4 月1日

 今日はエイプリールフール。嘘をついてもいいという日ですが、この嘘を巧みに使ったのがエピメニデスのパラドクスです。クレタ島出身の哲学者エピメニデスが、「クレタ人はみな嘘つきである」と言いました。エピメニデスの言ったことが本当かどうかを考えると、自己言及のパラドクスが生じます。
 「この文は偽である」が真なら、それは偽だということになり、偽ならばその内容は真ということになり…というように無限に続きます。同じように、「この文は偽である」が偽なら、それは真ということになり、真ならば内容から偽ということになり…と、この場合も無限に続くことになります。クレタ人であるエピメニデスが「クレタ人はいつも嘘をつく」と言った場合、クレタ人が本当にいつも嘘をつくなら、彼のこの言葉も嘘となってしまう、というのがエピメニデスのパラドクスです。
 でも、エピメニデスが正直者のクレタ人を自分以外に少なくとも一人知っていたら、彼の言ったことはパラドクスではなく、論理的な矛盾ではなくなります。「クレタ人はみな嘘つきである」の否定は「クレタ人には嘘をつかない人もいる」であり、真となるからです。
 これまでの話が「クレタ島の嘘つき」などと呼ばれてきた自己言及のパラドクスの例で、嘘をつくことも厄介なことだということになるのですが、4月1日に因んで、同じような問題で頭の訓練といきましょう。

(問い)「嘘しかつかない人が「私は嘘をつきません」と言った。」は本文のクレタ島の嘘つき」の話と同じです。では、下の台詞が正しいかどうか考えなさい。

(1)本当のことしか言わない人が言った。「私は嘘をつきません。」
(2)嘘をつく人が言った。「私は嘘をつきません。」
(3)本当のことを言う人が言った。「私は嘘をつきません。」
(4)嘘と本当のことを交互に言う人が言った。「私は嘘をつきません。」
(5)嘘と本当のことを交互に言う人が言った。「私がいま言うことが嘘なら、次に言うことは本当です。」