生命の変化(1)

‘Nothing in biology makes sense except in the light of evolution’.
T. Dobzhansky(1973)

 物理学が20世紀前半に大きく進展したのに対し、20世紀後半に著しい発展を遂げたのは生物学である。それに伴い現在では生物学の哲学も物理学の哲学と肩を並べる分野に成長し、今や科学哲学の二大分野の一つとなっている。方法論を除いた、個別科学に関する哲学が物理学の哲学だけであるという時代は終わり、科学の内部を哲学する場合の自律した分野として生物学が加わり、それに応じて科学の本性は物理学と生物学の両面から明らかにされ始めた。20世紀の生物学の哲学は主にダーウィンの進化論を巡っての議論からなっていたが、それは進化論(=進化生物学)が物理学の基礎理論である量子力学相対性理論と同じように、生物学の基礎理論の一つと見なされていたからである。近年哲学的な考察範囲は広まっているが、ここでは進化論に関する哲学的な議論だけを考えてみよう。
 生物学は実証的な研究と理論的な研究の二つの側面で古典力学を模範にしてきた。物理学の実証的手法を生物学に適用することによって、19世紀に顕微鏡を駆使した細胞学、そして生理学や発生学が生まれた。また、物理学の説明方法を適用することによって、同じ19世紀に進化を因果的に説明する進化論が生み出された。実証的研究で生物学特有の法則や原理は結局見つからなかったのに対し、理論的研究では「自然選択」という生命現象特有の原理が見つかり、生命現象に独特な変化として進化の存在が認められることになった。
 古典力学を模範にして生まれたのが進化論であるとすれば、生物学の研究が物理学より遅れているという印象が持たれるかもしれない。物理学は既に古典的な理論を乗り越え、相対性理論量子力学に移行しているのに対し、生物学はやっと古典力学の水準に達し、それ以上には進んでいないという見方はある点で当たっているが、ニュートン革命に比べダーウィン革命は200年程遅く、進化の総合説の完成時期が相対性理論量子力学より後であることを考えれば、単純な比較はできないだろう。
 一方、進化論には古典力学にはない側面もある。進化論は統計力学と並んで、確率革命の成果が最も早く、最も強く出た理論の一つである。確率・統計概念は20世紀の知識を19世紀までの知識と区別するほどの重要な概念だが、それが具体化されているのが進化論の中核をなす集団遺伝学である。マクロな世界での確率・統計の使用は認識上の無知解釈や客観的な頻度解釈によって考えられてきたが、同じマクロな世界を扱う進化論での確率・統計の使用はそれらの解釈だけで済まない、より積極的な意義をもっている。
 ここでは進化論の主張とその哲学的な分析を進化の事実、進化の過程、進化の結果の順に進めてみよう。

1 進化論の誕生
 生物学の哲学が何を対象にするか問われれば、生命の本質の理解にあると考え、いわゆる「生命論」を想像するかもしれないが、20世紀の生物学の哲学はもっぱら進化生物学(=進化論)の哲学であった。ニュートンが物理学を革新したように生物学を革新したのはダーウィンだった。そのダーウィンが生み出したのが進化論であり、物理学において力学が基礎的な理論になったように、進化論は細胞学と共に生物学の基礎理論となった。思想や思想史の主題として進化を考える立場からではなく、自然現象としての進化の哲学的問題を、量子力学の測定問題を扱った場合と同じように、進化の理論と密接に照合させながら考えてみよう。
 進化は「変更を伴う由来(descent with modification、『種の起源』でダーウィン自身が使った進化の表現)」、つまり、多くの世代を通じての有機体の形態、生理、行動の変化である。生物の変化は系統の樹状パターンとして表され、その中で進化が表現される。進化の結果、生物は環境に適応し、生きるための形態、生理、行動の巧みな仕組みを獲得している。
 ダーウィン以前にも多くの人が生物種の変化の可能性を議論してきた。ラマルクはその中でも特に有名である。19世紀中葉までの生物学者の多くは種が不変で固定したものと考えていた。これに対して、ダーウィンの自然選択による進化の理論は種の変化と適応を説明しようとする。当時の人々には進化が存在し、それが自然選択によるという考えは革新的で、なかなか受け入れられなかった。また、ダーウィンには遺伝の理論が欠けていたため、1900年メンデルの理論(1856)が再発見されると、最初メンデルの理論は自然選択説に反対する考えと受け取られた(ダーウィンの最初の遺伝モデルは形質がブレンドされるという混合遺伝説だった。すぐにジェンキン(Fleeming Jenkin, 1867)は混合遺伝の結果は変異を半減させると指摘した)。選択は形質の連続的で僅かな変化に働くというダーウィンの信念に基づき、近代的な統計学理論の枠組みの中で遺伝の現象変化を追求した計量生物学派(ゴールトンやピアソン、遺伝可能性のメカニズムより選択のメカニズムを重視)と、遺伝子の本性は不変で、新しい遺伝子を生み出す突然変異が進化の原動力と考えるメンデル派とが対立していた。フィッシャー、ホールディン、ライトはメンデルの遺伝理論と自然選択説が両立可能であることを示し、その結果、二つの考えを総合した理論が生まれた。これがネオダーウィニズムあるいは進化の総合説と呼ばれるものである。1930-50年の間に総合説は次第に受け入れられていった。それは集団遺伝学を中核にして、動植物学、分類学、古生物学、比較形態学、発生学等を総合した進化の理論だった。

(問)自然選択とメンデルの遺伝の考えが両立しないと考えられたのはどのような理由からか。

(問)物理学と生物学は人間に対してどのような主張をし、それらが人間の概念にどのように影響するか考えよ。

2 進化論とはどのような理論か
(進化とは何か)
 「進化」という言葉は異なる場面でさまざまに使われている。宇宙の進化、科学技術の進化、社会の進化等を思い起こすなら、変化という語とほとんど同じように使われている。だから、進化の理論を広く考えるなら、世界の変化に関する一般的な理論ということになる。では、生物進化はこのようなさまざまな変化の一つとして、他の変化からどのように区別できるのか。進化論での「進化」はこれら一般的な使い方に比べて遥かにその範囲は狭く、集団内で遺伝子の頻度変化が生じる時に進化が起こるというのが一般的な定義である。集団内での遺伝子頻度の増減、新しい遺伝子の登場、あるいは古い遺伝子の退場によって進化が起こると言われている。遺伝子の頻度変化を基準にすると、宇宙や星の進化、社会の進化等は遺伝子の頻度変化によって引き起こされないという意味で進化ではない。

(問)遺伝子頻度の変化による進化の定義をダーウィンの「変更を伴う由来」と比べて、違いを挙げてみよ。

 では、生物の変化はすべて進化なのか。二人の兄弟が成長し、一方は太り、他方は痩せたとしてみよう。それぞれの細胞は増え、その中の遺伝子数もしたがって増える。そして、その増え方は兄弟で異なっている。だが、それぞれの遺伝子の頻度は変化するだろうか。それぞれの頻度は不変のままである。生物個体の成長はその遺伝子頻度を変えない。(どうしてか。)個体発生と系統発生は遺伝子頻度に関して異なっている。
 遺伝子頻度の変化としての進化は集団内の遺伝子頻度の変化であるから、それは当然一つの種内での進化しか意味していない。これは小進化(microevolution)と呼ばれており、種やそれ以上の分類項目の絶滅や誕生といった大進化(macroevolution)とは異なっている。では、遺伝子頻度の変化としての進化はこの大進化を進化とみなさないことになるのだろうか。もし種分化(speciation:新しい種が在来種から分かれて誕生すること)が遺伝子頻度の変化を帰結するなら、大進化も進化とみなされることになる。

