途方もない数 —無知から知へ—

 大きな数といっても宇宙の星の数、地表の砂粒の数、日本の借金などいろいろあるが、ここでは身近な物に含まれている原子の数を取り上げてみよう。そして、この数が途方もなく大きいことが何を意味するのか考えよう。
1 原子を並べてみよう
 私たちを取りまく物質がどのくらいの数の原子からできているのか?アヴォガドロ数がその目安である。水の化学式はH2Oで分子量は18、水18グラムは1モルの分子からなり,その数がアヴォガドロ数
6.02 × 1023 個
である。6の後ろに零が23 個も並ぶから、かなり大きな数である。その大きさを実感するために、水の分子を1 列に並べるとどのくらいの長さになるか考えてみよう。まず水分子の大きさを知らなくてはいけない。18cm3 の水は、一辺2.62cm の立方体になり、一辺に 0.84 × 108 個の分子が並ぶから、一個の大きさは2.62cm/(0.84 × 108) = 3.12 × 10−8cm、大体3 × 10−10m の大きさだろう。さてこれを6 × 1023 個並べると
(3 × 10−10m) × (6 × 1023) = 1.8 × 1014m
あるいは,1.8 × 1011km となるが,これはなんと光が1 週間かかって進む距離である。
(3 × 108m/s) × (60s/min) × (60min/hour) × (24hour/day) × (7day/week) = 1.8 × 1014m/week
 以後はアヴォガドロ数が大きいために成り立つ不思議な法則の話である。
2 コイン投げと箱の中の気体
 コインを一枚投げるとき、表の出る確率が1/2、裏が出る確率が1/2である。同じコインを二つ投げたら、二つとも表になる確率が1/4、二つとも裏になる確率が1/4、表と裏が一枚ずつ出る確率が1/2である。1枚ずつの確率が多いのは、どちらが表になるか二つの可能性があるからである。そんなことは当たり前と思うかもしれないが、原子の世界では必ずしもこのようにならず、それぞれの確率が等しく1/3 の確率になったりすることがある(量子力学)。以後は常識的なコイン投げを考えよう。
 さて、コイン投げでわかったことをもとに、次のような状況を考える。大きな直方体の箱の中に水蒸気が1モル,つまり質量にして18グラム入っている。この箱の丁度真ん中に仕切りを差し込んだら、箱の両側にはどれだけの水分子が入っているだろうか? 答えはもちろん左側に9グラム、右側に9グラムである。水分子が1個しかなく、分子が勝手に運動しているとすれば、左か右に1 個あり、反対側は空っぽである。分子がたくさんあってもそれぞれが勝手に運動しているなら、左に来る確率も右に来る確率も1/2なのでコイン投げと同じ状況になる。左側にも右側にも1/2モルの分子がはいり、その誤差はせいぜい1012、つまり1 兆個くらいである。これは莫大な数だが、1/2モルからの相対誤差は1兆分の1に過ぎない。マイクログラムのさらに一万分の一だから、普通の測定手段では測れない誤差である。物理の測定装置でこれ以上の精度を出すのは難しい。ちなみに物質の量の基準となっているのは1889 年以来パリに保存されているキログラム原器である。この複製品が世界に配られ、質量測定の基準になっているが、もとの原器との誤差はこの100 年間で7マイクログラム程度である。
3 原子論の追求とその恩恵
 前の話は、水蒸気が分子からできていることが前提である。連続的に見えるいろいろな物質が、実は離散的な粒子の集まりだということが議論の前提となっている。ファインマンは有名な教科書の中で「もしもいま何か大異変が起こって、科学的知識が全部なくなってしまい、たった一つの文だけしか次の時代の生物に伝えられないということになったとしたら、最小の語数で最大の情報を与えるのはどんなことか。私の考えでは,それは原子仮説だろうと思う。」と書いている。原子論はギリシア時代に、レウキッポス、デモクリトスエピクロスなどによって考え出された。もちろんこの時代に原子論の主張を証明することはできる筈もなかったのだが、身の回りの観察から原子の存在を推論していたのである。
 私たちが今考える意味での原子論が確立するのは近代になってからである。メートル法が最初に制定されたときは「一辺が10cmの立方体の体積の、最大密度における蒸留水の質量」ということだった。日本にあるキログラム原器はパリの原器の6番目の複製で、1889年の質量は1kg+0.169mgということになっている。その後、約40年に1回、パリに運んで検査が行われている。日本にはNo.6のほかにNo.60という副原器がありその質量は1kg+0.172mgである。
 ラヴォアジェ(Antoine-Laurent de Lavoisier,1743-1794)は化学反応によって質量が変化しないことを示し、さらに元素の概念を確立した。近代の原子論は1803年、ドルトン(John Dalton,1766-1844)によって提案された。しかし、19世紀のあいだは原子論が本当に受け入れられたとは言いがたい。このころの物理学史の年表を見ると、
1662 ボイルの法則
1687 ニュートンが『プリンキピア』を出版
1784 ワットが蒸気機関を発明
1787 シャルルの法則(1802: ゲイ-リュサックの法則)
1803 ドルトンの原子説
1811 アヴォガドロの分子仮説
1827 ブラウン運動の発見
1831 ファラデーが電磁誘導を発見
1842 マイヤーがエネルギー保存の法則を提唱
1843 ジュールが熱の仕事当量を測定
