煩悩(2)

原始仏教
釈迦が亡くなったすぐ後に、弟子たちが記憶した釈迦の教えを確認し、それをまとめた結果が原始経典で、どれも口伝。後に経典は「如是我聞(私はこう聞きました)」という言葉で始めるという約束ができ、口伝形式の経典は一定の書式の書物になっていく。口伝で教義を伝えると、弟子たちが釈迦の権威を独占できるが、別の考え方が教義に紛れ込み、玉石混淆になりかねない。これは伝言ゲームが正しく伝わらないのと同様である。
 キリスト教イスラム教では、教義を一つにして皆で同じ教えを信じるために何度も話し合いや論争を繰り返してきたが、仏教ではこのような教義の統一は一度も行われなかった。だから、「如是我聞」で始めれば何を言っても仏教のお経として認められることになる。実際、仏教の経典は莫大な数になり、最初から諸説乱立だった。
 異質な考えが混入した証拠が現在の仏教に残っている。初期仏教の段階からバラモン教の神々が多数紛れ込んでいる。例えば、四国の金毘羅様の正体はガンジス河のワニ。弁財天、帝釈天、水天宮などの「天」のつく仏の正体はすべてバラモン教の神。新興の仏教教団がバラモン教の教団からいじめられ、このような神も認めてしまったのである。
 仏教が生まれる前からインドにあったのはバラモン教。このバラモン教の教義によって厳しいカースト制度がインド社会に定着していた。やがてこのバラモン教を受け入れない人々が現れ、バラモン教が説く生き方では満足できないと主張し始める。彼らは、当時の社会通念であったバラモン教の世界観から解放されなければ良い生き方ができないと考え、社会から離脱する。それが「出家」。出家は「世を捨てること」ではなく、その時代の常識的、俗世的な価値観から別の価値観へ転向したいと願う人たちの具体的な行動である。だから、出家は集団行動となる。
 僧侶になることは一人で出家すると考えがちだが、本来の出家とは、一般社会から離脱して特定の価値観で生きようと願う人たちが集まって別の組織をつくることである。仏教の場合、その出家集団をサンガ(仏法を学び実践するための集団、僧伽)と呼ぶ。「僧」は、このサンガを意味している。
 サンガ社会では、皆が同じ価値観を共有して生きている。だが、世俗の一般社会は、本質的に物質的繁栄や富の蓄積を目的にして、生産効率を上げ、より豊かになろうとする。それに対して、そこから離脱したサンガ社会の人々は、物質的豊かさではない、別の生き方を目指すから、その生産性は自ずと一般社会より必ず低くなる。つまり、サンガ社会それ自体は食べていくことが困難な社会なのである。独自の価値観を徹底的に追求しようとすればするほど生産性は低下し、極端な場合、自分たちで生計を立てることができなくなる。修行を目的とする仏教のサンガは、まさに生産能力ゼロに近いサンガ社会。
 食べるための方法はそのサンガ社会のリーダーが決める。だから、リーダーの資質によって、その社会の生き方が決まることになる。釈迦は「布施」という生き方を取り入れたが、それは実に見事な選択だった。その証拠に釈迦のつくったサンガという組織は、その後2500年経っても、滅びることなく今も続いている。その社会は一般社会からの厚意に完全に依存して生きている。しかし、社会の厚意に対してお返しがなければ、人々は何も施してくれない。それで、彼らは「誠実に修行をしているという聖者の姿」を社会に示すのである。それによって、一般の人々は「こんな修行者にお布施をすれば、きっと自分たちにその果報が戻ってくる筈だ」と考え、お布施をすることになる。
 釈迦が最初ではないが、「布施」はインド世界全般の根底にある。釈迦はその布施の考えを自分の教義に取り入れた。釈迦は、道ばたで物を拾って食べるとか、自分で農作物をつくって自給自足する、などというのではなく、布施に完全に依存した。釈迦は弟子たちに、布施に完全依存せよ、と命じた。なぜなら、布施に完全依存して初めて一般の人々はその人を聖者として認めるからである。日本の仏教文化の中には、「布施だけに依存して暮らすサンガ」が存在しない。釈迦が考えた組織は日本にはなかったのである。
 仏教の開祖は釈迦。釈迦はインドのシャカ族の王子で、その名はゴーダマ・シッダルタ。出家し、菩提樹の下でこの世の真理に目覚めた。釈迦は弟子たちから「釈尊」、「ブッダ」と呼ばれていた。「ブッダ」とは「目覚めた人、真理を悟った人」という意味である。釈迦が悟った真理は永遠不変の真理だから、釈迦が出現する以前にも「仏(真理を悟った人)」はいるはずで、また釈迦以後でも仏が出現する可能性がある。釈迦は仏の一人に過ぎず、仏教(仏陀の教え)とは、諸仏の教えなのである。
 古代インド人は現世を六つの世界に分類し、全ての世界は苦痛であるとした。そして、この六つの世界を「六道」と呼び、人はこの六道を生まれ変わり、死に変わりして輪廻転生を続け、永遠に苦しみ続けなければならない存在だと考えられていた。そこで仏教はこのような輪廻転生の世界から永遠に脱出することを目指した。この輪廻の世界への執着を断ち切って、この世から完全に脱出することを釈迦は教えた。その脱出を「解脱」と呼び、解脱した状態は「涅槃」と呼ばれた。
 釈迦は「霊魂の有無、死後の世界」という経験することも論証することもできない問題は、「無記」(善とも悪とも言えないこと)として退けた。有名な「毒矢の喩え」がある。毒矢に射られた人が、矢を射た者はどこの種族か、名前は、弓や弦の種類は、矢鏃(やじり)、羽はどんな種類か、それがわからない間は毒矢を抜かずにいるとしたら、毒が体中にまわって死んでしまうだろう。彼にとっては、まず毒矢を抜くことが生命を維持するのに必要なことである。霊魂の有無の問題を考えるよりも、先に解決すべき問題は人の生きるべき真実の道を明らかにすることである、と釈迦は教えた。
 仏教には「仏陀の教え」と「仏陀になるための教え」という二つの教えがある。つまり、仏教は仏陀の教えを学びそれを実践し、私たち自身も仏になることが期待される。では、釈迦が悟った真理とは何だろうか。釈迦が菩提樹の下で悟ったのは「縁起」の理法とされている。釈迦はこの世の真理について次のように分析した。

