ユークリッド幾何学の特徴

 『原論』をベースにしてユークリッド幾何学を学び始めて気づく特徴、あるいは形式主義的な観点からは『原論』の欠点に映るものを挙げてみよう。それらは誰も学校で自然に感じた事柄ではないだろうか。

① 測度、尺度が決まっていない(線分の長さが無視されるので、数計算と結びつかない)。
② 作図は定木とコンパスだけに限定される(ギリシャでは直線と円だけが神聖なものとみなされた)。
③ 図形の基本を三角形にした(三角形の合同定理が出発点になり、これは複雑な関数関係に結びつけられている定理である)。
④ 次元が空間や球面に至っていない(それゆえ、図形は平面に限られる)。
⑤ 図形は個別的である(平面に書いた三角形は特定のユニークな三角形である)。

これらユークリッド幾何学独特の特徴は、具体的に図形に従って結果を構成するという特徴である。これらはその後の幾何学の歴史の中で次第に解消、あるいは変更されていく。また、点からスタートする図形の作成は、デカルトによる座標系の導入によって位置や長さ、大きさといった量が数によって表現されるようになり、幾何学の解析化へとつながっていく。
 ヒルベルトの『幾何学の基礎(Grundlagen der Geometrie)』(1899年)はユークリッドの不備を是正することを目的にしていて、公理的な手法を用いてユークリッド幾何学を形式化する試みだった。図形の性質が公理によって規定され、幾何学的対象は公理系によって定義される限りでどのようなものでも構わない。その結果、幾何学固有の対象領域はなくなり、無矛盾な公理系のモデルであれば、どれも同等ということになる。
 タルスキの「elementary geometry」では、領域として点の集合、未定義述語としてbetweennessとequidistanceをもつシステムをつくる(例えば、bet(a,b,c)⇔点bは点aと点cの間にある、ab≡cd⇔直線abと直線cdの長さが等しい)。タルスキはヒルベルトのシステムの連続の公理の代わりとしてelementary continuity axiomを加えた公理系を構築し、その完全性と無矛盾性と決定可能性を証明した(1959)。
 小平邦彦ヒルベルト批判は有名である。その著書『幾何への誘い』ではヒルベルトの形式化を批判した。ヒルベルトのシステムは「論理的厳密性」を目指すものであった筈なのに、ヒルベルトの証明は「論理的に厳密」ではない。というのも、ヒルベルトが『幾何学の基礎』を書くにあたって図形的直観に導かれていたことは疑いない。その証拠に、『幾何学の基礎』のほとんどのページに図が描かれている。実際、ヒルベルトの証明を追うとき、私たちは頭の中で図形を思い浮かべているし、図形を思い浮かべないと証明を理解できない。これは、「点」、「直線」の代わりに「机」、「椅子」と言ってもよい、とするヒルベルトの建前に反する。小平はヒルベルトの証明を補完して、「直観によらず論理だけを用いて厳密にできている」とする証明を構成するが、同じページになぜか図形が描かれている。
 ヒルベルトのシステムにせよタルスキのシステムにせよ、その証明を追うときに私たちが図形を想像しているのは確かと言ってよい。もちろん、意味を持たない記号列の変換とみなして証明を追うことも可能。しかし、それが幾何学の定理の証明であることを理解するためには、やはり図形的直観に訴える必要があるだろう。

ユークリッド幾何学から非ユークリッド幾何学
ユークリッド幾何学
 現代のユークリッド幾何学の姿をStillwellのThe Four Pillars of Geometry(2005, Springer)を参考にして確認しておこう。幾何学にはユークリッド的、公理的、線形代数的、射影幾何学的な研究がある。伝統的なユークリッド幾何学は直定規とコンパスによって描くことができる(構成可能な、作図可能な)幾何学的図形を対象にしてきた。Bernaysはユークリッドヒルベルト幾何学についての考えの違いを挙げ、ユークリッドの「構成的」な証明を強調した。二つの違いは次のように表現できる。「任意の二点AとBに対して、AとBを含む線が存在する」と「任意の点から任意の別の点へ直線を引く」との違いである。その中でも直角と平行線が作図においては特別の役割を演じている。図形が動くことを使った合同の証明を見てみよう。それはBook I の命題4の証明が最初である。その命題は、

