越後高田の「第一義」私見

(これまでいくつか関連するエッセイを掲載してきたので、それらも参照願いたい。)
 上越は「第一義」の町である。上杉謙信上越の傑出した英雄であり、その彼が残した自筆の寺額が「第一義」だからである。この「第一義」が高田高校の校是になってきた。上越の人々にとっての「第一義」は、何より市民の誇りであり、観光の目玉として利用できれば、実にありがたいキャッチフレーズなのである。だが、校是としての「第一義」はそれでは困る。「第一義」が何を意味しているか明確でなければならない。
 校是としての第一義は体をなしていないと述べてきた。それは単純に言葉の誤用なのである。例えば、「校是は公理である」は無意味な言明。「幾何学の第一義」なら、ひょっとするとプラトンアカデメイアの校是になり得たかもしれない。鈴木大拙の書名も『禅の第一義』であって、ただの『第一義』ではないし、成城学園の標語も「所求第一義」である。扁額は寺院の山号に見られるように、何かの名前を象徴的に掲げたもので、第一義、聖諦第一義、不識のどれが書かれても不思議はない。謙信が「不識」を扁額に掲げたら、それを校是にしただろうか。「無知の知」ならソクラテスを敬した校是としてわからないこともないが、「不識」では戸惑うしかない。
 『碧巌録』や『正法眼蔵』の「達磨廓然無聖」での「第一義」が扁額の文字の元の意味なのだが、扁額としては何らおかしなところはない。だが、校是となると言葉の誤りとしか言いようのない事態になる。禅問答のようなレトリックは通用しないからである。そこで、「第一義」を補い、本来の「聖諦第一義」にするか、「廓然無聖」あるいは「不識」にするか考えられないこともないが、いずれも禅特有の不立文字の色合いが強く、校是としては要領を得ないのである。
 謙信の唯一の自筆である「第一義」を謙信を敬う意味を込めて使い、その意味は漱石の『虞美人草』の第一義、すなわち道義、あるいは遡って、謙信から続く米沢藩の「義」の思想と同じものとみなす、という混同が越後高田での「第一義」となってきた。この混同は意図的というより、半ば無意識のものだったと思われる。そこでの大人の対応、あるいは苦肉の策が、字面は謙信の扁額から、内容は上杉の「義」、漱石の「道義」という二重基準の採用だった。そして、不思議なことにそれが習慣となり、いつの間にか文化にまでなってきた。故郷の英雄、偉人の後世の使い方としてはうまくいった例なのかも知れない。
 だが、「第一義」が日常語として変化していくにつれ、謙信の「第一義」もそれに引きずられていくことは覚悟しなければならない。とりわけ、校是が世の変化につれ、何を指すかが変わっていくことには誰もが複雑な気持ちになるのではないか。
 禅問答風にまとめれば、これは謙信の「第一義」の風化であり、活用なのであり、その結果、ただの「第一義」にシフトすることである。このことに一同心すべきなのである。

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これは謙信の「第一義」ではない