諸行無常諸法無我涅槃寂静一切皆苦

 釈迦は「人生は苦である」ことの原因は、すべてが「縁」によって起こることにあると捉え、縁起の法をが「四諦(したい)」として説いた。「四諦」とは「苦諦(くたい)」、「集諦(じったい)」、「滅諦(めったい)」、「道諦(どうたい)」の四つ。「苦諦」とは「苦」に関する真理で、人生とは本質的に苦であると説く。第二の「集諦」は「原因」に関する真理で、苦の原因を明らかにする。第三の「滅諦」は、原因の消滅に関する真理で、苦の原因である煩悩の消滅が苦の消滅である、と説かれる。そして、最後の「道諦」は、「実践(修行)」に関する真理で、いかにすれば苦の原因を取り除けるかを説いている。
 さらに、釈迦は苦を消滅させるために八つの正しい道「八正道(はっしょうどう)」を教示している。このような修行を積むことによって煩悩を克服し、その結果として「苦」を克服することができる、というのが釈迦の基本的な教えである。

(中国仏教)
 中国にやってきた仏教に対する最初の仕事は、経典の翻訳。インド人翻訳家の鳩摩羅什玄奘三蔵が色んな経典を翻訳した。玄奘三蔵は翻訳だけでなく、仏教の資料も輸入した。彼は三蔵法師として『西遊記』の主人公になり、孫悟空猪八戒と一緒に天竺に旅行したことで広く知られている。
 経典の翻訳の次は、仏教の教義に中国の考え方を取り入れ、中国化すること。中国人に理解できなかった例に「出家して修行する」ことがある。中国では儒教が国の運営に採用され、それは目上の人を敬い、親に孝行すべきという道徳だった。出家するとは親を捨てることだから、儒教の親孝行の考えに反する。したがって、プロの僧侶が代わりに出家する大乗仏教儒教には好都合だった。こうして、儒教の考え方を積極的に入れた仏教に変えられ、中国製のお経、つまり、偽経がたくさん作られた。
 春秋戦国時代には諸子百家といわれる多くの思想家が様々な思想を生み出し、仏教が伝わってきたときには既に中国は思想的に成熟していた。中でも「無為自然(なにもせずに自然のままにまかせること)」を説く老子荘子の考え方は道教として民間信仰になっていて、「空」を基本とする仏教を受け入れる素地ができ上がっていた。例えば、「十王説」。簡単にいえば、「悪いことをしたら地獄に落ちる」という具合に、人々の恐怖心を利用して正しく生きるように導くという考えなのだが、これは本来の仏教にはなかった考え方である。また、お盆の行事も儒教による中国の民間信仰がもとになっていて、目蓮の親孝行の話を述べた『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』という経典に基づいている。
 2世紀から3世紀にかけて、インドの僧侶ナーガルジュナ(=龍樹)が、哲学的な観点から大乗仏教の体系化を行った。龍樹は『中論』の中で「空」を理論化した。あらゆる現象はそれぞれの時間的、空間的な因果関係の上に成り立っていて、現象自体が実在しているのではないと考え、それを「空」と名づけた。龍樹によれば、「空」=「縁起」=「因縁」となる。
 同じ『般若経』で述べられている「空」を理論化する哲学として、4世紀に無着、世親の兄弟が体系化した唯識論がある。事物的な存在はないが、八種類の意識(魂)が存在するとして、その意識を基礎に悟りの境地に達するという考えで、龍樹の「空」の哲学とは違っている。この空観と唯識大乗仏教を代表する二大哲学である。
 天台大師智顗(ちぎ)は6世紀の中国人。彼は、釈迦が一生のうちで色々なことを言ったことから、釈迦の年齢順に、全体を五つの時期に分けて「五時の教判(ごじのきょうばん)」と名づけた。「華厳経阿含経(原始経典)、維摩経般若経法華経」の五つの時期で、最後の決定版が『法華経』である。後の経典になるほど優るというのが五時の教判。彼は天台山天台宗を開いた僧侶で、その天台宗を学んできたのが最澄である。
中国を経由した大乗仏教は本来の釈迦の考え方とは似ても似つかぬものになり、独自の哲学を背景に「仏教」という名前で一人歩きを始めてしまう。大乗仏教が結果的に釈迦の主張に背いた考え方になったとしても、それはそれで哲学として優れた考え方をもつ宗教になったのもまた事実である。