二つの三角形の二つの対応する辺が等しく、それら辺の間の角が等しいなら、残りの辺や角も等しい、

と主張している。ユークリッドは一つの図形を動かし、角と辺が一致することによって合同を証明したが、現在ではこれを公理として認めてしまう。その方が運動という概念を幾何学に導入することより簡単だからである。
 このような直接の「動き」や直観の導入は直定規とコンパスによって合理的にどのような作図が可能かの範囲を明らかにすることにつながる。そして、直定規とコンパスによる作図が合理的な四則演算と√ による操作と同じものであることが明らかにされる。
 ユークリッド幾何学には多くの暗黙の前提が使われている。既述のように、正三角形の作図という彼の最初の証明においてさえ二つの円の交わりが点をもつとされているが、彼の公理からはそのような点の存在は保証されない。このような不備は19世紀に幾つも指摘され、不備をなくす試みがヒルベルトによってなされた。
 ヒルベルトの公理系には基本的な公理のほかにアルキメデスの公理、デデキントの公理が採用されている。それぞれの公理は、次のような主張である。

アルキメデスの公理(Archimedean axiom):どんな長さも別の長さに比べ無限に長いことはありえない。
デデキントの公理(Dedekind axiom):線は完備である。つまり、ギャップがない。

アルキメデスの公理を丁寧に述べると下の命題になる。

任意の二つの線分ABとCDについて、ABのn倍がCDより長くなるようなnが存在する。

座標系の導入は1630年代にフェルマーデカルトによって考えられ、それを最初に出版したのがデカルトだった。それによって、幾何学は大きく変わり、幾何学の算術化が具体的に実行されてきた。