*大進化
 進化の総合説の展開の中での焦点は小進化にある。小進化は集団内の世代交代を通じての遺伝的変化であり、ハーディ-ワインバーグ均衡(後出)を使って正確に描くことができる世代間の漸進的変化と考えられてきた。そこから、過去の種は長い期間を経て漸進的に別の種に進化すると推測された。長期間の漸進的変化とその蓄積というモデルは通常系統発生の漸進説(Gradualism)と呼ばれている。ダーウィン自身、種はゆっくりと一定の速度で進化すると考えていた。
 1970年代に入り、このモデルはグールド(Stephen J. Gould)とエルドリッジ(Niles Eldredge)によって批判された。彼らは幾つもの種が長期間ほとんど変化せず、突然短期間の間に急激に変化することを化石の証拠に基づいて主張した。グールドはこのような変化のモデルを区切り平衡(punctuated equilibrium)と呼んだ(グールドのモデルは、短期間の革命と長期間の通常科学というクーンの科学史のパターンについての考えによく似ている)。

 ダーウィンが最初に考えた進化は遺伝子頻度の変化ではなかった。遺伝子頻度の変化は総合説における考えである。遺伝子は染色体の中にあり、人間を含むいくつかの種は対になった染色体をもっている。そのような種は二倍体と呼ばれるが、対になったそれぞれの染色体の座位(locus)にどのような遺伝子があるか考えてみよう。二つの対立遺伝子があり、それぞれをA、aとしよう。各有機体はAの二つのコピー、aの二つのコピー、あるいはAとaのコピーをもつことになる。これがその座位での有機体の遺伝子型(genotype)である。
 上のように定義される遺伝子型と表現型(phenotype)はどのような関係になっているのだろうか。それは、例えば、語とその意味の関係に似ているだろうか。あるいは、文字の系列とその指示対象の関係に似ているだろうか。その定義からして遺伝子型も表現型もタイプであり、トークンではない(タイプは性質、トークンはその性質をもつ具体的な対象である。人間はタイプであり、その一例としての各個人はトークンである。あるタイプは多くの異なるトークンをもち、別のタイプは一つのトークンももたない)。遺伝子がDNAの単なる断片ではないように、遺伝子型も単なる遺伝子の対ではない。それらは機能的な単位である。では、表現型は遺伝子型に付随するのだろうか。複数の遺伝子型によって実現される表現型はあるのだろうか。量的な遺伝では両者の関係をどのように考えたらよいのか。このような問題がすぐに浮上する。生物学が物理学と異なる点の一つが既にここに現われている。それは情報である。遺伝子型も表現型も物理的でない要素、つまりは情報という要素を含んだ概念である。
 集団内での交配は全く任意に行われる場合とそうでない場合に分けられる。任意でない交配、例えば、似たもの同士が交配する場合を使って「進化は遺伝子頻度の変化である」という主張に対する反例を考えてみよう。ある座位で同じ遺伝子をもつものだけが交配するとしよう。これは集団内で3通りの組み合わせしかないことを意味している。つまり、AA×AA、aa×aa、Aa×Aaである。この交配のパターンはどのような進化上の結果をもたらすだろうか。400の個体のうち100がAA、200がAa、100がaaとして、具体例で考えてみよう。遺伝子の総数は800で、Aとaはそれぞれ50%である。これらの400の個体が交配し、それぞれ2個体の子供を残すとしよう。次の世代は、したがって、400の個体がいて、その遺伝子型ごとの割合は次の表のようになる。

親 子供
50 AA×AA 100AA
100Aa×Aa 50AA、100Aa、50aa
50aa×aa 100aa

Aとaの遺伝子の頻度は相変わらず50%で変化していない。しかし、遺伝子型の比率はどうか。最初は1/4,1/2,1/4であったAA : Aa : aaの比率は子供の代では3/8、1/4、3/8に変わっている。遺伝子の頻度は変化しないが、遺伝子型の頻度は変化している。世代交代をさらに繰り返していったらどうなるだろうか。次第にAaの遺伝子型の頻度は減少していく。(各自確かめてみよ。)ところで、この集団の変化は進化だろうか。これを進化でないとする理由はどこにもない。この反例から次のことが言える。遺伝子頻度が不変でも遺伝子型頻度は変わり得る。そして、進化は遺伝子頻度が不変でも起こる可能性がある。
 遺伝子頻度の変化としての進化という考えに疑問を投げかける二番目の事柄はミトコンドリアの役割である。ミトコンドリアは細胞の核外にあって、それが含むDNAは遺伝する。ある集団において染色体の特徴は不変のままにミトコンドリアの性質が変化するなら、これは進化と言えるだろうか。多分、私たちは遺伝子の概念を拡大してミトコンドリアのDNAにも適用し、遺伝子頻度の変化としての進化という考えを保持するだろう。しかし、その時には「遺伝子」という概念を考え直さなければならない。
 三番目の疑問は集団のサイズである。集団の個体数が増えたり、減ったりすることは生態学的に極めて重要な変化であり、それが他の集団に与える影響は決して少なくない。集団のサイズは変化するがその遺伝子の頻度は不変であるとしたら、それは進化と言えるのだろうか。少なくとも、進化=遺伝子頻度の変化という定義はこのような変化を含んでいない。
 このように見てくると、進化を遺伝子頻度の変化と捉えることは誤っているのだろうか。進化を別の概念を使って正確に特徴づけるというのは困難である。定義が正確にできないことは悲観する材料ではなく、それが経験科学の特徴であると考えたほうがよい。というのも、進化を正確に定義することは言葉の問題ではなく、事実の問題だからである。進化に関する新しい知識が増えることによって、「進化」は概念的に進化していく。そのような経緯と研究対象に応じて進化を適切に扱うことのできる定義が与えられれば、それ以上必要ではない。

ヘクソカズラ(屁糞葛)

 生物名の表示がカタカナではなく、漢字だったとすれば、とんでもないことになるのがヘクソカズラ。言葉の暴力という曖昧な表現をよく聞くが、これは正に漢字の暴力である。ヘクソカズラは昔からとても臭いということになっていて、それゆえ最悪の名前を与えられた可哀想な植物なのである。臭いは進化の過程で身につけた自己防衛メカニズムなのだが、人の勝手な判断はそんなことことにはお構いなしである。では、本当に臭いのかとなると、ニンニクなどに比べれば、それは実に控え目なのである。
 ヘクソカズラ(屁糞葛)の漢字から「屁と糞のような臭いのするつる草」となる。ヘクソカズラの枝や葉をもむと、確かに独特の嫌な臭いがする。この臭いの原因は、ヘクソカズラに含まれているメルカプタンという揮発性物質にある。これはスカンクの屁の主成分と同じもので、虫から身を守るために進化の過程で獲得したと言われている。
 ところが、見ているだけなら嫌な臭いはせず、花の中央が赤く、お灸(やいと)の跡に良く似ていることから、ヤイトバナ(灸花)という別名や、美しい花の姿からサオトメバナ(早乙女花)という別名もあり、これもまた人の勝手な判断の命名である。
 兎に角、人の命名など当てにならないというのが、ヘクソカズラ、あるいはサオトメバナなのだろう。

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変化の経験-科学における経験と実在(8)

知覚、気づき、そして内観
経験が科学に対してもつ重要な役割がいままでの叙述から明瞭になったとは到底言えない。そこで、私たちが日常生活、科学研究を問わずに行っている知覚経験を取り上げ、知覚経験とはどのようなものかを分析してみよう。例えば、「リンゴを見て、リンゴが赤いことに気づく」こと、そして一般的には、「What is it like to have a perceptual experience?(ある知覚経験をもつとはどのようなことか)」を考えてみよう。このような問いへの答は経験内容への気づきや内観の再解釈という形でタイ(Michael Tye)やドレツキ(Fred Dretske)の自然主義的な心の研究に見出すことができる。
(表象主義の基本的考えとドレツキの知覚経験の内観)
自然主義的な表象主義は知覚経験とその内容である思考と感覚質の説明を目標とするが、その基本テーゼは次のように表現できる。