 龍樹は般若経経典群の空観を大乗仏教の基本的立場と考え、釈迦の説いた縁起説の真意であるとして空理論を哲学的に理論展開し体系化した。この論は「諸存在が縁起しているが故に空である」ということを主張したものである。つまり、一切の存在は縁起の道理によって成立しているのであるから、どんな存在でも他とは無関係に、それ自体として存在することは不可能であり、いかなる存在であっても自性(それ自身の永遠不滅の本質)はない(無自性)。自性がないのであるから一切の存在は空である、と龍樹は結論した。また、空の立場は、あらゆる執着、対立を越え、言語による表現や概念規定を越える究極的、絶対的立場である(第一義諦・勝義諦)。しかし、「空」、「縁起」という言葉による真理の表現や手段によらなければ、悟りに至ることができないのであるから、それは何かしら真理に基づく「仮の表現」であり、世間的で相対的な真理である(世俗諦)。そして、諸存在は縁起の故に「空」であり、しかも「仮」として表明されるものであるから、有でもなく無でもなく、この二諦の立場を「中道」とした。いわゆる空・仮・中の三諦である。
 さて、龍樹の空理論の最大の特徴は、なんといっても「縁起不生」にある。『般若経』でも繰り返し「諸法不生」(一切の存在は空であり、恒常的に実在するものはない)を説いているが、縁起の「縁」までは不生であるとは説いていない。しかし、龍樹ははじめてこの縁起さえも不生であると主張した。実際、この縁起不生論はその他の学派から批判された。
 次は唯識。中観思想と唯識思想がまるで対立するかのように解説される場合があるが、唯識理論は中観理論の上に構築されている。だから、決して正反対の理論ではない。唯識理論の初出は『解深密経』という経典で、龍樹の中論発表からおよそ200年後に発表されている(これは無着の瑜伽師地論にそっくりそのまま採用され、彼は弟の世親とともに唯識理論を集大成した)。中論で依存性(縁起)と言葉の虚構性と述べられている表現が、唯識では依他起相(他に依存する存在形態)と遍計所執相(仮構された存在形態)という表現になっている。中論では縁起に重点がおかれ、唯識ではそれが逆になっている。つまり、私たちが実在と思っているものは実在ではなく、因縁によって仮合したものに過ぎないのに、それを言葉で実在として捉えて表現しているからおかしなことになるというのが中観で、唯識では、仮構された存在形態が先で、それは識の表象に過ぎないのであり、それを言葉が実在の如く誤解して表現するからおかしなことになると述べている。そして、中論ではなかった修行法が明示されたというのが瑜伽唯識派の最大の特徴で、それが最終的に後期大乗で中観と唯識が融合され、現在に至っている。
 阿頼耶識とは自意識を形成し維持するための基本構造組織、一種の「枠組み」といったようなものと考えられる。ちょうどコンピュータの主記憶装置(ハードディスク)に相当し、阿頼耶識はあらゆる過去の記憶を保持し、情報の上書きと出力している「心の働き」の基底部分である。だから、阿頼耶識自体はその上位の心の部分=「自意識」では認識することも感覚することもできず、阿頼耶識自体、何らかの「意志を持つ」ということもなく、ただひたすら情報の入出力をしている。したがって、「私は…」といった一個体を形成する自意識の働き=意志の作用はない。つまり、すべての情報に対して、積極的に取捨選択して働きかけるということなく、入出力を繰り返しているだけである(情報をそっくりそのまま白紙の状態で受け入れ、出している)。
 では、同じ環境や相手に対峙した場合、みな同じイメージを持ってしまうのではないか、という疑問が生じるが、その印象=外部データに対する色付けは、その上位の「こころの部分」でなされる。この点については、仏教哲学における「こころ」の階層構造によって説明される。私たちが「意識」と呼ぶものは、仏教理論ではこれを明確に分け、「心・意・識」の三層構造によって形成されていると考える。つまり、

