<固有名詞の確定記述や因果説について議論する前に>(3)

生物種の数と分類
 私たちの住む世界でH2Oは、水、水蒸気、霧、雲、雨等々、この世界での姿は多彩で変幻自在である。科学が不変で普遍なものを追求してきたのと対照的に、日常世界には多様な形態、色、音が溢れ、画一化に抗するかのように、様々な生物種が共存している。私たちの現象世界の特徴は一つとして同じものがないかのような豊かな多彩さにある。そして、その典型が人間個人であり、一人一人は皆ユニークな人格を主張している。

f:id:huukyou:20180223223902j:plain

f:id:huukyou:20180223223919j:plain

 画像のような水も雲も、いつでもどこでも別の存在に変化し、留まるところを知らない。正体はH2Oでありながら、あたかも個性を持つ存在のように私たちには受け取られている。個体と普遍の間の存在の様々な仕方をもち、半ば固有名詞のような一般名詞が使われ、それが私たちの自然観を生み出してきた。個体と普遍だけなら、豊かで多様な自然など生まれなかったろう。絶景、景色、風景、光景、眺望、景観等々は普遍的な物理空間でも個体の代表のような個々の人間でもなく、その中間の半ば個性をもつかのような自然の一部として存在している。
 ところで、固有名詞の指示対象でも一般名詞の指示対象でもないものなどあるのだろうか。上述の内容はそのような存在があるかのような表現になっている。確かに「この絶景は私が今独占しているもので、他の誰も見ることができない唯一無二のものだ」という表現は一人占めできる絶景が個体としてあることを意味しているように見える。
 物理世界には個物しかない。普遍的な概念は抽象的なものだが、半ば個物、半ば概念となれば、それは意識の中の対象ということになる筈なのだが、知覚のレベルでも既に個物でも概念でもない存在が溢れている。架空の個物を自由に生み出せる意識は半ば個物で半ば概念というものも当然生み出せる。幾何学的な図形、数はそのようなものの代表例である。そのような存在論的に中間にあるような存在を探せば、結構見つかるのだ。個体群、生物種、法人、人種、民族、国家、組織等々、個物でも概念でもなく、その中間的な存在形態の対象は私たちの周りに溢れている。
 現在の地球上の人口は75億人に達しようとしている。この地球上には現在発見されているだけで、120万種以上の生物種が存在する。だが、人の調査できる範囲には限りがあり、総数がどの位なのか分からず、正確な予測は難しい。 2011年ハワイ大学とダルハウジー大学の共同研究チームによって、生物の分類階級間の相関関係が発見され、地球上の全真核生物数は、陸上で約650万種、海中で約220万種、計870万種と予測された。これによれば、何と現在陸上の86%、海中の91%の生物種が未発見ということになる。
 生物の多様性や地球の環境を守るためには、その地にどのような生物がどれほど生息しているのかを知る必要がある。しかし、特に微生物などは発見が難しく、また人が簡単に訪れることのできない地(特に、極地や深海)では、未知の生物が多く存在すると考えられている。
 絶滅の危機に瀕している生物を調査している国際自然保護連合(IUCN)は、59,508種の生物について評価しており、そのうち19625種が絶滅の危機にあると発表している。しかし、最も大きな組織であるIUCNでさえ、全生物種の1%もカバーできていない。そのため新たな生物種やその自然界での役割の発見が必要とされている。
 生物の分類は、1758年にカール・フォン・リンネの提唱した方法を基礎として行われている。そして現在までの250年間で陸上の100万種と海中の25万種を合わせて、125万種の生物がデータベースに記載されており、70万種が新たに待機している。生物種数の予測に関して、これまでその方法論に乏しく、全生物種は専門家や科学者の意見として予測されていた。そのため300万~1億と大きな幅があり、誰も正確な値は分からなかった。
 そこで、生物の分類階級を調査したところ、それぞれの階層ごとに数学的なパターンが存在することを発見した。そしてそこから予測された全真核生物数が870万種であった。それぞれ、777万種の動物、298000種の植物、611000種の菌類、36400種の原生生物、27500種のクロミスタが含まれるという。
 ではどうして人は分類するようになったのか。理由のひとつは脳の能力にある。たとえば生物。上で870万種と書いたが、人間の脳はその多様な生物を知るための工夫を必要とした。そこで登場するのが「分類」。ダーウィンが1859年に『種の起源』を発表して以来、どんなに多様な生物も、その起源は一つという系統樹という分類方法を用いて理解を深めてきた。エルンスト・ヘッケルだ。ヘッケルが描いた生物の「系統樹」は、幹の根っこの部分に原初生物が置かれ、上にのびる幹から枝分かれした先に現存するさまざまな種が記されている(図参照)。「分類」が眼前のものを分けることだとしたら、「系統」はその背後にある歴史を知ることである。そして、その視覚化がヘッケルの系統樹なのである。

f:id:huukyou:20180223223946p:plain

ヘッケルの系統樹