すべての心的事実は表象的事実である。すべての表象的事実は情報的な事実である。

このテーゼをある人Xの知覚経験に適用すると、

Xは性質Fを表象する ⇔ Xは性質Fを表示する(indicates)機能をもっている

となる。
 表象される内容は現象的性質と呼ばれ、実在の要素の性質と解釈される。知覚器官は情報を個体に供給する生物的な機能をもっている。これら生物的な表示機能は自然的表象であり、生得的な場合はシステム的表象、学習した場合は獲得的表象であり、それぞれ系統発生的(phylogenetic)、個体発生的(ontogenetic)である。また、心的表象には二種類ある。一つは感覚質の経験で、非概念的表象であり、システム的である。他は思考的経験で、概念的表象であり、獲得されたものである。
 表象、表現、表示は観察、測定の結果であり、温度計の温度表示のような数的な表示、貨幣による価格表示、言語的な表現等多岐に渡っているが、ここでは知覚経験だけを考えることにしよう。温度計が信頼できる知識に基づいてつくられ、その表示が信頼できる情報を伝えているように、私たちの知覚表象は正常に作動している限り、信頼できる情報を私たちに伝えている。この類比は表示が「何か」の表示であり、「表示する」という事態そのものより表示の内容がはるかに重要である点でも共通している。温度計を使う者はそれがどのような過程を通じて温度を表示するかに通常関心をもたない。道具としての温度計はその製作に携わる者以外にはその機能だけが注目され、実際の使用の場面では表示内容だけが重要な情報として扱われる。これは私たちの知覚表象でも同じである。眼科医でない私には眼の構造は詳しくわからない。しかし、それで私が不都合かといえば否であり、私には見えているものが生活の中で重要な情報となっている。この見えているものが温度計の温度表示と同じ地位にあるものである。
 上のような比較はある点で表象主義の真意を伝えてくれるが、この比較はどこまでも平行に進むわけではない。私たちは温度計と知覚が違うという直観も併せもっている。温度計の表示と知覚経験の違う面を明らかにすることが表象主義を一層明瞭にすることになる。知覚表象と温度表示の違いは何か。私たちは自分の知覚経験が何かに気づくことができる。だが、温度計は温度表示に気づかない。温度表示を表示する機能をもっていないからである。私たちは自分の知覚したものが何か問われれば、簡単に答えることができる。なぜ答えることができるかといえば、内観できるからである。
 内観とは心の内側を観ることであるというのが伝統的見解である。これに反撥するドレツキは内観に関するロックの見解を一貫して拒否する。彼の主張は内観の存在ではなく、内観内容の認識論的優位性にある。つまり、私がある特定の心的状態にあることに気づくとき、私が気づいているのはその状態の志向的内容(=表象内容)であり、それはその内容を構成する特徴であり、私が信念を生み出す心的状態自体の特徴ではない。私はものの思考や経験が表象する物理的な特徴を知覚することによって私の思考や経験が心的特徴をもつことを学習する。また、このことは私がもつ心的状態によって表象される特徴が、その状態に内観的に気づくことに特別の権威(私だけが直接に気づくことができる特権)を与えてくれる。
 ドレツキによれば、青の経験は概念的に青の経験として表象されるが、それは経験の感覚的表象によってではなく、見ている青い対象の感覚的表象によってなされる。私にとってある経験が青の経験であるということを内観することは、その経験が青い対象を青として表象していることと、経験が青の経験でないなら対象が青ではないだろうという正当化された信念の二つだけを基礎にして、推論であるかのように、その経験が青の経験であることを表象することである。より一般的には、

私にとってeがFであることを内観することは、私にとって(1)eがFであることを表象することであり、その表象は(2)私がeの志向的対象がPであることを見ることに基づき、(c)eがFでないなら、その対象はPではないだろうという正当化された信念が介在することによってなされる。

脳がなければ赤の経験をもてないが、脳のどこにも赤い性質は存在しない。この文は一見すると矛盾しているように見えるが、ドレツキはこれらがそうではないことを自らの理論、つまり「内観=転換された知覚」理論で示そうとする。彼の主張は「内観は転換された知覚である」というテーゼにまとめられている。感覚経験は対象を表象する(感覚モード)。信念は対象についての事実を表象する(概念モード)。この感覚モードから概念モードへの転換を彼は転換知覚と呼ぶ。転換には、知覚者が知覚の対象とその知識の結びつきを知っているという仮定が必要で、これが結合信念(connecting belief)である。内観はメタ表象であるが、それは転換された知覚の形をとる。転換知覚説によって内部感覚説では与えることのできない内観の現象学は転換知覚の束に還元される。
(経験の透明性)
 経験という語の使用には注意が必要である。次の文を比べてみよう。

経験は赤くない。
経験は赤い。

二つの文は一方が他方の否定になっているから、いずれかが誤っているのだろうか。前者の経験が出来事としての経験を、後者の経験が経験内容を指示していると考えれば、両方とも正しい場合を想像できる。赤いものを見たという経験そのものは赤くないが、その経験の内容である赤いものは赤い。出来事としての経験は経験できないという意味で、経験は透明である。一方、赤信号という具体的な経験内容は透明ではなく、確かに赤い。経験の透明性の参考例としてヒュームの考えを思い出してみよう。
 私たちは日常の現象を原因や結果の系列として、また太陽や月の変化は周期的な現象として理解している。論理的な関係のない二つの観念が原因や結果として結合されることによって事実が経験されている。そして、私たちは経験を通じてのみ特定の因果関係を見出すことができる。それゆえ、私たちの因果的な経験を分析することによって自然を理解することができる。この分析から、ヒュームは原因と結果についての私たちの知識は過去の経験からの一般化の帰結であると考える。彼の分析結果は以下のようにまとめることができる。

タイプAの出来事はタイプBの出来事に時間的に先行する。
私たちの経験の中ではタイプAの出来事はタイプBの出来事に常に結びついている。
タイプAの出来事はタイプBの出来事と時間的、空間的に隣接している。
タイプAの出来事はタイプBの出来事がその後に起こるだろうという期待をもたらす。

 これらがヒュームの因果性の分析であるが、これで因果的関係は表現し尽くされているのだろうか。ボールAがボールBに衝突したとき、私たちはAがBを動かし、Aが衝突した結果としてBは動かなければならなかったと考え、そこからAの動きとBの動きの間に必然的な結びつきがあったと考えるのではないか。しかし、ヒュームは私たちにはこの必然的な結びつきは理解できないことだと主張する。この主張の根拠は彼の経験論にある。私たちはAの動きやBの動きを経験できるが、それら動きの間にある必然的な結びつきは経験しない。それゆえ、自然に必然的な結びつきがあると信じる何の理由もない。私たちが見るものすべては隣接し合う出来事でしかない。出来事の間の必然的な関係を見ることは決してない。しかし、隣接する出来事をいつも見ていると、それが未来にも引き続いて起こり、出来事の間の結びつきを期待する習慣がつくられていく。
 必然的な関係と同じように、経験も知覚できないものである。だが、経験を概念的に指示することはできる。経験内容が概念的に再構成されるには経験が完了した後でないとできない。今経験していることに気づくことは経験内容のいずれかに気づくことである。自己が知覚できないように経験を知覚できないが、自己を反省できるように経験を反省することはできる。その際、自己も経験も言語的に指示対象となっており、他の言語表現との関係で表現される。経験は言語化されて経験できるが、言語化された経験は生の経験ではなく調理されたものである。
(注意と気づき)
 私たちは対象を注意して見なければ、その特徴に気づかない場合が多い。知識がなければ気づかないように、注意を払わなければ気づかない(し、それゆえ、見えない)。だが、知識が気づきの原因ではないように、注意も気づきの原因ではない。赤信号に気づくのは、実際に信号が赤になったからであり、注意が原因で気づいたのではない。注意は運転という行為の一部としての赤信号への気づきの必要条件の一つではあるが、動機や欲求と違って、ある行為の原因ではない。だが、「注意したので、気づいた」という表現は因果関係を述べていると反論したくなる。注意は動機と違って、そのメカニズムが表面に出てくるものである。私たちはメカニズムをもとに注意を捉えている。注意する内容(つまり、信号が黄色から赤色になること)が赤信号に気づくことの原因のはずであるが、それは転化されて注意そのものが原因であるかのように考えられているところに上記の混同の源がありそうである。
 「注意したので、気づいた」は前件も後件もメカニズムやプロセスに言及しているのであれば、有意味であるが、注意がメカニズムを、気づいたのが内容であれば、カテゴリーミステイクになってしまうだろう。経験に気づくのではなく、経験の内容(=現象的性質=表象的内容)に気づくのであり、それは経験の透明性によって保証される。
 経験内容が表象内容であるという表象主義は、表象が内的なスクリーンに映し出される映像ではなく、現象的性質であることを主張するが、表象は何かの表象であり、その何かはセンサーの値であり、その値を担うものが現象的性質であると考える。そのため、これを経験のセンサー説と言い換えてもいいだろう。気づくのは観測者であり、センサーではない。気づいた内容はセンサーが感知したものであり、測った値でしかないが、「気づく」の主語はセンサーではない。
 経験が透明であることと経験が気づかれないことが同じような意味で使われているが、もしそうなら、経験の不透明性は経験に気づく可能性を示唆している。例えば、「虎を見ている」ことに気づくとき、その気づき方は異なっている。

