哲学以前:それは「ナラティブによる探求」の時代

 哲学の故郷はギリシャと言われるが、世界や人間についての探求は遥か以前からスタートしていた。哲学以前の神話的な世界観と哲学の間のギャップがどのようなものなのか。哲学以前について哲学的に考察した上で、ギリシャ哲学から始まる知的探求を眺めてみよう。
 物語では主人公が最も重要な構成要素として登場し、主人公なくして物語なしとまで私たちは思っている。その主人公の大半は人間(あるいは神)、それも一人の個人(神)である。科学理論は人間の要素について説明するが、個人そのものを描くことはまずない。それに対して、物語は特定の個人、状況に焦点を当てる。物語は特定の個人の特定の状況での特定の行為や関係から成り立っていて、一般法則などとはおよそ無縁である。では、特別の例しか描かない物語がなぜ人々を惹きつけるのか。物語が描こうとする対象、登場人物が探求する目的や物語の中で追求される夢が、私たちをその虜にさせるのは、それらが私たちの探求そのものだからである。特定の物語、エピソード、事例であっても、それらが一般的な真理を表していると私たちが直感するからであり、私たちの感情、意思、願いといったものがそこに盛り込まれていると確信するからである。つまり、私たちは自らを登場人物に重ね合わせるのである。
 人は成長の過程で文学作品に大きな影響を受ける場合が多い。あるいは、芸術が人の一生を左右する場合も決して少なくない。物語や芸術作品は人生を変える力をもっている。人を変える、人生に介入するのが芸術や文学の威力である。科学理論も人間を変えるが、物語とはまるで異なる物理的な仕方によってである。物語のもつ精神的な影響に対して、科学理論は物質的な影響にその特徴がある(むろん、物語が物質文化を変え、科学理論が精神構造を変えることもある)。

<神話、物語、ナラティブ>
 神話、物語、ナラティブはいずれも哲学や科学と対立するものと捉えられてきた。いずれも何かを「探求する」ことが内容となっているが、探求の物語と探求の哲学は大きく異なるとみなされてきた。探求物語(Quest Narrative)に対する私たちの姿勢・態度は次のように分かれる。

物語を知り、それに感動して、それを受け入れる
物語を知り、それに関心をもたず、受け入れることを無視する
物語を知り、それに反抗し、受け入れることを拒絶する

 何かを探求する物語は人生観や世界観の具体的な範例として、人間の生きざまの叙述になっている場合、多くの読者に感動だけでなく、目標や指針を与え、人生を左右するほどの力をもっている。人生は何かを追い求め、何かを成し遂げるものだという考え自体が物語によって与えられてきたのである。それが物語のもつ力であり、物語が人を動かすと言われてきた理由である。
 疑問をもったり、反抗したりすることは、新しい物語を求めること、あるいは物語とは異なる別のタイプの「理論」を求めることにつながる。新しい物語を求めることに飽き足らず、物語と異なる新しいタイプの「探求装置=理論」を求めることがギリシャで始まったことは特筆すべき事柄である。ギリシャが最初かどうかは別にして、ギリシャで実現し、それが成功したことは確かなことである。理論は物語と異なる、新しい対応の試みであり、世界探求の新機軸、新装置となった。
 創造神話や文学作品が人に与える感動と夢は、何かを探求する姿を通じて私たちに伝わってくる。理論とは新しいタイプの探求装置で、物語ではなく物語の材料、要素に関する探求である。子供が好きな物語と大人が関心をもつ理論の間には大きな違いがある。
 不思議なことに、物語には始まりがあり、因果的な歴史、経緯といったものが物語の基本となっている。時系列の出来事の展開が主人公の物語の展開として表現されて、探求、目的、ゴールが存在する。それに対して、抽象的な理論は非因果的で、「前提」からスタートする。その内容は演繹的な論証からなっている。その典型は数学的な証明である。
 神話や物語がもつ目的と人生の目的は目的論的な仕組みのもつ重要な特徴を暗示している。理論も目的をもつが、それは共通の真理の探究という抽象的な目的より、その理論を応用することによって何が実現できるかが具体的な目的として考えられてきたように思われる。
 神話、物語がもつ一般的な構造と科学的な探求との共通点が「探求」である場合、何を探求するかという点で違いが出てくる。何を実現するか、何を実行するか、といった意志や欲求の探求と、知的な探求の違いである。世界の中の事柄を使っての探求と、世界の中の事柄が何かを知る探求とは、行為と認識という違いに行きつく。行為のためには世界の出来事は背景でしかなく、主役は自ら行動する自分自身である。知るためには主役は世界そのものであり、信じるのではなく疑う対象という役割を担うのが世界ということになる。