(1) 直定規とコンパスによる構成可能性の代数的な記述
(2) 幾何学的対象の運動の定義、運動の種類

実数Rは線のモデルに適していた。実数はギャップをもたず、実数の各数は点が線の上に並んでいるように順序良く並んでいる。それゆえ、ユークリッド平面幾何学のあらゆるもののモデルをつくるのに使われることになった。各点が各実数である実数直線Rが存在すると、各点が実数の順序対である実数平面も存在する。すべての直線は同じような形式の方程式をもち、一般的に,「任意の定数a, b, cに対してax + by + c = 0.」と表現できることから、方程式が直線や曲線が何かを定義し、それら方程式がユークリッドの公理が何かのモデルを供給し、幾何学は実数の性質から導き出されると言ってもよいことになる。ここからその後の幾何学のさまざまな展開が出てくることになる。
[平行線の公理を巡って]
 ユークリッドは紀元前300年ほど前に『原論』を書き、それは人類が書いた最も有名な一冊となった。その中で彼は現在の公理にあたる仮定を5つ置いたが、最後の平行線の公理と呼ばれるものは他の公理に比べ複雑で、公理として最初から自明であるとは言い切れなかった。後のプロクルス(Proclus, 411-485)の定式化に従うなら、5番目の公理は「直線とその上にない一点が与えられると、その一点を通り、その直線に平行な直線を正確に一本引くことができる」と表現できる。
 そこで平行線の公理を上の4つの公理から演繹的に証明しようと多くの試みがなされた。後に証明の誤りが明らかになった多くの証明は平行線の公理と論理的に同値な(既述のbiconditionalで表現され、平行線の公理の必要十分条件である)ものを仮定していた。これは論点先取の誤り(petitio principi)である。極めて重要な証明は1733年になされたサッケリ(Giovanni G. Saccheri, 1667-1733)のものである。彼は平行線の公理が誤っていると仮定し、そこから矛盾を導き出そうとした。これは帰謬法(reductio ad absurdum)を使った戦略である。平行線の公理の否定は「平行線を正確に一本引くことができる」を否定することである。すると、「平行線が一本も引けない」と「平行線が二本以上引ける」という平行線の公理の二つの否定形ができる。彼は「平行線が一本も引けない」という仮定のもとで、矛盾を引き出すことに成功した。上の四つの公理は「平行線が少なくとも一本引ける」を含意するからである。「平行線が二本以上引ける」場合も多くの非ユークリッド幾何学の定理を証明できた。しかし、彼はそれらが非ユークリッド幾何学の定理であることを認識できなかったし、前のように矛盾を引き出すこともできなかった。
[非ユークリッド幾何学の誕生]
 19世紀初頭ユークリッド幾何学の妥当性に関する問いが数学者の間で出され、それに最初に取り組んだのがガウス(Carl F. Gauss, 1777-1855)であった。カントが没した時、ガウスユークリッドの4つの公理と平行線の公理の否定が矛盾を含まずに両立することを既に認識していたが、非ユークリッド幾何学の存在をそのまま認めることができなかった。数は人間の心の所産であるが、空間は心の外にある物理的な実在であると彼が考えていたためである。
 その後、ガウスと同じ結果がボーヤイ(János Bolyai, 1802-1860)とロバチェフスキー(Nikolai I. Lobachevski, 1792-1856)によって独立に発表される。彼らは一本の平行線の存在を否定し、「平行線が二本以上引ける」と仮定し、他の公理と矛盾しない非ユークリッド幾何学を展開してみせた。さらに、19世紀中葉にはリーマン(Georg F. B. Riemann, 1826-1866)がユークリッドの4つの公理に細工を施すことによって、「平行線が一本も引けない」という仮定のもとで別の非ユークリッド幾何学ができることを見出した。
 こうしてカントの没後僅か50年で三つの異なるタイプの幾何学が共存することになった。それらは「平行線が正確に一本引ける」ユークリッド幾何学、「平行線が二本以上引ける」非ユークリッド幾何学、「平行線が一本も引けない」非ユークリッド幾何学である。
*カントの認識論では、時間と空間は直観の形式であり、ユークリッド幾何学的構造をもつと考えられた。つまり、私たちが認識する物理世界はユークリッド幾何学の構造をもつと彼は考えた。では、非ユークリッド幾何学が物理世界の構造を表現することはカントの認識の理論に反することになるのか。
幾何学の進展と推論の関わり]
 これまでの話をまとめてみよう。最初は4つの公理から平行線の公理が演繹できないか試みられた。うまく行かないため、平行線の公理の否定が仮定され、そのもとで他の4つの公理と矛盾するかどうか調べられた。ユークリッド幾何学が無矛盾(consistent, non-contradictory)という仮定のもとで、平行線の公理の否定から矛盾が出るなら、平行線の公理は4つの公理から演繹される。(なぜだろうか?)平行線の公理の否定は二つの形をもち、一方からは矛盾が得られた。しかし、別の否定形から矛盾が出ないため、4つの公理からは演繹できない可能性が残っていた。つまり、平行線の公理は他の公理から独立している可能性があったのである。非ユークリッド幾何学のモデルがつくられることによって、平行線の公理が他の公理から独立していることの一部が示された。さらに、4つの公理を僅かに変形すると、「平行線が一本も引けない」と仮定しても矛盾が得られず、別の非ユークリッド幾何学がつくられる。こうして、平行線の公理の残りの一部の独立性も証明された。この一連の追求の道筋には推論の工夫と推論についての推論が積み重ねられている。このような純粋に論理的な追求と共に、ユークリッド幾何学は経験世界の空間を記述するための唯一の幾何学かどうかが問題になっていた。言い換えれば、ユークリッド幾何学アプリオリに成立するかどうかである。