虎を見ているのは私だ。
虎を見ているのは今だ。
私に虎が迫ってくる。
私の身は危険だ。

 これらの気づきの違いは何に起因するのか。経験の内容とそれに気づくことの違いは上の例からも明らかなように、「私」や「今」といった指標詞の存在にある。(科学主義的な意味で)表象内容が指標詞を含まないとしても、その気づきは指標詞を伴っている。これが気づきの感じそのものをつくりだす重要な役割をもっている。表象内容はセンサーが感じ取るものだが、そのこと自体をセンサーは気づかない。(これと同じ意味で、「理解しない」と言われるのはサール(Searle)の中国語の部屋の論証に登場するコンピュータである。)それはセンサーである限りのセンサーは気づく必要がないからである。私たちの知覚経験はセンサーであると同時に、それによって得られた情報を別の事柄に関連させ、利用するようになっている。
 経験が透明なのは、経験がセンサーのレベルで考えられる場合だけである。気づきによって始まる行動の場面では経験は透明ではなくなる。虎が目の前に現れたとき、それに気づかないと殺されてしまう。気づいたものだけでなく、気づいたこと(=出来事としての経験)や気づいた人がわからなければならない。
(「私」と指標詞)
 センサーがその内容だけでなく、私に帰属することをどのように表現したらよいのか。トークンとしての表象内容に「私」や「これ」や「今」がどのように付着するかが明らかにできれば、ある経験をすることがどのようなものかが相当明らかになるだろう。現象的性質をもつ経験内容にこのような指標詞がどのように関わるかが問題である。
 自分のセンサーとその値を経験することと、単なるセンサーとその値の読み取りとの違いを表現する役割を指標詞はもっている。何かを経験した事実は単なる事実と違っているが、その違いを表現するには指標詞が必要になってくる。内観に経験していることの自覚が求められる場合、経験している事柄だけでは足りず、その事柄が正に経験しているものであることが表示されなければならないが、それは経験している事実だけでは表現できない。内観に期待されている役割は経験している、経験していたという内観である。これは指標詞の巧みな挿入によってなされる。注意して知覚した場合の同時的な気づきは、事実と経験が重なり、「これ」といった表現が登場するくらいで、指標詞が使われる余地は少ない。気づきが時間的にずれたとき、「あれだった」といった表現に見られるように指標詞の役割は増してくる。そして、この挿入は表象内容ではなく、表象そのものの付随事項として挿入される。経験の透明性を保証しながら、そこに指標的な名札がかすかにつくのである。指標詞は存在をつくりださない。存在するものを表わすだけである。そのことによって経験の一回性が後で経験できるようになる。観測者、観測場所、観測時間といったものを文の一部に入れることによって、気づいた内容だけでなく、気づきの様態も表現される。
(経験の中から)
 表象も経験であり、その経験が透明であれば、表象も透明であり、表象への気づきはないだろう。表象は透明にその内容を指示する。指示されるのは知覚されている対象や事実である。この透明さは指標詞の直接指示的な性格に端的に表われている。しかし、一旦指標詞を含む言語が表現に使われ出すと事態は豹変する。知覚される対象の「これ」は他の言語表現で容易に置き換えることができる。その置き換えによって表象経験のユニークさは失われる。経験の一般的な説明はできるが、特定の経験、いま経験しているという意識は失われる。
 表象が透明であること、何かの表象であることから、表象の内容は言語表現をとる場合にはまず「これ」、「あれ」といった指標詞で表現される対象である。この透明な直接指示性は知識という点からは仮のものであり、後に一般名詞からなる不透明な文の集まりによって置き換えられるものである。
 しかし、「この経験」という指標的表現は置き換えられずに残すこともできる。表現を残すことができても、その経験の内容は一般的な表現からなっている。経験の透明性は一般名詞の普遍的な適用性から来るのであり、これを保証しながら、経験が存在すること、経験をもつことは消去しないで残すことができる。言語表現に頼る私たちにとって、これが経験の意識や経験の内観という表現を支えることになる。
 注意を含んだ知覚作用によって対象が知覚される。知覚されることは指標詞に負うところが大きい。注意は気づきを伴った指示によって知覚レベルで遂行される。対象の直接的な指示はその対象に気づいていることの証拠であり、それは気づきから言語表現に移行する。「これ」といった指標詞は注意、気づき、その表現が一緒になった形で使われる。この気づきは内観と重なっている。だが、内観はさらに「私が…に気づいている」という文の形をとる場合が多い。その点で内観は指標詞だけでなく、指標詞を含んだ文で表現されるという意味で、言語に不可避的に結びついている。内観は十分に配慮された気づきになっている。
 「これ」と「私」は気づきと内観に象徴的に現われる言語表現である。注意なしに知覚の対象を認知することはないが、これは知覚そのものが既に気づきを含んでいることを示しているし、気づきのない知覚が通常の知覚経験では無意味であることの説明にもなっている。注意なしには知覚内容の言語表現は覚束ない。内観にはこれと違って「見ているのは私だ」といった気づきがある。危険を察知するとっさの気づきと違った、落ち着いた、ゆっくりした気づきがある。だが、それは程度の差に過ぎないのかもしれない。
 経験と経験的知識は違う。経験を通じて生み出される知識は経験の一部を測り、それを一般化した結果である。その結果を経験に適用しながら、私たちは生活の中で経験的知識を使って経験を脚色しながら理解し、それを利用してきた。経験が何であり、どのようであるかを経験的知識を使うことによって理解してきた。経験の中の対象や出来事を指標詞を使って固定化すること、さらには「この経験」という表現で経験を固定化することは経験をより広い文脈で再利用するために必要なことである。だが、指標詞的な表現は知覚像を概念化する一歩であり、指標詞を使うことによって知覚像は対象に変わってしまう。最初の概念への転換である。この概念、つまり、「この本」は赤い表紙が色褪せてもやはり「この本」のままである。知覚像の変化と「この本」の不変性は知覚と知識の転換の証になっている。

榊(サカキ)

 私の住んでいた新井の町では毎月6と10のつく日と晦日に市(いち)が立っていた。子供の私には沢山の農産物が通りの両側に並んでいた記憶しかない。市が立つ度に農産物を運ぶ人たちの通り道になっていた北国街道に面した我が家では、わざわざ市に行かずとも、簡単に野菜や工芸品を買うことができた。「榊」はそんな品物の一つで、私の祖母は市の立つ日には榊だけでなく、野菜の大半も市に品物が並ぶ前に手に入れていた。ちょうど今頃は露地物の野菜が多く、お盆に向けての花も多かった。そのためか、榊はナスやキュウリと並んで、私には馴染の植物だった。
 今「サカキ」として知られるツバキ科のサカキは、もともと寒い地域ではあまり育たない木で、そういった地域では松や杉などの常緑樹が代用として用いられていたようだが、確かに本物の榊だったと思う。
 古来から植物には神が宿り、特に先端がとがった枝先は神が降りるヨリシロとして若松やオガタマノキなど様々な常緑植物が用いられてきたが、近年は身近な植物で枝先が尖っていて、神のヨリシロにふさわしいサカキやヒサカキが定着している。
 家庭の神棚にも捧げられ、月に二度取り替える習わしになっているらしいが、祖母は律儀に白い榊立てに榊を供えていた。仏壇に花を供え、神棚に榊を供えることがごく自然なことだった。旧盆の前には仏壇の仏具を真鍮磨きで綺麗に磨き、大晦日の前には神棚を掃除し、しめ縄を新しくしていた祖母の姿が思い出される。