神話学の歴史:瞥見
 神話に関する研究は神話学と呼ばれるが、その歴史は二つの時代に分けられる。一つは19世紀型神話学、もう一つが20世紀型神話学である。19世紀型神話学はダーウィンの進化論の影響を受け、その価値観に歴史主義の影響があり、20世紀型神話学はソシュールの構造言語学フロイト精神分析の影響を受け、非歴史的な特徴をもっている。

マックス・ミュラーと自然神話学(19世紀)
 神話学の先駆者がマックス・ミュラーで、神話の全ては自然現象にあるというのが彼の主張である。比較言語学の手法を用い、最古の資料と言われる『ヴェーダ神話』を中心に神々の名前の比較を行うことから始め、各地の神話の神々(特に最高神や主神)が天体や自然現象を司ることから、天体の動きの反映が神話であると考えた。原人類は抽象的な概念を表現する言語を持っていなかったので、天体現象から受ける畏敬や畏怖を人格的な表現でしか表せなかった、これが後に、本来の意味が忘れられ人格的な存在が登場する神話となったと考えた。この言語疾病説のもと、神話の起源を自然現象に求めた。しかし、起源を自然現象のみに求め、それだけで全てを説明しようとしたミュラーの考えは、神話を下位の未発達な文化、より劣った存在だという前提で議論を展開しており、これが19世紀神話学の特徴となっている。
フレイザー儀礼
 マックス・ミュラーと同時代の神話学者がジェームズ・G・フレイザーである。彼はミュラーと同じく進化論的な神話の捉え方をしているが、神話の起源に対しては異なった考えを持っていた。ミュラーが神話の起源を天体の自然現象に求めたのに対して、フレイザーは地上の文化現象に求めている。彼の神話儀礼説とは、神話は宗教の儀典や儀礼の説明をしている二次的な存在にすぎず、神話が儀礼から取り出されたのであって、その逆ではないという説である。その理由として、儀典、儀礼が宗教において義務的であるが、神話の信仰は礼拝者の自由であったことが上げられている。フレイザーはこの説に基づき、ネミの森で行われていたという王殺しの風習と死んで甦る神々の神話に注目し、『金枝編』において詳しく述べている。神話は呪術的な儀礼を説明するために生まれたのであって、その起源は人々の社会構造に起因するとし、社会の変貌を呪術-宗教-科学の三段階に分け、神話は呪術と宗教の中間点に位置すると考えた。
デュメジルパラダイムシフト
 進化論の影響を受けた神話学は、次第にその考え方から脱却していくことになる。そのちょうど変換期ともいえる時代に登場したのがジョルジュ・デュメジルである。彼は世界中のインド・ヨーロッパ語族の神話を対象とし歴史言語学者の立場から神話を研究した。デュメジルはインド・ヨーロッパ圏の神話の比較から、「伝承圏」という概念を提唱した。それはアンブロシア伝承圏と呼ばれる、不死の飲料を巡る神々とその敵対者の争い、それをあらわす神話と儀礼のセットに代表される。これは印欧語族に特有の神話のタイプだと考えられた。彼は神話と儀礼を同地位のものと捉え、両者の複合を探し、重要な証拠として語源の一致を探求した。この後、三機能体系という世界観の提唱によって彼は一躍著名人の仲間入りを果たす。彼はインド、ローマそしてゲルマンの神話が神聖性、戦闘性、生産性の三つの観念が世界を構成していると考えた。インド・ヨーロッパ語族に固有の世界観を求めていたデュメジルは、ゲルマン神話をこれに当てはめることで説明しようとしたのである。
 そして19世紀の風潮を引きずっていたデュメジルは次第に変化し、後期には 20世紀の神話学に近い立場に立つことになる。彼は19世紀と20世紀の分岐点にいて、歴史と構造という二つの立場の両方に属していた。最後にデュメジルが指摘したのは、神話が他の物語へと変容する可能性があることだった。
レヴィ・ストロースと神話的思考(20世紀)
