ノラニンジン

 野菜のニンジンの野生種。私が住む湾岸地域でも空地、草地のあちこちで花をつけている。茎葉や花はニンジンと同じ。根は直径約1㎝と細く、食べられない。昭和の初期に牧野富太郎が見つけ、現在では日本全土で見られる。特に北海道に多い。ノラニンジンはヨーロッパ原産の外来植物で,「北海道ブルーリスト2010」ではA3(北海道の生態系に影響がある、または懸念される外来種)に分類されている。
 葉柄は長さ3~10㎝。画像のような大散形花序に多数の白花をつける。

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榊原政令の功績

 上越市では今でも上杉謙信は地元の大英雄であり、比類なき人物ということになっている。高田藩は榊原家の藩として明治を迎えることになった。榊原藩の藩政は堅実で、高田藩は豊かな藩に生まれ変わっていた。妙高絡みでは赤倉温泉の開発があり、それは日本初の第三セクター方式の温泉開発だった。もっと榊原一族は重視されてしかるべきなのだが、謙信公に比べると、軽視されてきたように思えるのは私だけだろうか。愚痴はこれくらいにして、戦時の英雄謙信に対し、平時の英雄政令を見直してみよう。
 榊原家の分家で、旗本1000石の榊原勝治の次男として生まれたのが政岑(まさみね)。享保16(1731)年に家督を継いでいた兄が亡くなり、1000石の家を継ぐ。その翌年、本家の榊原家の榊原政祐(まさすけ)に子供がなく、その養子となり、榊原の宗家を継ぐ。宗家は徳川四天王の一人榊原康政、徳川譜代の家臣の中でも筆頭格!こうして、政岑は、播磨姫路藩15万石の第3代藩主となる。享保17(1732)年、政岑19歳の時。正室が女の子を出産後まもなく、亡くなる。お抱えの能楽者の一人が、気分転換に政岑を吉原に誘い、そこで高尾太夫に恋をしてしまう。高尾太夫とは江戸吉原で最も有名な源氏名。京島原遊廓の吉野太夫、大坂新町遊廓の夕霧太夫と並んで、寛永三名妓の一人で、吉原三浦屋の大名跡。「高尾」という源氏名は歴代続いたと言われるが、7代目榊原高尾は絶世の美女。その彼女の心を開き、身請けする。寛保元(1741)年、政岑29歳の春のこと。だが、高尾の身請けを将軍吉宗に咎められ、寛保元(1741)年10月に隠居のうえ蟄居。越後高田への転封となる。高田での政岑は開墾や灌漑などの農地改革を熱心に行うが、わずか2年後の寛保3(1743)年31歳で没。政岑とともに高田へ来た高尾は、夫の死後に出家。
 榊原政令(まさのり)は1776(安永5)年に二代目政敦の長子として生まれ、1810(文化7)年35歳で家督を継いだ。藩政に尽くした名君である。藩士への産綬事業推奨、領内赤倉山の温泉を掘削し赤倉温泉を開き、藩士に果樹の木の植樹を推進するなど多方面にわたる改革や産業の育成を行い、藩財政を立て直した。また、陸奥国の飛び地分9万石余のうち5万石余を高田城隣接地に付け替えられるという幸運もあり、藩財政は安定した。
 政令は思い切った人材登用、倹約令の発布、新田開発、用水の開鑿、内職の奨励、牧場の経営、温泉開発までやった。例えば倹約令なども徹底しており、食事はどんな場合も一汁一菜。また、「武士がそろばんをはじいて何が悪い」と藩士たちにも盛んに内職を勧め、それまでは隠れて内職をしていた下級藩士たちは、堂々と内職をするようになった。数年後には藩士たちの作った曲物、竹籠、凧、盆提灯などが高田の特産品となり、信州や関東まで売り出された(『武士の家計簿加賀藩御算用者」の幕末維新』(磯田道史、2003、新潮新書)を遥かに超える)。
 さて、赤倉温泉であるが、1816年に開かれた。地元の庄屋が地獄谷の温泉を麓に引いて湯治場を作りたいと高田藩に願い出る。高田藩の事業として開発が始められ、温泉奉行を置く藩営温泉となった。これは第3セクターによる公営事業である。妙高山を領地としていた関山神社の別当宝蔵院に温泉買い入れ金800両、関温泉への迷惑料300両を支払って開発が始まった。2年間の開発経費3120両、温泉宿などの建設経費2161両で、当時としては大開発事業であった。
 政令財政再建によって榊原家は持ち直し、天明天保の飢饉の際には一人の餓死者も出さなかった。さらに、兵法に洋式を取り入れて大砲を鋳造し、ペリー来航の際、その大砲を幕府に寄進している。1861(文久元)年86歳の高齢で死去。
(大手町にある榊神社は「榊原康政・3代忠次・11代政令・14代政敬」が顕彰され、まつられている。)