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サカキ

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サカキの花

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ヒサカキ

 

変化の経験-科学における経験と実在(7)

6実在論再訪
 私たちは実在論を擁護する二つの論証を既に述べた。ここでは科学的実在論(scientific realism)から眺めた場合の議論を取り上げてみよう。科学的実在論は「科学的知識の対象は科学者の心や行為から独立して存在し、科学理論は客観的世界について言及する」と主張する。科学的実在論には二つの側面があった。一つは形而上学的側面で、幾つかの対象が私たちから独立した存在であることを主張する。他は認識論的側面で、どのような個体が存在するか知ることができ、それらを支配する理論や法則を見つけることができると主張する。
 科学的実在論に反対する見解には経験論を含むさまざまな反実在論があった。最近では道具主義と経験的構成論が反実在論としてよく議論される。道具主義は知識を実用的な道具と考える。道具主義は知識を人間の目的のための道具とみなすので、科学的に重要なのは真理より信頼性や経験的な十全さである。道具主義の一つである虚構主義では、実在論者が好む多くの抽象的な対象の存在を私たちの目的に役立つ構成成分に過ぎないと考える。構成主義者は科学的知識が社会的に構成されたもので、事実は私たちがつくり出したものだと主張する。また、規約主義によれば、科学の真理は結局は人間がつくった規約に基づいている。
実在論擁護の議論) 
 19世紀から20世紀初頭に分子と原子の実在性に関して論争があった。マッハ、デュエムポアンカレ(規約主義)のような反実在論者は、科学理論の真理、理論的存在の実在に対して懐疑的な態度をとった。統計力学相対性理論の成功の後、プランクアインシュタイン実在論に転向するが、量子力学が古典的な実在論的解釈ではうまくいかないことがわかり、ボーアとハイゼンベルクによるコペンハーゲン解釈道具主義を採用した。ミクロな世界の解釈はこれでしばらく落ち着くことになった。
 この状況は1960年代に再び変化する。スマート(J. J. C. Smart)やパトナム(Hilary Putnam)が科学的実在論を擁護する「無奇蹟」論証を提案する。彼らの主張によれば、科学理論によって使われる理論的対象が実際に存在し、理論自体が少なくとも世界について近似的に真でなければ、(予測や説明に見られる)科学の明らかな成功は奇蹟としか言いようがない。科学の成功から多くの人は科学が正しい道筋を歩んでいることは認めることができよう。だが、経験的な成功への道筋は必ずしも真理への道筋とは限らない。だから、奇蹟を使った論証は不十分である。しかし、他の説明に比べ、確かに実在論は最善の説明になっている。それゆえ、理論的対象が実在し、理論は真である。だが、このアブダクションを使った論証は結論をきっぱり出し切れない。にもかかわらず、多くの哲学者はこの論証を受け入れた。実在論が優勢になり、それを疑問視することは反科学とさえ考えられる風潮があった。
 ポパー道具主義攻撃も実在論を支持した。彼は道具主義を自らの反証主義的方法論のために批判した。これをさらに広げ、ボイド(Richard Boyd)は科学の方法に焦点を置いた無奇蹟論証を使って説明主義を展開した。そして、彼はクーンやファイヤーラーベント(Paul Feyerabend、1924-1994)によって強調された科学の人間的な側面を明らかにしようとした。ボイドは私たちがつくった理論が道具として使うと成功するのかどうか問う。実在論を経験論や構成主義と対比させながら、彼は実在論(だけ)が最善の説明を与えると結論する。私たちが真理やそれに近いものでスタートし、科学を使って仕事をすると、科学のために工夫した方法はそれ以上のものを生み出すからだと彼は言う。科学理論に真理を求めるのは実在論だけであるから、実在論は科学の道具としての成功について最善の説明を与えるものとなる。それゆえ、実在論は科学的仮説のように最も真理に近く、それを信じるべきであると主張される。
 ボイドの説明主義の論証は注意深く組み立てられているが、科学の道具としての成功についてだけ問うてみよう。つまり、観察レベルでの成功だけ考えてみよう。始めから理論的なレベルでの科学の成功を認める(例えば、真理を生み出すこと)ことは、経験論や道具主義の立場から見れば、論点先取をおかすことになろう。一度これがわかれば、私たちは推理に重要なギャップがあることがわかる。論証は古い真理から新しい真理を生み出すという科学像のもとでなされるが、問題となる説明的な事柄は真理一般ではなく、観察レベルでの真理についてだけである。 反実在論者はこれを説明に対する不合理な要求として拒否するかもしれない。それが受け入れられるなら、経験論者や道具主義者には明白な答えがある。つまり、私たちの科学的方法は道具上信頼できる情報を選り分けることによってつくられる。私たちが信頼できる言明から始めれば、科学のための方法はもっと多くのものを生み出すだろう。だから、道具レベルの科学的成功の説明は科学理論の文字通りの真理を含む必要はない。これは科学の成功の最善説明としての実在論擁護の論証を道具主義擁護の論証に書き換えることである。
 二番目の問題は説明主義者の戦術である。これは最初の問題より深刻かもしれない。実在論を支持する結論は最善説明への推論に依存している。この原理は最善の説明をするものが真であるという主張だが、それこそ反実在論(特に、道具主義と経験論)が否定する原理である。例えば、フラーセンは最善の説明であることは長所であり、良いことだが、それは真理ではないと考える。最善説明への推論の道具主義的原理があるとすれば、説明の正しいことを推論するのではなく、その道具的な信頼可能性を推論するものになるだろう。だから、説明主義の論証は最善説明への実在論的原理を使っている。だが、そうすることによって実在論の正しさを論証しようとする点では論点先取に陥っている。
(断片的実在論
 最善説明への推論は無奇蹟論証の最も適切な形を示してくれた。だが、その不十分さは科学の解釈としての元来の実在論の試みの再考を迫ることになった。再考は二つの反実在論的展開によって促進された。一つは現在の科学の不安定さへの悲観的なメタ帰納法だった。これは科学理論の度重なる廃棄と結果としての存在論の変更に基礎を置く議論だった。他はポアンカレデュエムによる選択不可能性に基づくもので、二つの経験的に等価な理論が存在するという決定不能性の主張を先鋭にすることだった。これら二つの展開は科学的対象の実在性と科学理論が真理を追求するものであるという主張を否定する傾向を強めることになった。
 これを救おうとして提案されたのが対象だけに関する実在論である。その主張によれば、実在論は理論的実在を使う理論が真か偽かにこだわることなく、それら実在の独立した存在についての理論であり得る。(対象実在論、entity realism)ハッキングは対象実在論のために実験論証を展開した。(Ian Hacking、1983)自然の中の新しい性質を発見しようと実験的に対象を設定できれば(例えば、クオークについて知るために電子を使う)、その対象は理論が真であるかどうかには関係なく実在的でなければならない。これと似た考えはカートライト(Nancy Cartwright)によるもので、彼女は最善説明への推論の使用は現象の原因への推論に限られるべきだと言う。というのも、原因は問題なく実在的だからである。だが、反実在論者にはこれらの考えは承服しがたいものである。まず、理論から対象や原因をどのように切り離すことができるか明らかでない。さらに、いずれの場合も実在論的な結論を引き出すのに必要な基礎は有用性や信頼性であり、それ以上のものは必要でないことがわかる。ハッキングの場合、電子は有用な理論的構成物であることだけが、カートライトの場合は因果的な仮説がある領域で信頼できるということだけが必要である。