 最初の20世紀型神話学者はレヴィ・ストロースである。彼は普遍性と無意識という概念を、最初に明確に取り込んだ神話学者である。しかし、同時に神や英雄が持つその個別の名前や役割よりも、神々や登場人物たちの関係から導かれる「体系」を重視する。そして、言語学を駆使して神話の構造分析を行う。その結果として神話の普遍性を強く掲げるようになった。この普遍性といった面で、フロイトの発見した無意識、そしてその弟子であるユングが提唱した普遍的無意識と元型に影響を受けている。しかし、レヴィ・ストロースは、ユングの唱えた深層心理学と非常によく似た考えをしている反面、ユングが軽視している、論理的な構造や体系性を強く意識している。神話という骨董無形な一見混沌とした存在、そこには様々な対立や矛盾を見て取ることができるが、彼はこの矛盾や対立といった二項関係が神話を解く鍵なのだと考えたのである。こういった、自然に存在する事象を分類して体系化、構造化することによって世界を理解するという思考を、レヴィ・ストロースは神話的思考と名付けた。この考え方は無意識と同時に20世紀の代表的特徴ともいえる、歴史主義との対立を表す考え方なのである。
エリアーデと非歴史性
 20世紀を代表する神話学者の二人目はミルチア・エリアーデである。キリスト教が世界を席巻していた時代、彼はアルカイックな宗教こそが現代において重要なのだと考えた。歴史主義のもと発展した唯一神への信仰ではなく、様々な神々が存在する神話の世界が宗教の代わりとなると考えたのである。そして神話は起源神話であるべきだとエリアーデは主張する。全ての神話は何らかの始まりを説明している存在なのだと。神話とは存在を基礎付ける模範的な典型例であると主張したのである。ノスタルジーが人間にとって必要不可欠だとする彼は、偉大なる過去への回帰として、起源神話が存在するのだと考える。これは現代における歴史の代わりと言い換えても良いかもしれない。彼は歴史主義もしくは歴史そのものに対して否定的で、現実世界と区別して、神話の世界は非歴史的で無時間的なのであり、古代における宗教を現代にも呼び覚ます必要があると唱えたのである。言語学者による神話学が多い中、宗教学者として神話を研究し、ある種の理想としての宗教観を神話に求めているのは特徴的である。
キャンベルと英雄神話
 無意識という概念を取り入れた神話学は、19世紀のように文化や言語といった形而下としての神話より、人間の思考やその精神的な存在の在り方といった、精神世界に視点を移していくことになる。多分にオカルト的な傾向を含み、形而上的な側面を強く現すことになるのである。その傾向が最も強く現れている神話学者はジョセフ・キャンベルである。彼はアメリカ人で、アメリカンドリームの洗礼を受けて育った。そのためか、彼の理論や学説は理想主義的な部分が見て取れる。エリアーデと対照的に、キャンベルは英雄神話こそが神話であると考える。しかし、エリアーデとキャンベルが取り上げる神話には共通するものが多く見られる。それは、エリアーデが神話の始まりに注目するとしたら、キャンベルは主人公に注目するといった、視点の相違に過ぎないからなのである。彼の著書『千の顔を持つ英雄』で神話とは真実を覆い隠す仮面であると述べている。キャンベルによれば、英雄とは普遍的規範を掴み取ることに成功した人物である。
この普遍性の探求は当時の人々にとって関心の高いことだった。だからこそ、宗教的な側面を持っている神話学を唱えた、キャンベルは神話学者の中で最も人気が高い。理想主義者であったキャンベルは、自らの学説の中にも願望や希望を惜しげもなく取り入れている。

こうして代表的な神話学者を見てくると、神話学は 
  自然現象 → 文化現象 → 人間社会 → 人間心理
という軌跡を描いてきたように思える。またそれぞれの神話学者を見ると、ほとんどの学者が他の明確に確立された学問の中で神話を扱っている。そして、それは 
  比較言語学 → 文化人類学 → 構造言語学 → 精神分析
という学問の変遷を含んでいる。