リョウブ

 リョウブ(令法)はリョウブ科の落葉小高木で、今は庭木としても植えられる。昔、飢饉に備え、若葉を食料にするため、令法(りょうぼう)によって植えさせたのが名前の由来。別名の畑積り(ハタツモリ)も事前に収穫量を見積もって植えたことに由来する。平安時代以来、新葉を湯掻いて乾燥させ、救荒食物として貯蔵させたと言われる。食用となるのは芽吹いてすぐの若菜。アクがなく、生のまま食べることもできるが、一般的には湯通しし、乾燥させたものを御飯や団子に混ぜて食べたり、天婦羅にして食べる。飯や穀物に混ぜて炊いたものはリョウブ飯と呼ばれる。今風には山菜である。
 日本全国の山間に見られる落葉樹で、6月から8月にかけて穂状の白い花を咲かせる(画像)。一つ一つの花はよく見ればウメに似ていて、おびただしい数の蝶や蜂が蜜を求めて集まる。

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論文や資料、報告などから見えてくるライチョウと私たち

 私が子供の頃はライチョウは富山や長野の話題で、妙高では誰も知らず、そのため当時の私たちにはライチョウは遠くの存在でした。でも、今では火打山ライチョウが棲息することが確認され、妙高ではライチョウ会議まで開かれました。そのため、ライチョウの調査や保護が人々の関心を呼ぶようになっています。そして、地球温暖化によるライチョウの生息域の劇的な減少に関する論文を紹介したばかりです。では、ライチョウに対する様々な議論、実際の対策、活動に対して、私たちはどのような態度をとることができるのか、それを考えてみましょう。
 ライチョウに関する研究、考察、対策、活動のどれにも共通していながら、忘れられがちな前提があります。それは、「生物多様性」や「地球温暖化」といった前提で、これら概念は科学的に真なる概念というより、相当に蓋然性の高い仮説だということです。それらが正しいという前提のもとに、モデルが考察され、そこから具体的な対策や活動が計画され、実行に移されてきました。この一連の動きは、例えばライチョウの系統や生態についての事実の観察・調査とは違って、私たちがライチョウをどのように扱うかの決定で、それは前提に支えられていることを示しています。大袈裟に言えば、事実確認ではなく、仮定に基づく行動策定なのです。そこで、私たちが考えてみるべきことは、この事実の確認と行動の決定の間を何がどのように結びつけているかなのです。つまり、知識の確認から行為の決定に至る過程に何があるのかを明瞭にすることなのです。モデルやシミュレーションを使って未来の行動を探り、決定するという過程が20世紀以降常套の手段として使われてきました。私は既にライチョウの研究結果の総論や環境省ライチョウ対策の計画案などをClub Myokoで挙げてきました。それらの資料、情報を的確に理解するために誰もほとんど言及しない基本的な事柄を押さえておく必要があるのです。

