夢の島公園の風景:自然と不自然

 人の都合と植物の都合が同じ筈などないのだが、それら都合が織りなした中間報告が今のところの夢の島公園の景観である。公園は2020年のオリンピック・パラリンピックに向けて今は改造中。外来植物、園芸植物の自然への介入が公園のあちこちに見られ、不思議な植生を目撃することができる。人はそれを間接的な自然破壊、自然侵入、自然破壊などと呼んでもきたのだが、その自然さが人々を寛がせてくれる。植物学や博物学の明暗が混り合い、園芸という文化の象徴がいつの間にか自然化、野生化しているのである。
 私たちが「自然(Nature)」と呼ぶものは本当に自然なのか。自然の景色、風景、景観と呼ばれるものは実は相当にいい加減なもので、ほとんどは不自然なのだが、にもかかわらず、擬似自然でも自然であることに違いないことを見事に示してくれる。その典型例の一つが正真正銘人工の埋立地である夢の島公園である。埋立地といえば、東京の下町の多くが埋立地につくられてきた。夢の島は謂わば新参者の埋立地であり、「人がつくった自然」としか呼べないのであるから、文字通りの自然ではないのである。だが、誰も不自然、非自然とは呼ばず、見た目は自然そのもので、公園には見事な森林さえつくられている。実際、私たちの自然認識などいい加減なもので、本物の自然を風景として見た人などごく僅かで、車窓から眺める自然のほとんどは人の手が入った自然に過ぎない。その上、人は人によって変えられた自然の方を好むようなのである。埋め立て地だと居直り、自然擬きを演出し、人心を誑かすのも悪くないと算段し、東京都と江東区は広大な緑地を自然であるかのように造り直した。自然を造成する際、人の錯覚を見事に応用し、自然を再生したのである。造園とは擬似自然の造成だったのだが、それを忘れれば、私たちは人のつくった自然を自然として満喫でき、実際観光はその擬似自然を利用しているのである。
 公園も庭園も人工のものだが、そこにある樹木、草花、土や水は当然自然のものであり、それらを材料として人がアイデアやプランを駆使して、自らの自然の表象として公園や庭園を実現するいうことになる。人が深山峡谷を見ることでさえ、私たち人が見るという知覚や認識の人工的な操作が入ることによって成り立っている。つまり、自然を認識する、表象することは自然が人工的なものになることを意味している。私たちに見られない、表象されない自然こそが文字通りの自然なのだと思えば、誰にも見られていない自然を一心不乱に探し求める気持ちがわかるというものである。
 自然には色々なものがある。公園は樹木、草花、土壌、建物等々からなっていて、それらは基本的に自然のものからできている。材料としての構成要素はみな自然的だが、それら構成要素に人の手が入り、自然にはないものをつくり出すことによって、不自然な世界がつくられることになる。では、私たちは本当に「自然」を認識できるのか、自然を知覚できるのか。何が「自然的」なのかわからない限り、その自然を知覚したり、意識したり、認識したりはできない相談である。「自然」は思案を重ねて私たちが生み出す概念であり、私たちにとって所与のもの(the given)などではないのである。そんな思弁的な話に没入する前に、現実を確認してみよう。

 江東区の「夢の島」は、東京湾埋立14号地のうち、湾岸道路より北の部分。夢の島公園が大部分を占める。14号地のうち湾岸道路より南は新木場。北は夢の島大橋で新砂と繋がる。西は曙運河を挟んで辰巳、東は荒川を挟んで江戸川区臨海町。埋立当時、飛行場が建設される予定だった。戦後間もない頃には遊園地などが計画され、海水浴場として人気があった。そのせいか、「夢の島」と呼ばれていた。これが自然と定着したためか、1969年には正式な行政地名としてこの名が採用された。
 1950年代、東京都内でごみが増え始め、それに対応するため東京都は夢の島をごみ処分場にし、埋め立てが開始された。それ以降、1067年まで埋め立てが続いた。1965年夢の島で発生したハエの大群が強い南風にのって、江東区南西部を中心とした広い地域に拡散し、大きな被害をもたらした。埋め立て終了から11年後の1978年、東京都立夢の島公園が開園。現在ではスポーツ施設が建設されるなど緑の島として生まれ変わった。
 公園には夢の島陸上競技場、陸上サブグランド、夢の島熱帯博物館、東京スポーツ文化館、地区の東端近くには新江東清掃工場、夢の島マリーナ、少年野球場などがある。それら施設の間にはユーカリやアメリカ・デイゴの大木が仲良く並んでいる。また、第五福竜丸展示館があるが、2018年7月1日から2019年3月31日まで改修工事のため休館する。2020年の東京オリンピックパラリンピックではアーチェリー会場になる。

 夢の島公園は昭和の雰囲気が漂う不思議な「異自然空間」なのかもしれない。熱帯植物園ではなく、熱帯博物館という名称の巨大なガラス館、最新のボートが係留されているマリーナ、ビキニ環礁被爆した第五福竜丸の昭和丸出しの展示、多くのスポーツ施設が無理やりでも収まった夢の島空間には多くの樹々と草花が自然擬きを生み出し、人々はその擬似自然を存分に楽しんでいる。熱帯の樹々や草花から寒帯の植物まで、植生など気にしなければ、妙に穏やかで心和む自然になっているのである。
 夢の島公園は周りの公園を含め、「自然とは何か」を不自然の中で考える最適の場所なのである。