モデル生物とシロイヌナズナ

 

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シロイヌナズナ

 「音のある森の風景」(2月18日)に「シロイヌナズナ」について述べた。「ナズナ」と命名された花の白い植物があり、それとよく似た黄色い花をもつ別種の植物が「イヌナズナ」と命名された。そして、イヌナズナに似ているが花の白い植物が「シロイヌナズナ」と命名された。似ている名前は推移的でも、「似ている」ことは推移的ではない。名前に共通点がある別の例がキクイモ。キクイモ(菊芋)に似て非なるキクイモモドキ(菊芋擬き)は芋が貧弱なので擬きである。だが、面倒なことに、掘り起こさないと芋の大きさはわからない。もう一つ面倒なのが、同属のイヌキクイモ。

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キクイモ

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キクイモモドキ

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イヌキクイモ

 外見からの区別は面倒でも、それに関心をもつのが博物学。万物に公平な関心をもち、貪欲にそれらを収集し、記録しようとする。何物にも平等に注意を払うのが人の好奇心の一つの姿で、植物園も動物園もその博物学の理念の実現である。メンデルのエンドウマメを端緒に、そんな夢は20世紀に入り豹変する。ファージや大腸菌を使って、生物の基本は遺伝にあり、遺伝情報とその変遷が生物の本質を解明することがわかってきたのである。そこで求められたのは博物学ではなく、分子生物学だった。そして、その分子生物学を支えているのが「モデル生物」である。万物の観察、研究ではなく、一点集中で特定の生物を集中的に研究するスタイルが採用されたのである。そして、野外での観察から実験室での解析へと研究方法が変わった。博物学から生物学への転換を象徴するものの一つがモデル生物の存在なのである。
 分子生物学によって植物学は大きく変わった。既述のシロイヌナズナも「モデル植物」の一つである。モデル種を共通の研究課題にすることで、徹底的に隅から隅まで調べ、その基本的メカニズムを知ろうというのである。容易に想像されるように、こうすることで、研究の進展は飛躍的に速くなる。研究がひとたびシロイヌナズナに一点集中するや否や、実際状況は一変した。まるで、研究者人口が一気に増えたかのような効果が生まれたのである。すべての研究ジャンルで足並みをそろえ、シロイヌナズナの解明を進めるようになった効果は甚大だった。期せずして互いの研究を強力に促進し合う相乗効果が生まれたのである。
 そんなモデル生物の代表例を挙げておこう。大腸菌は身近で、簡単に増やしたり操作したりできる原核生物酵母も身近な真核生物、単細胞性、そして、シロイヌナズナは多細胞生物である。モデル生物の研究成果の一つに相同と相似の違いがある。共通の祖先器官に由来するのが相同器官、進化の過程が違い、単に似ているだけ(ショウジョウバエの脚とヒトの手足)なのが相似器官である。これまでの生物学は、両者の区別を重視してきた。近縁種の場合と、遠縁だが見かけがそっくりに収斂しただけの場合の区別を重視してきたのが分類学だった。だが、分子遺伝学によって、相似器官と思われてきたショウジョウバエの脚とヒトの手足とが、遺伝子制御の視点からはまったく同じ仕組みでできていることがわかり、伝統的見解が根底から覆されたのである。
 素粒子の間では互いを区別することができないのに対し、グラニュー糖の粒はどれほど似ていても区別できる。このような違いが(認識のレベルで)モデル生物としてのシロイヌナズナシロイヌナズナの個体の間にもあるようである。