 「ceteris paribus」というラテン語の謂い回しは、現代風に言うなら、「一つの要素を変数とし、その他の要素すべてを定数とする(All other things being equal)」という意味であり、字句通りには「他の事情、条件が同じならば」と言うことです。経済学の教科書で見かける「セテリス・パリブスの仮定」です(私は中世風にチェテリス・パリブスと発音してきました)。日常的な表現を使うなら、「他のものは同じままであるとして」あるいは「他の全てが同じ、または一定であるとして」という意味のラテン語の表現です。二つの出来事や状態の間にある因果的な関係や論理的な関係についての言明がceteris paribusであるというのは、そうした言明が成り立つ状況では正しいと主張できるものの、他の要因がある場合には、正しいとは言えなくなるという状況を指しています。科学者は焦点を定めたことが成り立つのを妨げるような要因は排除したいのです。基礎的な物理学(古典力学相対性理論量子力学など)では普遍的な法則を扱う場合がほとんどであるのに対し、生物学、心理学、経済学といった個別的な領域では「通常の状態」では成り立つが、例外のある場合がほとんどの法則、すなわちceteris paribusな法則がたくさん登場するのです。
 ライチョウの系統関係のDNA解析、生態に関する地道な調査研究にはceteris paribusという条件は必要ありませんが、予測や推測となると、複雑な対象であればあるほど、ceteris paribus付きの言明が必要になってきます。いつでも、どこでも成り立つことの予測はまず不可能で、一定の条件のもとで成り立つ予測しかできないのです。私たちは単純化のためにモデルを作りますが、その単純化とは変数の範囲を制限し、理想的にはたった一つの変数の値の変化に応じて対象がどのような変化をするかをモデル化することなのです。そのために、ceteris paribusと条件を入れて、単純化を図るのです。
 基本的な仮定からの調査研究、それに条件のceteris paribus化をつけ加えたモデル作成や予測の一例として、ライチョウの調査とライチョウの将来予測を挙げることができます。地球温暖化を仮説として認め、他の生息条件等は現在の条件と同じと仮定する(ceteris paribus)ことによって、時間的に変化するモデルを使って予測が可能になり、それに基づいてライチョウの将来を考え、対策を講じることになる訳です。実際はもっと紆余曲折を経て、具体的な対策が決まっていくのですが、条件を減らしたり、増やしたりといったアレンジによって個別の状況により合致した予測が得られます。
 こんな単純な仕組みがライチョウ対策の骨組みだとすれば、相当に気分は晴れて、ずっと気楽に、冷静に火打山ライチョウをどうすべきかの意見も出しやすくなります。住民の要望、行政の都合もceteris paribusの中の条件と捉え、それらを自由に取捨選択しながら、議論をすれば面白い結果が出てくる筈で、これはライチョウに限らないということになります。

ブラックベリー

 ブラックベリーBlackberry)はバラ科キイチゴ属。ブルーベリーと比べて果汁が多く、ずっと大きな実をつけるのがブラックベリー。丈夫で育てやすいブラックベリーはほとんど無農薬でつくれ、スペースさえあれば楽しめる。果実は酸味の強いものと、比較的少なく生食に向くものとがある。いずれもジャムなどへの加工には最適。ブラックベリーは、大きく立ち性とつる性に分けられ、後者はデューベリーとも呼ばれている。
 ブラックベリーアメリカ中部が原産。ブラックベリーも実ができたばかりの頃は、ラズベリーと同じように赤色だが、だんだんと変色し、食べごろには黒い色の実になることから、このような名前がつけられている(画像は黒くなり始めたブラックベリー)。ブラックベリーの実にはアントシアニンといったポルフェノールや食物繊維、ビタミンEといったビタミン成分が多く含まれており、抗酸化作用が高いのが特徴。

