、ボールは抵抗よりインペトスが強い間は飛び続ける。さらに、抵抗が何もなければ、無限に飛び続ける。インペトスは可変の量でその力は速度と物質の量で決められる。(運動量はどのように定義されたか。)だから、落体の加速度はインペトスの単位の蓄積によって理解できる。だが、その革命的な意味にもかかわらず、ビュリダンはインぺトスの概念を使って力学を再構成することはしなかった。彼はガリレオの先駆者にはならず、アリストテレス主義者に止まり、運動と静止は物体の反対の状態であり、世界は有限と見做した。
 ベネディッティ(Giovanni Benedetti, 1530-1590)はガリレオの同時代人だが、アリストテレスに反対し、媒体は運動を助けるのではなく、妨害すると主張し、インペトスの考えを採用した。インペトスは物体を運動させるために物体に移された量である。ガリレオはこのインペトスの考えをより整合的なものにしていく。ガリレオは熱に喩えてインペトスを説明する。物体を熱すると、熱が物体に移り、熱が冷めるまで物体は温かい。これと同じように、媒体が抵抗して、インペトスを散逸させるまで運動は続く。
ガリレオGalileo Galilei, 1564-1642)]
 ガリレオの天体観測は天体が完全で不変の実体からできているのではないことを次第に明らかにしていく。特に、ガリレオコペルニクスの仮説を観測で実証することによって、地球も他の天体と同じ天体の一つに過ぎないことを示した。その結果、ガリレオの研究はまずアリストテレスの物理学を、次に彼の天文学を否定することになった。これらをまとめたのがニュートン。彼によって天体の法則と地上の法則は同じことが証明された。
 ガリレオアリストテレス的な認識論が完全に誤っており、力学、数学、工学に基礎を置く認識論で置き換えるべきだと考えていた。天上と地上の異なる物理学を統一し、特に、自然の運動と干渉による不自然な地上運動という考えを捨て去ろうとした。そのために実験と観察をした。
 ガリレオはそれまで自然研究とは別物と考えられていた数学を使って実験と観察を表現し、その結果を使って知識を獲得することを標榜した。ガリレオが目指したものはアリストテレス的な世界観の否定とコペルニクス的な世界観の肯定だけではなく、感覚的、現象的だけではない推理された経験と数学に基づいて知識を確立することだった。これは常識的、日常的な経験から、推理された、数学的に正しい経験理解への認識論的な転換であった。アリストテレスの場合は直進する運動が説明を必要としたが、ガリレオの慣性と慣性座標系の場合は、原因を必要とするのは地球に向かっての加速度的な落下運動だった。
 ガリレオが太陽の周りを回る惑星の運動についてのコペルニクスのモデルを受け入れると、彼は運動そのものを考え直さねばならなくなった。ガリレオはできるだけ単純な運動から考え始め、距離Dを時間Tで動く直線上の運動として一様な直線運動を定義した。ガリレオコペルニクスも動いている船でボールを落下させた場合と同じことが陸上でボールを落下させても起こることを知っていた。ボールは垂直に落下する。だから、一様な直線運動は落下するボールに何が起こるかを変えることはない。さらに、二人とも船上で別の船が通るのを見ている人は視界に固定した対象(つまり、参照枠=座標系、frame of reference)が何もなければどちらの船が動いているのかわからないことも知っていた。
 参照枠という考えはアインシュタイン相対性理論の鍵であるが、それより300年も前にガリレオによって理解され、明確に表現されていた。一様直線運動の定義と上述の簡単な観測から、ガリレオは地球が静止し、太陽がその周りを動いているか、太陽が静止し、地球がその周りを動いているかを証明することができないことを知っていた。

(問)アリストテレスはリンゴの落下を説明する必要はなかったし、ガリレオはリンゴが飛び続けることを説明する必要がなかった。一方、アリストテレスはリンゴが飛び続けることを説明する必要があったし、ガリレオはリンゴの落下を説明する必要があった。この違いを説明せよ。

(問)アリストテレスの物理学がガリレオによって反証されたことは、反証に使われたガリレオの理論が正しいことを示しているだろうか。また、反証に使われる理論が正しくない場合でも実験や観察は正しいだろうか。

ニュートン(Isaac Newton, 1642-1727)]
 ニュートンは自然哲学者であると同時に数学者でもあった。彼はガリレオに始まる運動の物理学を支える三つの法則を生み出し、コペルニクスの天体運動のモデルがどのように働くかをより十分に説明した。ニュートンについての詳しい説明は次の章に譲り、ここでは彼の運動の法則と重力の法則だけを確認しておこう。それらは『自然哲学の数学的原理(プリンキピア)』(Phiosophiae Naturalis Principia Mathematica, 1687)で述べられている。
 『プリンキピア』は三巻から成っている。第一巻は、ユークリッドの『原論』のように、質量、運動量、静止力としての慣性、外力、求心力などを簡潔に定義している。そして、それらの基本的概念に基づく有名な三つの法則が述べられる。第三法則は、二つの物体が相互に及ぼす力、作用と反作用は、大きさが等しく方向は反対になるというものである。この第三法則がニュートンの力学上の新しい業績で、最初の二法則は彼の先駆者たちの研究によってすでに定義されていた。だが、三つを厳密に数式で表わし、論理的に系統立てたのはニュートンが最初だった。第二巻では流体力学を論じて、デカルトの渦動宇宙論を批判している。ニュートンの最大の業績である重力が登場するのは第三巻である。二つの物体はある力をもって相互に引き合うこと、そして、その力はその物体の質量に正比例し、物体の間の距離の二乗に反比例するという相互引力の法則がすべての物体について成立する。ニュートンはそれまでのさまざまな考えを総合し、引力理論に基づいて、力学を宇宙全体に適用できるようにした。つまり、ニュートンは極微粒子から巨大な天体に至るまで宇宙にあるすべてのものにあてはまる単純明快な理論を樹立した。

(第一法則)どんな対象も外部から力が働かない限り、静止したままか、一様な線運動を続ける。このような条件(静止、あるいは一様線運動)は現在慣性と呼ばれている。
(第二法則)運動の変化は力に比例し、力が加わる方向に起こる。(物体が直線に沿って一様な線運動をしている場合、運動方向に垂直に働く力は以後の運動に影響を与えない。)
(第三法則)作用・反作用の法則
万有引力の法則)F = G(mm'/D2 )(Gは重力定数、m、m’は二つの物体の質量、Dは二つの物体間の距離)