物理学史のエッセンス(1)

 ギリシャに先行する古代の自然観となれば、神話や伝承物語の内容そのものを探ればよく、そこでは人間と自然の対立などは見られない。古代の人々は創造の神話、物語によって世界とその中の人間の生活を理解した。ところが、紀元前6世紀頃のタレスピタゴラスに始まるイオニア時代に入ると、自然から人格的なものを引き離し、自然を客観的な対象として扱い始める。すると、自然には秩序があり、必然性もあることがわかる。そこで、自然を生み出す原理やその起源の探究がスタートする。デモクリトス(紀元前5世紀後半)は小さな分割できない原子とそれらが空虚な空間の中を運動している宇宙を考えた。原子は不変でさまざまな幾何学的形をもち、結合して世界のあらゆるものを形づくる。原子の運動によって、あらゆる変化を説明する原子論が提唱された。空虚をもつ宇宙はそれ以前の物質の充満した宇宙とは異なっていた。アリストテレス(紀元前384-322)は当時関心をもっていた自然と人間についてあらゆることを説明しようとした。
 ヘレニズム文化の中で、ユークリッド(紀元前300年頃)の幾何学アルキメデス(紀元前287-212)の力学(てこの原理と浮力)、さらにヒッパルコス(紀元前190-120)の天体観測が生み出された。
アリストテレスの自然学>
 科学革命以前の物理的自然はアリストテレスの『自然学』がテキストだった。アリストテレスデモクリトス(紀元前460頃-370頃)の原子論(大きさのあるものの不可分性、空虚の存在、霊魂の物質性)を批判し、排除した。唯一の根元物質の第一資料に温・冷・乾・湿の4性質のうち2つが加わって火(温乾)、空気(温湿)、水(冷湿)、土(冷乾)の4元素ができ、これらの組合せで第2の変化(石や血)、さらにこれらの組合せで第3の変化(顔や手)が生ずると考えた。
 彼は Physica(『自然学』)のなかで、自然とはものの運動あるいは静止の原理・原因であるとし、空間(そこに入るものとそこから去るものとのいずれとも異なるもの)、時間(前と後とに関しての運動の数)、運動(運動を主体から主体への移り変わりと限定した上で、更にその運動を性質の変化と量の増減と場所の変化の3つに区別する。場所の変化、つまり移動なるものが今の私たちのいうところの運動)について考察し、運動を自然運動と強制運動に分け、さらに自然運動を2つに分類し、運動を次の3つに分類した。

秩序が乱されない運動、天球の回転運動(円運動)
地上の運動のなかで、ある乱された秩序を回復する運動
物体の強制的な運動で駆動力を必要とする運動
  
物体はなぜ落下するのか?物体は主成分が土である。土は元来下の位置にあるものであり、土が元の位置に戻るために落下する。落下する物体の重さが重いものほど落下時間は短い。また物体の落下に要する時間は物体を取り巻く媒質の抵抗に比例する。
 第3の運動については、強制された運動-自然に反するこの種の運動には原因がなければならず、従って原因がなくなれば運動は終わる。馬車は馬が引くから動くのであり、馬のない馬車は動かない。接触しなければ力は作用しない。速さは駆動力に比例し抵抗力に反比例する。矢が弓を離れても飛び続けるのは駆動力者の力が媒質を伝わって矢に働くからである。
 空虚な空間では運動に対する抵抗がなくなり、瞬時に移動しなければならない。そこでは物体はどのように運動すればよいかを知らない(物がないので駆動力も伝わらない)ことになる(真空の否定につながる)。 
アリストテレス運動学の解釈と論理の破綻>
 プトレマイオス(2世紀)はその著『アルマゲスト』で天動説を主張した。星の配列は地球・月・水星・金星・太陽・火星・木星土星・恒星天の順序とした(ストア派の説の継承)。天体の運動理論は、本質的には等速円運動の組合せによって説明されなければならなかった。その一つは中心が地球からずれた離心円であり、もう1つは周転円だった(ヒッパルコスの説の継承)。
 フィロポノス(6世紀)はアリストテレスの『自然学』を注釈した。石や矢を十分遠くまで飛ばすことができないという事実を挙げて、アリストテレスの放物運動を批判した。彼は投げられた物体が運動を続けるのは、駆動者が動力を媒質にではなく、物体そのものに与えるからで、この「こめられた力(vis impressa)」が物を動かし続け、外からの抵抗がなくても、それ自体、次第に消耗し、やがて運動は止む。媒質は運動にとって抵抗としてのみ作用し、速さを遅らせる役割を担うと主張した。