(問)ハッキングとカートライトの実在論の共通する特徴を述べよ。

実在論に代わるもの)
 これらの論争の間にいくつかの実在論に代わる考えが出された。パトナムの内在的実在論(internal realism、1981), フラーセンの構成的経験論、そしてファイン(Arthur Fine、1986)の「自然な存在論的態度(natural ontological attitudeあるいはNOA)が代表的なものである。めまぐるしい変化の中で、パトナムは実在論者からその批判者に変わる。彼は「形而上学実在論(神の眼で見た世界)」と呼ぶものを拒絶し、真理は言語や概念図式に相対的な視点をもつ立場(人の眼で見た世界)を打ち出す。そして、彼は科学的主張がその固有の領域では真であるが、それが真理すべてを語っているのではないと述べる。あるいは、そもそも真理すべてを尽くすようなものはないと考える。世界に関する別の真理、別の物語があり、それぞれは信じるに足るものだというのがパトナムの考えである。フラーセンは実在論の特徴を二つ挙げる。実在論は真理を目標にし、理論を受け入れるとき、それを真として受け入れる。これに対し、構成的経験論は経験的十分さを科学の目標にし、理論が受け入れられるとき、経験的に十分だとして受け入れる。これは理論の枠組の中で研究するが、その文字通りの真理は信じないことである。これらと違ってファインのNOAは一般的な解釈図式ではなく、科学に対してもつことができる態度である。この態度は科学にとって最低限のものである。それは批判的で、特定の科学的主張や手続きを注意深く見つめ、科学のどんな一般的な解釈問題にも触れないように注意する。実在論者や反実在論者が科学の全体的な目標を設定するのに対し、それに反対する。NOAは真理を意味論的に無定義なものと受け入れるが、科学的真理のどんな一般的理論も解釈も拒絶する。内在的実在論の中につくられた視点主義や実在論の中につくられた外部世界の対応も拒絶する。NOAは反実在論というより、非実在論である。
 これらの立場が科学にどのように反応するか比べてみると面白い。それらの比較を挙げてみよう。

(1)実在論は観察者から独立の世界について真であるものとして科学を考える。
(2)内在的実在論者は私たちの事物図式に相対的に真であるものとして科学を考える。
(3)構成的経験論はそれを経験的に十分だとして受け入れる。NOAは単にそれを受け入れる。

(問)科学に関する実在論反実在論のさまざまな違いを今までの議論を参考にまとめよ。

7最後に:経験論と実在論
 経験論は文字通り経験についての主張である。まず、経験が必要である、次に、それが十分であるという主張である。何についての必要十分なのか。考えられるのは実在について必要十分であるということで、その強い主張は「現象的なもの以外にはなにも実在しない」というものである。弱い主張は経験を越えた実在を認めるが、それについて私たちは知識を得ることができないというものである。このような存在論的な区別を離れ、知識という観点から見ると、 すべての知識は経験に由来し、経験が知識にとって必要十分という信念が経験論ということになる。経験世界とは私たちが感覚的に経験する世界である。
実在論にも多数ある。例えば、真理が何であるかについての主張として、あるいは、どのような真理があるかについての主張として実在論が述べられる。例えば、私たちの経験とは独立に実在があり、その実在を知ることが真理であるというのが実在論ということになる。ここでは真理の本性についての見解としての実在論を考えてみよう。それは意味論的な主張で、文の集合の実在論的な解釈では、人間の思考や言語とは独立に文の真偽が決まると主張される。そこから、文は心から独立した実在について述べ、その実在に真偽が依存していることになる。この見解に反対する立場が検証主義である。文の真偽はその検証の仕方を抜きにしては決められない。それゆえ、文の真偽は検証する私たちに依存し、したがって,それに合わせて真理概念を解釈し直さなければならないというのがその主張である。これは上述の経験論の一タイプである。すると、出てくる問題は、真理は実在論的に理解されるべきか,それとも経験論的に理解されるべきかとなる。
 真理の具体例は科学理論であるから、それをもとに考えてみよう。科学は経験科学であり、私たちの経験する世界についての経験的研究である。科学における経験論は次の条件法によって展開されてきた。もし私たちの知識が経験を超えることができないなら、(1)知ることのできる命題の集合の範囲と、(2)何が真かを推論するのに適切な方法の集合の範囲とを定めることができなければならない。ここから、経験論者は観察命題と理論命題(例えば、一般法則や原理)を区別し、理論命題の真理が観察命題からは推論できないという主張を明らかにしようとした。ところで、(2)の経験論者が許容する推論の範囲は何か。演繹や単純帰納を使った推論は経験主義者も認めるが、アブダクションはどうであろうか。最善説明への推論は経験を説明するための仮説設定であり、これは別の言い方をすれば、観察的な前提から理論的な結論を導き出すことである。
 実在論に反対するフラーセンの構成的経験論では、科学は観察可能な対象についての言明の真理を語るべきで、観察できない対象に関する真理については何も言えないことになっている。観察可能とは当然私たちにとって観察できるという意味である。しかし、アブダクションが許されるなら、観察可能な前提から観察不可能な、理論的結論を得ることになり、フラーセンの主張に反することになる。さらに、構成的経験論には問題がある。「すべてのカラスは黒色である」という言明は「すべてのxについて,そのxがカラスなら、そのxは黒色である」を意味しており、したがって、この世界のすべてのものについての言明である。もし世界が観察できないものを含んでいたら、カラスの場合のような一般化がその観察できない対象についてもなされなければならない。(カラスでさえ、これから生まれるものは観察できない。)
 アブダクションを使った実在論を擁護する推論がパトナムによってなされたことがある。ある科学理論が正確な予測をして受け入れられているとする。では,なぜこの理論は成功しているのか。何がこの理論の予測の正確さを説明するのか。もしこの理論が観察できないものを仮定しているなら、その理論の予測の成功は、仮定された対象が文字通り存在し、その性質が理論の主張する通りのものであるという仮説によってもっともうまく説明できる。これはアブダクションであり、観察できる前提からそうでない結論を引き出している。アブダクションの使用が論点先取か妥当なものなのかは意見の分かれるところである。理論命題は最善の説明のために要請され、それだけからその内容が実在するというのは確かに論点先取のようにみえる。
 経験論者は私たちの知識が経験を超えることができないことに重要な意味があることを示そうとするし、実在論者は観察できないものを知る私たちの能力が観察できるものを知る能力と同じように強力であることを示そうとする。経験論者の考えは科学的推論の能力を制限するという欠点をもつのに対し、実在論はその能力を拡大し過ぎるという欠点をもっている。では,第三の道はあるのだろうか。実際の経験的知識とその獲得を実情に即して考えた場合、観察できないものについての知識はテストできる命題に現れる語彙に制限を加えるだろうか。何も制限は加えないようにみえる。しかし、経験的に識別できないものについてそれを識別することは科学にはできない。識別できない二つの理論のいずれが正しいかは判定できない。これは経験論だけでは知識にとって不十分であり、だからといって実在論をそのまま鵜呑みにもできないという表明である。科学理論は経験論と実在論の間でその特徴づけを待っている。