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格差と選択、そして浮動

 最近は「格差」という言葉をよく聞きます。これまでは人種的、地域的な格差がほとんどだったのですが、近年は経済的な格差も同じように話題になっていて、その格差の拡大が世界中で進行していて、それが資本主義の悪しき特徴と言われています。この「格差」を少々異なる視点から眺めてみましょう。
 生物集団とは生き物の群れのことですが、その集団内の生物個体にはさまざまな変異(variation)が見られます。変異とは個体差のことで、個体の間の格差、つまり、個性のことです。その変異の一部は親から子に遺伝されますが、変異の中には生存と繁殖に選択的に働くものものがあります。これが、進化が起こるためのダーウィン的な条件になるのです。つまり、「変異、遺伝、選択」が原因となって、生物的な「進化」を引き起こすのです。このダーウィン自然選択説を横に置くことによって、パナマ文書(Panama papers)などで関心が高まる「富の偏在、格差」の見えていない姿が浮かび上がってきます。
 『21世紀の資本』(Le Capital au XXIe siècle 、Capital in the Twenty-First Century)は、フランスの経済学者トマ・ピケティの著書。2013年に刊行され、大ヒットしました。長期的にみると、資本収益率は経済成長率よりも大きく、その結果、富の集中が起こり、資本から得られる収益率が経済成長率を上回り、その分だけ資本家は富を蓄積することになります。富が公平に分配されず、遍在することによって、貧困が広がり、それが社会や経済を不安定にする、というのが彼の主張です。そして、この格差是正のために累進課税や富裕税の導入が提案されています。つまり、税金によって格差是正を行おうという訳です。
 個人財産の相続は遺伝に似ています。個人財産が認められず、それゆえ、財産の相続もない共産制のもとでは仕事の個人差もなく、その差も遺伝しませんから、原理的には自然選択は働きません。選択があったとしても、それらはすべて人為的な計画によるものになり、自然選択を人為的に禁止しています。これが理想的な共産制であり、ダーウィン自然選択説の否定となっているのです。むろん、現在の中国の修正された共産主義ダーウィン自然選択説を肯定しています。
 文化や歴史の共有と相続が伝統を生み出し、それが民族や国家の柱になってきましたが、これを可能にしているのがドーキンス流の文化的な遺伝子です。当然、言語も重要な役割を演じてきました。知識を中核とする獲得形質は蓄積され、それが共同で維持管理され、相続されていきます。これまでは国や民族が単位となってこれを行ってきました。歴史とはこのような相続形態を基本にしてできあがってきたのです。
 個人的な獲得形質の典型が個人財産です。それが子孫に相続されるということは、獲得形質が遺伝するということであり、それは人間社会の知も財もダーウィン的ではなく、ラマルク的だということを意味しています。「欲求」を出発点にするラマルクの進化論の方が人間社会の進化に近いことになります。獲得形質の遺伝を許すと貧富の差が大きくなるはずですが、その正確な特徴づけは実に興味深い事柄です。人間社会で選択が働く場合は、人為的な規制が必ず伴っています。その規制が不当に強いと、歪んだ格差が膨らむことになります。中南米や中国では実際に格差が大きいのですが、それら社会では富が偏在し、それが子孫にまでそのまま不当に保たれるようになっています。あるいは、法律を犯してまでも獲得形質を遺伝させようとするのです。その氷山の象徴的な一角が「パナマ文書」なのです。
 生物集団の進化モデルを参考にするなら、社会の中での格差が適度に拡散し、格差が拡大することがない自然の知恵が実は存在し、それが偶然的な「浮動(drift)」です。浮動によって格差を四散させるやり方はサイコロを振るという公平なやり方と基本的に同じものです。これは偏差がないという意味で健全ということになります。変異に対して選択だけでなく、偶然的な浮動も同じように働き、それによって生まれる健全な格差が本来のダーウィン進化論での変異なのです。
 自然的な選択なら、変異が少なくなるように集団に働く場合が多いのですが、選択が人為的なら、変異を大きくするように働く場合がほとんどです。人の欲求は公平ではないからです。ですから、人の思惑が入らない浮動が格差の発散に寄与するのです。サンプリングの機会を増やし、チャンスを積極的に活用することが、浮動を有効に働かすことにつながります。偶然的な浮動の役割は正にこの点にあります。
 最後に、出発点の遺伝的な違いだけに格差を限定し、平等な社会を目指したのは一体誰だったのでしょうか、さらに、あるべき差と解消すべき差の違いを識別しようとしたのは誰だったのでしょうか。

ブロワリア

 ブロワリア(植物学者の名前)の別名はタイワンルリマガリバナで、二つの名前の落差に驚く。ナス科で原産地は中央アメリカ~南アメリカ。今頃から秋に涼しげな青紫色、白色の花を咲かせる。一見すると、ペチュニアによく似た花である。葉脈のはっきりした葉をつけ、株はこんもりまとまる(画像はブロワリア・スペキオーサ)。
 高温多湿に弱いところがあり、夏は開花が減るが、暖地では秋から晩秋にかけて再び綺麗に咲きそろう。本来は多年草だが、耐寒性がなく、日本では春まき一年草として扱われる場合が多い。

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