 ビュリダン(1300-1358)のインペトス(impetus)理論はアリストテレスガリレオの間に位置する。物体に刻み込まれた動力をインペトスと呼び、これは本来、永続的、恒常的なものであって、抵抗によって弱められない限り、それ自身としては自然に消耗することはないと考えられた。彼はこのインペトスは物体の速さと物体の質量に比例すると考えた。「自由落下では重さが動力として落体内にインペトスを次々に与える。それが集積して増大するのに物体の質量は不変だから、運動はだんだん速められる。また宇宙の創成にあたって最初に神が天体にインペトスを与えたとすれば、天空には何の抵抗もないので、このインペトスは永久に保持され、天体の永久的な円運動が簡単に説明される。」
コペルニクス(1473-1543)の地動説 
 彼は『天球の回転について』で、「太陽は万物の王座を占めている。これこそ光であり理性であり宇宙の支配者である。ヘルメス・トリスメギストはこれを神の顕現と名付けている」とし、太陽中心説を「現象を救うため」の仮設的な理論とは考えていなかった。もし地球が回転しているなら、地上の物体は回転から取り残されて地球の外に放り出されるという批判に対しては、彼は地球の自転は自然的で強制的でない運動であると答えている。また、太陽をめぐる地球の回転は重さの本質と矛盾するとの意見に対して、重さは世界の中心に向かう作用ではなく、一つのものになろうとする物体の努力であるからと説明している。
古典力学の成立過程:新天文学と実験科学>
  テイコ・ブラーエ(1546-1601)は占星家として、天体運行表を正確にしたいとの目的から、16年にも及ぶ精密な遊星(惑星)観測を行っていた。テイコの結果を引き継いだ助手のケプラーは火星の奇妙な運動に興味をもち、その詳しい分析の中から火星の軌道面と地球の軌道面の間の角度を決定し、交叉線上に太陽がくること、太陽は火星の軌道面上にあると同時に地球の軌道面上にあり、太陽は火星と地球の両方に共通する運動の中心であることを確かめた。このことから第1法則「遊星は楕円軌道を描き、太陽はその1焦点にある」と第2法則「遊星と太陽を結ぶ直線は、等時間に等面積を描く」をみいだし『新天文学』に発表(1609)した。さらに、8年後に第3法則「任意の2遊星が太陽の周囲を回転する周期の2乗は、太陽からそれらの遊星への平均距離の3乗に比例する」を『世界の調和』に発表(1619)した。
 古い時代の哲学者の自然観が多くの観察を根拠とするよりはむしろ思弁に導かれた神秘主義的色彩が強かったのに対し、ケプラーは正確な観察事実に拠りつつ厳密な数学的推論の手法をもちいて3法則の発見に至った。彼は「観察事実に拠りどころを求めて法則を追求する」ことを実践したのである。
ガリレオ(1564-1642)落体の法則 『新科学対話』
 19才のとき振子の等時性を発見したといわれ、パドア大学に移って落体運動の研究を始めた。彼はアリストテレスの「同じ高さから物を落とすとき、重い物は軽い物より早く着地する」に対し「重い物と軽い物を連結すればどうなるか」と疑問を持った。アリストテレスに従えば、いづれよりも重いからいづれよりも早くなければならない。他方で、一部は早く落下しようとしても他方は遅く落下しようとするから、その中間で落下する以外ではありえない。これは矛盾である(このガリレオの論証は実に見事だが、実験は論証に勝ることの例にもなっている)。だから、すべての物体の落下の仕方は重さには関係がないと考え、これを「実験」で追求しようとした(1604頃)。
 直接的に材質の異なる球を落下させて実験してみたようであるが、より精密には斜面の実験によって、金属球が斜面を転がり落ちるとき、球が静止状態から出発するとき、その走行距離が時間の2乗に比例して延びてゆくことを発見した。彼は斜面を垂直にした場合でも現象は同じ筈だと結論し、また物体の重さにも関係のない自由落下における等加速度運動の概念に到達した。彼は水平におかれた平板上の球は最初に弾かれたとすれば、その後はその速さを維持すると推論し、減速の原因がない限り物体は永久に運動し続けるという、ある種の「慣性の法則」を主張している。
