「野ばら」の前に:「バラが咲いた」
 浜口庫之助が作詞・作曲した「バラが咲いた」は、サン=テグジュペリの童話『星の王子さま』の薔薇をテーマにした一節がモチーフになっていると言われている。私が大学に入って間もない頃に大ヒットしたフォーク・ソングで、その歌詞を確認してみよう。

バラが咲いた バラが咲いた 真赤なバラが 淋しかった ぼくの庭に バラが咲いた
たったひとつ 咲いたバラ 小さなバラで 淋しかった ぼくの庭が 明るくなった
バラよ バラよ 小さなバラ そのままで そこに咲いてておくれ 
バラが咲いた バラが咲いた 真赤なバラで 淋しかった ぼくの庭が 明るくなった

バラが散った バラが散った いつの間にか ぼくの庭は 前のように 淋しくなった
ぼくの庭の バラは散って しまったけれど 淋しかった ぼくの心に バラが咲いた
バラよ バラよ 心のバラ いつまでも ここで咲いてておくれ 
バラが咲いた バラが咲いた ぼくの心に いつまでも 散らない 真赤なバラが

 ゲーテの詩にも浜口の詩にも、私には疑問がある。まず、そこに登場する「野ばら」と「バラ」がどんなバラかがわからないという文学音痴的な疑問である。文学や音楽に登場する動植物はとてもいい加減に使われ、人が暴力的に自分勝手に使うものだということの証左になっている気がしてならないのである。「花鳥風月」といった自然の切り取り方は一方的な人の都合に過ぎないのではないか(浜口の詩やマイク真木の歌を聴いて、画像の二つのバラのいずれを想像するだろうか。さらに、ゲーテシューベルトの「野ばら」を聴いて、どんなバラをイメージするだろうか)。
 『星の王子さま』の赤いバラはサン=テグジュペリの妻コンスエロをモデルにしたのだという説がある。戦争やその他の理由もあってサン=テグジュペリとコンスエロは遠く別れて住むことを余儀なくされた。彼は「大切なものは目には見えない」と言ったが、「心は目に見えない」と言いたかったわけではないだろう。目に見える咲いたバラ、目に見えない散ったバラを通して目に見えない相手を見つめることができるという考え方はサン=テグジュペリの発想である。それを浜口が察知し、マイク真木が見事に飾り気なく歌ったのではないか。「バラが咲いた」は数多くあるバラの比喩の一つであり、その大先輩がゲーテの詩「野ばら」なのだろう。

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