*日本の国づくり神話
 『古事記』は日本最古の歴史書で、元明天皇の勅命を受けて和銅5年(712年)に太安万侶(おおのやすまろ)によって献上された。神代の天地の時代から推古天皇(592年即位)の時代までが“上・中・下”の全3巻に描かれている。驚異的な記憶力を持つ稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦していた『帝紀』(天皇系譜)と『旧辞』(昔の伝承)を太安万侶舎人親王が書写したと推測されている。
 『日本書紀』は舎人親王らの編集で養老4年(720年)に完成した日本最古の正史で、神代から持統天皇(697年即位)の時代までを漢文・編年体によって記述している。全30巻・系図1巻の長編で、その続編として『続日本紀(しょくにほんぎ)』が菅野真道(すがのまさみち)らによって延暦16年(797年)に完成している。『続日本紀』は文武天皇元年(697年)から桓武天皇延暦10年(791年)まで95年間の奈良・平安時代の歴史を扱っており、これも全40巻の大著である。
 神武天皇ニニギノミコトの曾孫(山幸彦の孫・ウガヤフキアエズノミコトの子)とされるが、ニニギノミコト天照大御神アマテラスオオミカミ)の孫なので、神武天皇は神々の血統を引くものとして位置づけられている。日本神話は天地と神々の始まりを物語的に語り、天つ神の命令でイザナギイザナミが日本の国生みをする神秘的な場面を描き、死んだイザナミが送られた黄泉国(死後の世界)までもおどろおどろしく表現している。イザナギイザナミの夫婦神の神話には、『天父神・地母神の結合‐分離』と『兄妹神的な近親相姦の問題(原罪)』というモチーフが関っており、近親相姦的な神々の交わりによって初めは不具(奇形・動物)の子どもが生まれるというテーマは、中国や台湾、東南アジアの『原始洪水型の神話』としても広く見られるものである。イザナギイザナミは二度目の性の交わりによって、淡路島・四国・九州・隠岐壱岐対馬佐渡・本州という『大八洲大八島(おおやしま)』を産み、日本列島が誕生する『国生み』が行われた。イザナミはその後も森羅万象を担当する自然神などを生む。
 黄泉国では、黄泉国の竈(かまど)で炊いた食物を食べる『黄泉戸喫(よもつへぐい)』をしてしまうと現世には戻れないというルールがあり、イザナミは既に黄泉戸喫をしてしまっていた。イザナミは何とか現世に戻して貰えないか黄泉の神々に相談してみると言い残して別室に入っていくが、いくら待っても戻ってこないイザナミを待ちきれなくなったイザナギは櫛の歯を折ってそれに火を灯し、部屋の中を覗きこむと、美しく可憐だったイザナミの姿はそこに無く、腐敗して蛆が湧き悪臭を放っている死体の変わり果てたイザナミがいた。『よくもこんな姿を覗き見て、私に恥を掻かせてくれましたね』とイザナギに激怒したイザナミが追いかけてくる。イザナミ黄泉醜女(ヨミノシコメ)という鬼女を差し向けてイザナギを追跡しますが、イザナギは櫛や髪飾りをタケノコ・ブドウに変えて投げつけ、黄泉醜女らがそれを食べ漁っている間に逃げてしまう。
 イザナギは現世と黄泉国の境界にある『黄泉比良坂(よみのひらさか)』でイザナミに追いつかれるが、そこを巨大な岩で塞ぎこみ、イザナミとの離婚を宣言した。離婚を一方的に宣言するイザナギの態度に激昂したイザナミは『黄泉国の神となってあなたの国の人間を一日に千人殺す』と脅しを掛けるが、それに対してイザナギは『ならば、私は一日に千五百人の子どもを産んで更に産屋を立てよう』と返した。黄泉国の竈で炊いた食物を食べる『黄泉戸喫(よもつへぐい)』をすると現世に帰れなくなるというルールは、『同じ釜の飯を食べた人間は仲間・同族血族である』という共同飲食の信仰に根ざしたものであり、ギリシャ神話にも冥王プルートに攫われたペルセフォネー(豊穣神デメテルの娘)が冥界のザクロを食べて地上に戻れなくなった説話などがある。