「心」=第八阿頼耶識≡主記憶装置≡深層意識
「意」=第七末那識≡演算装置≡潜在意識
「識」=前六識≡眼・耳・鼻・舌・身・意≡入出力装置≡表面意識

である。さて、外部データに対する色付け=個人の意志は、この中の「意」の部分で演算処理される。つまり、仏教用語で我執我愛といわれる「意」の煩悩により、「識」から流入したデータを色付けし、その偏向したデータを「心」に記憶する。また、「識」を通じて外部を認識するとき、「心」にある偏向された基礎データにより「意」のフィルターをかけて認識する。実際にはこれは同時に処理され、「心」データとつき合わせると同時に新たな「意」で偏向されたデータを上書きし、一体となって入出力の処理をすることによって「今この瞬間」という「自意識」を成立させている。以上が阿頼耶識理論のあらまし。

 この「心・意・識」のどこにも「超自我」=「我」=「アートマン」等、固定した自我というものはないということになる。例えば、「心」はデータの集合体で、そのどれか一つだけが「自己」=「超自我」ということではない。また、「意」の我執我愛の煩悩は、「識」の偏向データにより支えられた「仮の自我」=「仮我(けが)」で、単に一定のベクトルを持った演算装置に過ぎない。「識」は単なる入出力装置であり、端末ディスプレイである。だから、どこにも「超自我」とうものはなく、それらの相互依存の関係性=つまり、空によって成立している、と考える。本来、一切は空であり、「我」というものはどこにも存在しないのに、その「仮我」を「私」と思い込んでしまうため、その「相互依存の仕組みを維持し個体を存続・輪廻させてしまう」というのが阿頼耶識の理論である(このような理論は中世のキリスト教神学にはない)。