1847 ヘルムホルツによりエネルギー保存の法則(熱力学の第1法則)が確立
1848 トムソンが絶対温度絶対零度の提唱
1850 クラウジウスが熱力学の第2法則を定式化
1860 マクスウェルの気体分子運動論
1865 マクスウェルが電磁気学を定式化
1877 エントロピーに関するボルツマンの原理
1883 マッハ「歴史的、批判的に見た力学の発展」で原子論を否定
1900 プランクがエネルギー量子を導入
1902 ギブスが統計力学のアンサンブル理論を定式化
1905 アインシュタインブラウン運動理論、ネルンストが熱力学の第3 法則を発見
1906 ボルツマンが自殺
1908 ペランがアインシュタイン理論を検証、ランジュヴァン方程式
1925 ハイゼンベルグ行列力学を提唱
1926 シュレーディンガー波動方程式を提唱 
 19世紀に急速に物理学が進歩したことがわかる。とくに19世紀後半に熱力学と、やや遅れて分子運動論,統計力学が作られていった。20世紀に入るとすぐにプランクの「エネルギー量子」が提案され原子物理学の時代に突入するが、マッハに代表される原子論を否定する立場もまだ強力で、統計力学の創設者であるボルツマンが悩んでいた時代でもある。1905年にアインシュタインブラウン運動の理論を発表し、3 年後にペランが実験的にこれを検証し、初めて原子論が疑いのないものとして受け入れられた。
4 無知の知:無知の利用
 私たちは水蒸気の中の分子の運動についてほとんど何も知らないのに、箱の中の分子数を相当正確に予言することができる。もちろん、分子がいろいろな方向にいろいろな速さで飛び交っていることを知っているから、まったく何も知らないわけではないが…水が膨大な数の同じ種類の小さな粒子からなり、気体中ではそれが自由に飛び回っている。ギリシア以来、二千年の歴史をかけて築いてきたこの原子論の知識が重要なのである。ここで注目したいことは、コイン投げにしろ、分子数にしろ、私たちは、いろいろな問題に対して無知であることをむしろ積極的に利用してきたという点である。私たちは投げた後の一枚のコインの運動は正確に計算できるのだが、表裏を思い通りに出すほど正確には投げ方をコントロールできない(そんなコントロールをもつ投手はいない)。だが、個々のコイン投げの表裏の結果はわからなくても、何度も投げたときの表裏の割合は正確に推測できる。その数が多くなればなる程正確になるが、このとき個々のコインが表か裏かを問題にしていないことが大切な点である。それと同じように、分子一つ一つが今どこにあるかはわからなくても、左右の箱に分子が分配される割合は正確にわかる。
 分子数の場合、正確に予想できるのは、例えば「左の箱に何パーセントの分子があるか」というような、ある一つの巨視的な情報に対応するものである。箱を二等分したときの分子数の配分が50パーセントずつの場合と10パーセントに90パーセントの場合では、個々の分子がどちら側にいるかを区別して数えたときの原子レベルの微視的な状態の数(数学での「場合の数」)が、まったく違っている。その結果、半分が左側にいるということが確定的な情報となる。そして、われわれが普通必要とする巨視的な情報は、微視的な状態についての情報をまったく問題にしていないのである。10パーセント以下の分子しか片側にない可能性はまったくゼロと言ってよい(「無限小」は数学のゼロとは違う物理学のゼロ)。最初に見たようなマクロな系の分子数の膨大さによって、「個々の分子がどちらにいるかわからないから、同じだと思うことにしょう」という、一見いい加減な仮定にたった予言が確定的なものになるのである。「静止している箱の左側半分に40パーセント以下の分子しかない状態が観測されたら私の命を差上げる」という賭けをしても大丈夫である。なぜなら、そのような状態が実現されるには、宇宙の寿命よりずっと長時間待たなくてはならないからである。
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*場合の数とエントロピー
 ひとつの巨視的な状態(たとえば仕切りのある箱の左側半分と右側半分に等しい量の空気が入っている状態とか、コインを大量に投げたときその半分が表である状態といった)にどれだけの微視的な状態が対応しているか(コインの表裏で言えば場合の数))が重要だと言うことに最初に気づいたのはボルツマンである。この「場合の数」にあたるものの対数がエントロピーと呼ばれている。ボルツマンはこのエントロピーの考え方を使って、統計力学という微視的な世界と巨視的な世界の関係をつける方法を考え出した。コイン投げの場合の数は簡単に数えられるが、気体が半分ずつ入っている状態の場合の数をどう数えるかは難問である。ボルツマンが統計力学を作ったのは19世紀末だが、20世紀にはいって量子力学が発見されて初めてこの問題の正しい解決が可能となった。
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 このように原子の世界について、数が多いことを知っていれば「無知」を積極的に利用して、身の回りのマクロな世界について確定的な予言ができる。物理学の重要な構成要素に「熱力学」と「統計力学」がある。「気体の体積を半分にすれば、その中の物質の量は半分になる」といった主張をするのが熱力学で、「分子が勝手に運動していればそうなる確率が圧倒的に大きい」といった主張をするのが統計力学である。私たちの身の回りの物質の性質は、その物質を構成する原子や分子の種類を知れば、統計力学によってほとんど予言できてしまう。