 放射体の運動が水平方向の等速運動と垂直方向の自由落下運動の合成であると言う仮定を確かめる実験を行い、弾かれた物体は放物線経路をほとんど外れていないと報告している。この実験は船のマストから落とした物体はマストのすぐ近くに落ちることの話として、地球が動いていても、地上の人はそれを感ずることができないことを示しており、地動説に対する反論への反論の根拠となっている。
 ガリレオの物理学への功績は単に自然を観察するだけでなく、人間の側から積極的に自然に働きかける「実験」とその結果に基づいて自然の法則を認識することを示した点である。彼は落体の法則を発見していながら、それが重力によるものであるとは考えず自由落下はアリストテレスの分類における「自然運動」であるとした。
 運動量の概念について、デカルト(1596-1650)は『哲学原理』で「神が運動の第一原因であること、および宇宙において常に一定の運動の量を持つ」と述べている。また、三つの自然法則として、「自然界の第1法則:あらゆるものは、常に同じ状態の中にとどまり、そして、ひとたび動かされたものはいつまでも運動を続ける。自然界の第2法則:すべての運動はそれ自体は直線的であり、それゆえに、円運動するものはその運動が描く円の中心から遠ざかろうとする傾向をもつ。自然界の第3法則:ある物体は他のもっと強い物体に衝突するとき運動を失わないが、反対にもっと弱い物体に衝突するときはそれに与えるだけ運動を失う」と述べる。また、デカルトは真空を否定したが、実験的に真空を作って見せたのは、ガリレオの弟子のトリチェリーであった(1643)。
ニュートンの力学>
 ニュートン(1643-1727)の『自然哲学の数学的原理(プリンキピア)』は3巻からなっている。ユークリッドの『原論』にならい、幾つかの定義から出発し、つぎに基本的な法則、いわゆる「運動の三法則」を掲げ、これを公理として定理を導き出した。彼は「万有引力」の法則を先の運動の三法則に加えることによって、ケプラーが見出した惑星の運行についての三法則を演繹的に導くことができた。
運動の三法則
法則1:すべての物体は、その静止の状態を、あるいは直線上の一様な運動の状態を、外力によってその状態をかえられない限り、そのままつづける。
法則2:運動の変化は、及ぼされる起動力に比例し、その力の及ぼされる方向に行われる。
法則3:作用に対し反作用は常に逆向きで相等しいこと。あるいは、2物体相互の作用は常に相等しく逆向きであること。
 また、ニュートンは地球上の重力と天体の運動を決定する力とは同じものであることを発見した。
万有引力:二つの物体の間にはたらく引力で、その大きさは両物体の質量に比例し、その間の距離の2乗に逆比例する。
 ニュートン力学アリストテレスの時間・空間の一様性の概念を変えるものではない。また質量についてはデモクリトス流の原子論を基礎とし、その不変性を前提とした。

*ここまでのスケッチについて
 どう考えても神話の内容は真ではない。これが私たちの当たり前の理解で、世界についてのかつての素朴な説に過ぎないと思っている。これが科学革命の完成者ニュートンの力学となると、その内容が現在と異なるかどうかが判然としなくなり、私たち自身の立ち位置がぼんやりしてくる。神話学者は神話が端的に誤りであることを明言しない。ギリシャ哲学の専門家もそこで展開される哲学の議論が誤っていることを敢えて触れない。「神話を信じる」ことと「神話が真である」ことが同じことであることは研究者には耳が痛いことなのである。むろん、研究者は神話を信じることを仮定した上で神話の意義や役割を研究する。だが、心底信じることと信じると仮定することは同じことなのだろうか。
 神話や宗教の信念から科学の信念へとシフトし、それに応じて信念概念と真理概念もシフトしたと考えることができる。さらに、信念形成の仕方も大きく変わった。だから、宗教的信念と科学的信念の信念の意味が違うのである。科学革命の中で宗教教義に基づく信念は経験的な「正当化された真なる信念」へと変わった。この立場では「心底信じる」ことと「信じると仮定する」ことは同じなのである。