(問)経験論と実在論の論争と科学研究との関係を今までの議論を参考にしてまとめよ。

(問)(課題)経験的な正当化は観察や実験によるが、それらは論証的な正当化と何が共通で、何が異なるのか。

夏模様あるいは環境破壊の結果

 西日本の大雨が過ぎ、大きな被害と共に今年の夏がスタートした。これから暫く暑い日が続くと思うと、地球温暖化をもたらした私たち自身を恨むしかないのだが、地獄の炎を想像すると地球の未来は暗澹たるものである。
 子供にとっては夏(と冬)は記憶に残る季節。なぜなら、夏は暑く強烈で、それが子供の敏感な感性に直結しているからである。そんな子供心を大切にしようと思えば、暑い中に夏の景色や風景を見て、夏を感じ取ることが妙に大切に思えてくる。だが、夏の風物を支える夏の植物たちは、どれも温暖化の前では風前の灯にしか見えない。
 大量の二酸化炭素をもっていた地球は、海の誕生によって二酸化炭素を減少させるメカニズムを獲得し、海から誕生した生命が地球環境を大きく変えて行く。地球誕生時の大気には、二酸化炭素一酸化炭素が60気圧も含まれていたが、現在の地球大気は一酸化炭素をほとんど含まず、二酸化炭素は0.0003気圧しかない。酸素が増えた理由は、生命の誕生とその進化の過程にある。
 海の形成により二酸化炭素が減り始め、二酸化炭素を含んだ雲が切れ、地球に陽光が差し込むようになり、35億年前に光合成する生命が活動を開始。この新たな生命が藍藻(シアノバクテリア)で、水と二酸化炭素から有機物をつくり、酸素を吐き出すようになる。地球は二酸化炭素を減らすサイクルを得たのである。
 藍藻が排出した「酸素」は、海底火山から噴出された鉄分、硫黄分の酸化にそのほとんどが使われたため、酸素の増加はほんの僅かだったが、20億年前にシアノバクテリアの大繁殖期に入り、状況が一変。鉄や硫黄などの鉱物に吸収されていた酸素は飽和し、余った酸素が大気に蓄積され始めた。大気中の酸素が増加し、酸素が紫外線と反応して「オゾン」を発生させ始めると、オゾンが紫外線を吸収するようになり、紫外線が弱まると、光合成する生き物はより浅い海中に浮上できるようになり、活発な光合成をおこない、酸素が加速的に増加。
 ほぼ30億年にもわたる生命の長い活動が、地球に生命を育む環境を生み出した。二酸化炭素の増加、オゾン層破壊、森林破壊や砂漠化など、地球環境を変えてきた人の勝手な活動は、実に短い時間の間に地球が積み上げてきたものを貪りつくそうとしている。
 人がこれだけの破壊能力をもつのは既に証明済みだが、破壊から再生へと転換する能力をどれだけ備えているかまだ証明されていないのである。

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変化の経験-科学における経験と実在(6)

5意味と観察の問題
(経験論者にとってなぜ観察は重要なのか)
 経験論は世界についての知識は経験や観察によってのみ獲得できると主張する。私たちが既に見てきたように、この主張が観察でわかるものを超えるように見える知識を疑うという結果をもたらしてきた。そして、このことが理由となって経験論者は科学理論について反実在論の立場を取ることになった。経験論者の基本的な認識論的主張は次のように述べることができる。

科学が観察できるものを超えた事柄についての主張であるならば、それら主張は正当化することが不可能である。

 経験論者は観察できるものについては正当化に関する認識論的問題はないと思っている。観察できるものについては私たちが見ることによって、その主張が正しいかどうかわかる。だから、観察言語は私たちが直接わかる事態を記述するので、言明が真か偽かは観察することによって判定できると考える。
 この特徴は観察言語が理論負荷的であるという認識によって損なわれることはない。科学にとって重要なのは「すばやく真偽が決定できる言明」であり、その言明が理論負荷的かどうかに関わりなく、真偽が観察によって直接的に確認できることである。自明な点として、この決定過程では私たちが問題の言明が何を意味しているか知っている必要がある。それを知らなければ、それが真かどうか決定できない。
 だが、この点は本当に自明だろうか。自明なのは意味が静的で予め固定されていると考えることができる場合だけである。これが正しいなら、使っている単語の意味を知ることによって、科学の真の仕事をすることができる。つまり、どの言明が真で、どれが偽かを決定できる。だが、このようなことは可能なのだろうか。
(経験論の二つのドグマ)
 クワイン(Willard Van Orman Quine, 1908-2000)の「経験論の二つのドグマ」は20世紀にもっとも影響が大きかった論文の一つである。それが重要であるのは次の二つの理由からである。

・ この論文は知識と意味に対する観察の役割についての経験論者の基礎付け主義的考えへの批判であり、その批判は経験論の主要な説に問題を投げかけている。
・ これはポスト経験論的見解の始まりである。(今までの経験論が失敗であることがわかったとき、哲学の問題への対応は二つある。よりよい解決を探すか、問題自体が偽物だと考えるかである。クワインは後者の態度を取り、科学に関するそれまでの実在論反実在論の論争が誤りであると考える。)

彼が経験論のドグマと呼ぶのは次の二つのことである。

・ 分析的-総合的の区別:ある言明が分析的に真であるのは、その言明に含まれる語の意味によってその言明が真である場合である。分析的でない真理は総合的である。経験論者はすべての総合的真理はアポステリオリだと主張する。つまり、総合的真理は観察によって生まれる。それゆえ、経験論者は総合的でアプリオリな真理があるというカントの考えを否定する。
・ 検証原理:「言明の意味はその検証の仕方である。」これは概略次のことを意味している。それぞれの有意味な言明は可能な観察のクラスに結びついている。つまり、それが験証されたと見なされる状況に結びついている。(分析的言明はすべての可能な観察に結びついている。つまり、どんな状況でも真である。)

 クワインは経験論がもつ二つのドグマの両方を拒絶する。彼の見解を見定めるよい方法は実際の科学の記述として正統的な経験論的見解が相応しくないことを明らかにすることである。そこで、動物学の例を考えてみよう。
 ある言明が真か偽かを知ることができる前にその言明が何を意味しているのか知らなければならない。経験論によれば、言明が何を意味しているか知ることは、それが真、そして偽であることを示すそれぞれの観察が何かを知ることである。だが、実際の科学はこのようにはなっていないし、それは不可能である。というのも、あらかじめあらゆる観察結果を想像することはできないからである。例えば、18世紀の動物学者はリンネがつくった生物の分類を知っていて、哺乳類は温血の脊椎動物だということがわかっていた。下の言明が真かどうかについてどのように考えたらよいだろうか。

哺乳類は胎生である。
哺乳類は卵生ではない。

カモノハシ(卵生の哺乳類)を見る前なら、これらの言明は分析的に真だと思うだろう。つまり、それらは哺乳類の定義の一部と考えるだろう。そうなら、カモノハシは哺乳類ではないと結論しなければならない。だが、18世紀の動物学者はそのようには言わない。カモノハシが偽物でないことを確信すれば、本物の哺乳類と決めるだろう。これは上の分析的に見える言明が総合的だけでなく、実際に偽であることも可能なことを意味している。実際、彼らはカモノハシが捏造のものでないと確信すると、それは哺乳類だと決めた。だから、見かけが分析的な言明は総合的だけでなく、実際に誤りだった。
 これから私たちは何を学べるのか。この出来事の前には、誰もこれらの言明が偽だという可能性をまじめには考えなかったろう。胎生は哺乳類であることの定義性質の一つだと考えられていた。だから、「哺乳類は卵生ではない」は観察によって決定可能な言明とは考えられていなかった。その場合でも、「ある哺乳類は卵生である」ことが観察された、あるいは発見されたと言うことができる。これはどのように可能なのか。「哺乳類」はその意味を変えたのだろうか。あるいは単に私たちはそれが何を意味したかについて誤っていたのか。この他にも幾つか疑問がある。哺乳類であることの性質は、その性質をもたないなら哺乳類ではあり得ないと言う意味で、本質的あるいは定義上のものなのか。総合的でアポステリオリに見えるもの(つまり、観察で決められるもの)の中で分析的とみなされるものがあるのだろうか。
 哺乳類についての言明で現在真だと受け入れられているものを挙げてみよう。

Xは通常は胎生である
Xは授乳する
Xは腎臓をもつ
Xは通常毛がある
Xは温血である
Xは主に地上生活である
Xは両半球に見られる

伝統的な見解によれば、これら言明の幾つかは分析的に真で、それゆえ、未来の観察によっては影響を受けないだろう。他の言明は総合的で、今までになされた観察がそれらを支持するゆえに真である。(どれが分析的で、どれが総合的か。下線を引いたものはすべて総合的か。下線のないものはすべて分析的か。)伝統的見解では下線のあるものだけが新しい証拠のもとに変更可能であり、事実の真理(下線のあるもの)を分析的なものから区別する。
 しかし、哺乳類についてのこれらの言明は本当に安全な分析的真理だろうか。いずれかを合理的にそうでないとするような環境を想像できないだろうか。クワインはこれらの問題をクモの巣(web)の比喩を使って述べる。巣の結節点は個々の概念(例えば、哺乳類、温血等)に対応し、結合はそれら概念を結びつける信念に対応している。(例えば、「すべての哺乳類は温血である」)伝統的な見解ではこれらの結合には二種類ある。意味付与的(分析的)結合と事実的(総合的)結合である。後者だけが自らを新しい環境に適合させなければならない場合にクモの巣を再配置できる。
 クワインの見解は二つの種類の結合に明確な区別はない、あってもせいぜい程度の問題に過ぎないというものである。原理上、どんな結合も壊れる可能性がある。さらに、クワインは原理的に私たちは常に自ら選択をすると考える。選択の度に変更が可能となる。
カモノハシの場合、動物学はどのような選択をしたのだろうか。カモノハシの場合はそれが如何に難しいかを示してくれる。新しい観察データが既存の概念枠の改訂を迫るが、どのように改訂するかに選択の余地がある。最も困難な場合、それは単に用語上のことだと言いたくなる。意味と事実の場合に分けたくなる。だが、このような区別はできるだろうか。クワインが示唆するように、できないとすれば、すべての予期せぬ観察は選択の余地のあるものとなるだろう。私たちは与えられた結合を保存するように、あるいはしないように選んで、与えられた言明を真か偽と見ることができる。カモノハシの場合は、定義的な結合(哺乳類は卵生ではない)に見えたものが壊れる場合である。

(問)本文の例以外の例を探し、それについて同様の考察をしてみよ。

(ここまでの帰結)
 以上の例を一般化し、まとめるなら、次のような結論が得られるだろう。

1意味の変化を許さなければ、私たちは科学についての正しい理解ができないだろう。
2少なくとも幾つかの場合には、言明はその身分を変えることができる。「分析的」から「総合的」へ、あるいはその逆へ変わることができる。
3(その真理値をはっきり定めることができるという意味で)すぐに決定可能な言明はない。実験結果が何であれ、どこかで適切な調整をすることが準備できれば、与えられた言明を真や偽とみなすことが常に可能だろう。すると、経験論者の基礎は消失してしまう。経験論者が当たり前とした仕方では観察は何も決定できない。

 このような結論は全体論を受け入れることから出てくる。全体論ではすべての関わりは他の関わりに結びついているので、どんな関わりも実験に対してそれだけでは対処できないという見解である。マッハは観察を予測する点で同等な理論が存在することを述べ、これを理論の実在論的見解に反対する論証とみなしていた。クワインが正しければ、同じ点は観察レベルにも適用できる。だから、理論についての実在論に反対する論証が信頼できれば、全体的な反実在論のための論証も信頼できるだろう。
 クワインの見解は反実在論者に反対するように見える。では、実在論に賛成するのだろうか。ある言明が真であるか偽であるかが選択の問題だということを許す見解について、そこに実在論者を満足させるものがどれだけあるだろうか。クワインの見解は実在論反実在論の伝統的論証については両陣営が誤りというものだろう。両陣営は哲学が科学の外に立つことができるということを仮定し、観察を超えた実在について話している。クワインの見解では、科学の外からの見解などない。この反外在主義はポスト経験論を考える際の鍵となるだろう。
 実在論反実在論に関する論争のポスト経験論的見解の代表はカルナップとクワインである。科学的知識が客観的な正当化と事物の本性を明らかにすることであるという見解は、科学が現象と実在を区別するという考えを含んでいる。ガリレオやロックの第一性質と第二性質の区別はその例であり、問題は次のようなものだった。

・ 問題:知識は経験的に基礎付けられるという経験論の主張が正しいなら、すべての科学的知識は私たちが現象を把握できることに基づいている。そして、現象を超えた実在についての知識を生み出すどんな試みも疑いがあるように見える。だから、認識論的客観性と形而上学的客観性は衝突する。これを経験論の伝統の中で見てきた。
・ この問題の一変形:言語についての考えがより洗練されると、経験論者は知識と同じように意味も経験に根ざさなければならないと信じるようになった。だから、形而上学的主張として解釈された科学は正当化できないだけでなく、無意味であるように見えた。
・ 理論と観察の区別をしようとするとうまくできず、それが反実在論の主張を困難にしていた。だが、反実在論が正しくないなら、それはどこが誤っていたのか。経験論自体が誤りなのか。

(カルナップ: 「経験論、意味論、存在論("Empiricism, Semantics and Ontology")」 )
 カルナップはこの問題に答えようとする。彼は経験論自体が誤りだとは考えず、自分の答えが経験論と両立すると考える。カルナップの論文の鍵となる点は、第一に抽象的対象の問題である。科学に登場する「抽象的対象」とは何か。なぜそれらが問題なのか。抽象的対象についての古い哲学的問題に、実在論唯名論プラトン主義対経験論がある。カルナップの計画は経験論者でも認めることのできる抽象的対象の定め方を見出すことだった。つまり、プラトン主義に頼らずに抽象的対象を認める方法を見出すことだった。
 二番目の問題は対象の枠組である。彼は枠組の中で出てくる内部問題と枠組の外から出てくる外部問題の間の区別をすることが必要だと考える。
例:(i) 「事物の世界」とは何か。世界の中でどのような種類の問いが出せるのか。実在の内的概念、つまり、経験的で科学的な、形而上学的でない概念はどのようなものか。哲学者の事物の世界自体についての外的問いは、カルナップによれば誤った仕方で枠組付けられているので解けないことになる。(ii) 数のシステムとは何か。カルナップは「数が実在するか」と尋ねる外的な形而上学的見地を拒絶する。
 カルナップは上の枠組を受け入れるかどうかの決定が理論的よりは実践的なものであることを強調し、論理実証主義反実在論に近いと考える。クワインはカルナップの考えには懐疑的である。クワインはカルナップの言語的枠組という考えは分析的・総合的の区別に余りに頼り過ぎていると考えた。だが、この表面的な不一致よりは基本的な一致のほうが重要である。クワインはカルナップの外在的形而上学的見地の拒否に賛成する。

(問)クワインとカルナップの共通点と相違点を挙げよ。

*所与の神話
 セラーズ(Wilfred Sellars, 1912-1989)の「所与の神話(The Myth of the Given)」について考えてみよう。基本的な経験論のイメージはどのようなものか。外の世界の本性についての証拠としての感覚は確かである。だから、感覚経験の内容は実在についての私たちのすべての知識に対して疑いのない基礎を与えてくれる。この素朴な経験論の考えについての批判は実に多い。既にこの章で述べたことから、次のような批判ができる。

(i)現象主義への反対は、知識とその対象の間のギャップを廃止すれば、もはやそれを知識とは呼ぶことができないということである。知識は一つのものが他のものを表象する、照合するという考えに依拠している。これは知識が経験論者が望むような基礎をもつという考えに対する挑戦である。
(ii) ハンソンは見ることについて、その最も基本的な場合でも生の感覚データが単に生じることではないと主張した。見ることは既に言語的である。

 セラーズも類似の考えを展開する。そこにはカント的な背景がある。カントは次のように言う。「内容なしの思考は空虚であり、概念なしの直観は盲目である。」「直観」によってカントが意味するのは私たちの感覚によって私たちに与えられるものである。これが「所与」と呼ばれるものである。所与は私たちが推論によって生み出したものではなく、端的に私たちに与えられるものである。カントが言うには、概念による組織化なしにはこの生のデータは盲目である。つまり、それは知識ではない。セラーズはこのカントの要点を展開し、それは経験論の基本的欠点を明らかにすると論じる。経験論は所与のものを自明と考える。だが、それは神話であると彼は言う。
(所与の神話の限界)
 所与のものによってなされる二つの仕事について考えよう。

(i) それは外的な条件の信頼できる指標でなければならない。この点で、それは外的変化に因果的に反応するようにつくられた温度計のように振舞わなければならない。
(ii) それは他の信念を推論するための基礎を与えなければならない。それから他の信念が推論されるようなものでなければならない。

この両方の仕事ができるものがあるだろうか。そのようなものはないとセラーズは考える。 経験論者は言う。「知識が基礎をもっていないことに賛成である。この点で経験論は端的に誤りである。にもかかわらず、見ることが知識の基礎を与えることができなくとも、基本的な「見る」がある。つまり、認識論的な重要さをもっていなくとも、「所与」のものがある。」 これにセラーズは反対する。彼は基礎を探すという点で伝統が誤っているのではなく、見ることの現象主義が誤っていると考える。彼は私たちの他の信念に影響されない、基本的な見ることはないと考える。もっとも基本的レベルでも私たちが見ることは私たちが信じることに依存していると考える。